奄美群島・喜界島出身の詩人で東洋大学名誉教授の郡山直さん。穏やかな人柄がにじみ出る郡山さんですが、「学徒兵として徴収された話」「奄美から本土に戻る闇船が台風で遭難しかけたエピソード」「留学生としてかつての敵国アメリカに渡っていった思い出」などスケールの大きいお話が満載でした。アメリカの教科書でもその作品が紹介され、アーサーさんが大先輩と仰ぐ郡山さん。戦争直後の奄美の景色やアメリカの風景が生き生きと浮かんでくる2人の対談でした
英語で詩を書く日本人の郡山さんと日本語で詩を書くアメリカ人のアーサーさん。詩作に関する2人の談義も聴いてみたいですね。放送でご紹介できなかった、アメリカ生活のエピソードはPodcastでお楽しみ下さい。
アーサーのインタビュー日記
郡山さんんは家族の出来事を書いていても常に大きい普遍的なテーマとつながっていくスケールの大きい詩人です。日本語で育ったはずなのにいつも英語で詩を書く郡山さんは以前から僕の立ち位置ともつながっているなと近しく感じていました。戦争が終わったと知り「これで島に帰れる、家族に会える」という思いがあふれた8月15日。しかし国境線が引かれ奄美は日本から切り離されてしまいました。でも郡山さんは渡れない境界線、渡れない国境があっても、その境界を詩人として言葉で超えようとしてきた人です。日本語から英語に渡っていく時もあれば、英語から日本語に渡っていく時もある。言語の境界線を超えていく郡山さんの原点を探っていたら、鹿児島師範学校の恩師、桐原先生のエピソードに行き着きました。「戦争に勝てば修学旅行はニューヨークだ、だから英語は必要だ。戦争に負けたらアメリカ兵が入ってくる、やはり英語は必要だ」郡山さんはそんな先生の説得を聞いて言語に対する基本姿勢が変わったのでしょうね。言葉という船で境界線を越え、戦中戦後の時代を力強く生きてこられた郡山さんです。