東日本大震災から7年~地元発ビジネスのいま ①カキを観光の目玉に~岩手県大船渡市「6次連携ブランド開発グループ」
岩手県大船渡市は県の沿岸南部に位置し、漁業や観光業が盛んな街。東日本大震災では市街地を中心に津波が襲い、漁港も大きな被害を受けた。その後復興は進み、2014年には大船渡港で新しい魚市場が供用開始、BRTとして復活した大船渡駅前には、2017年、商業施設「キャッセン大船渡」がオープンした。
(震災からおよそ1年後の大船渡駅前。被災した建物やプレハブが散見されていたが、現在はBRTが運行、新たな街づくりが進む)
地元の言葉で「来てください、おいで」の意味を持つ「きやっせ」から名付けられたキャッセン大船渡の一帯には、スーパーや本屋、雑貨店のほか、飲食店や土産店、ホテルが立ち並び、地元住民と観光客が入り混じるスペースとなっている。
その一角にあるのが、湾岸食堂。カキなどの新鮮な魚介料理が振る舞われるほか、ライブステージも設置され、賑わいを見せる。ステージに掲げられているのは、ところどころ傷が残る「大船渡屋台村」の看板だ。
大船渡屋台村は震災後の2011年12月、壊滅状態の市街地にオープンし、20軒ほどがひしめき合った店舗では、地元の常連組や復興支援で訪れた人々が店主との会話を楽しんだ。
屋台村を運営し、現在は湾岸食堂のオーナーを務めるのが、及川雄右さん。大船渡でホテル「オーシャンビューホテル丸森」も経営している。
ホテルで被災者を受け入れつつ、屋台村を立ち上げた及川さんは、少しずつ街が復興するなか、危機感を抱いていた。
「3、4年経つと、街も落ち着いて、職場も落ち着いて、街から人が離れていくことに繋がっていた。震災前の大船渡を活性化していたか、といえばそうでもない。放っておいたら、震災前の街に戻ってしまうという懸念があった」
そこで及川さんは、1次産業と2次、3次産業で連携し、食材をPRして観光につなげようと2013年に「大船渡 6次連携ブランド開発グループ」を立ち上げた。観光の目玉として食を掲げ、食を通して集客することが目的だ。
港町の大船渡には、震災前もそれぞれの産業に携わる人はもちろんいたが、連携しようという動きはなかった。自分のことで精いっぱいで、それで生計が成り立っていたためだ。しかし、震災後は「1人では何もできない」という教訓を得て、「何かしなければ」という意識が生まれたという。
そこで及川さんが注目したのは地元のカキだった。屋台村でイベントを行うと人気があり、盛り上がったのだ。
ただ、地元の人にとって、大船渡の名産品はサンマやワカメ、ホタテ。大船渡のカキは上質で、良いものは築地で取り扱われていたが、地元に卸されるのは築地に行かないもの、いわば"残り物"だった。そのため、地元住民の認識は、「大船渡のカキは自慢できるモンじゃない」。カキの高品質さを知っているのは漁業関係者だけだった。
食材のブランド化は「ウチのモノは旨い」と思ってもらうことが根っこになる。及川さんは漁業関係者に話を持ちかけ、築地に行くはずの一級品の一部を地元に流通させた。「地元が誇れるものという認識を作るのに2,3年かかった」という。
さらに、2015年には、東北初となる屋形船を導入。三陸の海を見ながら、船内で蒸された地元のカキを味わうことができる。首都圏や仙台から観光客が訪れているほか、台湾を中心とした外国人観光客にも人気で、年間5000人ほどが楽しむほどになった。
町おこしの解決策として猫も杓子もと盛り上がる「6次産業化」だが、及川さんは、あくまで「6次"連携"」と強調する。
「もともとあった1次、2次、3次産業の強みを生かしていなかった。連携して1+1+1=3以上を目指して、お互いが活性化していく」
震災前から、人材や施設は揃っていたが、連携をしていなかった。もともとあるものを活用し連携することで、新たなビジネスを生み出したのだ。
飲食店とホテルを経営する及川さんは漁業関係者らと顔見知りで、なおかつ、旅行代理店などにもパイプがあった。だからこそ、「屋台船でカキを堪能するツアー」を組むことができたのかもしれない。
及川さんは、カキを使った加工品の開発も促進し、大船渡をもっと全国にPRしたいと意気込む。「震災前に戻らないように、いろんな角度から仕掛けていく。いろんな業種でいろんな方と連携して、街に賑わいができるような取り組みを持って行きたい」
大船渡市を訪れる年間観光客数は、震災前はおよそ100万人。震災後は減少傾向にあり、2016年度は72万人まで落ち込んだ。新しくなる街で、及川雄右さんが主導する"連携"は続く。
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