戦後70年特別企画 アーサー・ビナード『探しています』

毎週土曜日 早朝5:00〜5:10
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言葉で国境を越えた詩人の郡山直さん

奄美群島・喜界島出身の詩人で東洋大学名誉教授の郡山直さん。穏やかな人柄がにじみ出る郡山さんですが、「学徒兵として徴収された話」「奄美から本土に戻る闇船が台風で遭難しかけたエピソード」「留学生としてかつての敵国アメリカに渡っていった思い出」などスケールの大きいお話が満載でした。アメリカの教科書でもその作品が紹介され、アーサーさんが大先輩と仰ぐ郡山さん。戦争直後の奄美の景色やアメリカの風景が生き生きと浮かんでくる2人の対談でした

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英語で詩を書く日本人の郡山さんと日本語で詩を書くアメリカ人のアーサーさん。詩作に関する2人の談義も聴いてみたいですね。放送でご紹介できなかった、アメリカ生活のエピソードはPodcastでお楽しみ下さい。

アーサーのインタビュー日記

郡山さんんは家族の出来事を書いていても常に大きい普遍的なテーマとつながっていくスケールの大きい詩人です。日本語で育ったはずなのにいつも英語で詩を書く郡山さんは以前から僕の立ち位置ともつながっているなと近しく感じていました。戦争が終わったと知り「これで島に帰れる、家族に会える」という思いがあふれた8月15日。しかし国境線が引かれ奄美は日本から切り離されてしまいました。でも郡山さんは渡れない境界線、渡れない国境があっても、その境界を詩人として言葉で超えようとしてきた人です。日本語から英語に渡っていく時もあれば、英語から日本語に渡っていく時もある。言語の境界線を超えていく郡山さんの原点を探っていたら、鹿児島師範学校の恩師、桐原先生のエピソードに行き着きました。「戦争に勝てば修学旅行はニューヨークだ、だから英語は必要だ。戦争に負けたらアメリカ兵が入ってくる、やはり英語は必要だ」郡山さんはそんな先生の説得を聞いて言語に対する基本姿勢が変わったのでしょうね。言葉という船で境界線を越え、戦中戦後の時代を力強く生きてこられた郡山さんです。

日比谷松本楼・小坂哲瑯さんが紡ぐあの日の東京の姿

皇居と官庁に囲まれた都心のオアシス日比谷公園に開業して112年となる日比谷松本楼。戦前、戦中の政治の舞台となり、戦後はGHQの宿舎ともなったまさ歴史的な場所です。この松本楼で生まれて育ったのが社長の小坂哲瑯さん。小坂さんに、戦前、戦後の日比谷の様々なお話を伺いました。松本楼の2階の窓から見える景色のひとつひとつに長く深い歴史が宿っています。

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2人の後ろに見える大イチョウ。実は枝の先が細くなっているのですが、その謎を小坂社長が解説してくれました。放送では戦争にまつわる話をご紹介しましたが、2人の談義は自然の生態系の話でもおおいに盛り上がりました。歯切れの良い東京言葉を繰り出すダンディな小坂社長と朴訥な?日本語のアーサーさんが窓から見える景色を眺めながら戦前のセミやコウロギ、赤とんぼの思い出など自然をテーマに白熱談義。都心とは思えない時間が流れていました。詳しくは木曜日更新のPodcastで。

アーサーのインタビュー日記

小坂さんの話は日本の権力と庶民の暮らしが重なり合う日比谷公園というポイントの究極の定点観測の物語でした。子供の頃の笑えるエピソードも国家の変化の歴史とつながっています。どういう手続きで学校に通ったのかという話からも当時の日本がどういう状況に置かれていたのかが鮮やかに垣間見えました。ミクロとマクロが重なる多くの話を聞けましたが、僕が一番印象に残ったのは動植物の話です。1世紀の間に昆虫がいかに減ったか、いかに生態系が変わってしまったかという話は動植物に興味、愛情のある小坂さんならではのまさに定点観測です。自然の変化も日本の大きな変化を表しています。過去から学ばなければいけないもう一つの歴史と言えるのではないでしょうか。

戦時中の落語界を知る唯一の噺家、三遊亭金馬師匠

今回お話を伺ったのは、落語界の大御所、四代目三遊亭金馬さん。1941年に12歳で三代目に弟子入りし、太平洋戦争の開戦前に落語の世界に入った最後の噺家です。86歳の今も現役バリバリの師匠が繰り出すマシンガントークにアーサーさんもたじたじ。

師匠の語り技で、当時の東京の風景や監視の目をかいくぐり自由闊達に演じた噺家達の姿が生き生きと浮かんできました。

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「この鬼畜米英め〜」と叫びながらアーサーさんに襲いかかる金馬師匠と、嬉しそうなアーサーさん。すっかり意気投合していました。

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アーサーのインタビュー日記

戦争という悲惨な体験をも最高級のユーモアに作り替える金馬師匠の技は、まるでこうじ菌がご飯を豊かな甘酒に作り替えるようでした。ずっと笑いながら噺、いえ話を聴いてしまいました。でも途中で気づいたのは、日本の落語でもアメリカのマーク・トウェインの短編でも、ユーモアが湧いてくる源は悲しみや不条理なんだということです。金馬師匠は反戦を唱えるような事はしません。でも柔軟に社会に迎合しながら実は戦争に非協力的だったり、戦争ではない方向に社会を引っ張ろうとしたとも言えると思います。落語には戦争のばかばかしさを笑い飛ばす力があって、市民が政治家の嘘を真に受けない大事な技術もあると感じました。

高畑勲監督が紡ぐ熱い反戦のメッセージ

14年ぶりの新作『かぐや姫の物語』がアカデミー賞の長編アニメーション部門にノミネートされ、世界に健在ぶりを示した高畑勲監督。

監督作品の「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」やプロデュース作品「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」など、日本のアニメーションの歴史を刻んできた巨匠は、今の社会の風潮や、空気を読んで流されていく日本人に強い危惧を抱いています。

物腰柔らかな高畑監督が静かな口調で、しかし厳しくも熱いメッセージを紡いでくれました。

 

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吉永小百合さんの朗読会の後、津田塾大学の会議室をお借りしてお話を伺いました。関係者の皆様ありがとうございます。高畑監督はアーサーさんがもっとも尊敬する表現者のひとりです。

 

アーサーのインタビュー日記

何度もお目にかかっている高畑監督ですが、今回もその嗅覚の鋭さに強い刺激を受けました。高畑さんは、戦争に乗っていく人物が出てこない巷の戦争ドラマの中に強い矛盾を感じています。そこには加害者としての側面が抜け落ちていると。その指摘は時に自身の作品にも向けられます。乗っかっていったあの時代の流れと今どう向き合うのかが高畑さんの基本姿勢なのではないでしょうか。日本国憲法が歯止めになっているから少しは筋が通った日本社会が築かれてきた。しかしその歯止めが外された時には、1945年を境に起きた変化がいつでも逆の方向に起きる可能性があると高畑さんは感じています。70年前の自身の戦争体験と今の日本は高畑さんの中で鮮やかにつながっています。

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