2017.7.21

ホシザキ・坂本精志会長の氷も溶ける熱い想い

nmt事務局
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文化放送「The News Masters TOKYO」マスターズインタビュー。今回の主役は全自動製氷機を中心とした業務用厨房機器を製造・販売している日本最大手のメーカー、ホシザキ株式会社の坂本精志代表取締役会長が登場。1947年に創業から70年に渡るホシザキの歴史と、坂本会長の経営手腕にタケ小山が迫る。


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◆ホシザキはここから始まった
ホシザキの創業者は坂本会長の父である坂本薫俊さん。大手電機会社に勤めていた薫俊さんが、日本ミシン製造(現・ブラザー工業)と合弁会社を設立しようとしたところから歴史が始まる。


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坂本「当時日本ミシン製造は、GHQの命令で精密機械が作れなかったので、何かしらの電化製品を作り生き残ろうとしていた。いざ創業者とともに会社を立ち上げようとしたところGHQの命令が解除されることに。そこで創業者は独立して起業することになったんですね。」


それからは日本ミシン製造の下請けをしながら、自社製品の開発を展開。


タケ「はじめてヒットした製品は何だったんですか?」

坂本「ジュース自動販売機です。創業者がアメリカの工作機械会社へ見学に行った際、ウォータークーラーを見つけ日本に持ち帰ったことがきっかけ。そのままホシザキで作ろうとしたが、さきに松下電器が作っていたためウォータークーラーの製造は断念しました。そうしているうちに、名古屋まつりでジュースの自販機として出さないかと話がきたんです。」


水の代わりに自動でジュースが出る自販機を製造。祭りで出したところ子供に大変好評で、ホシザキの一大ヒット製品に。その後、改良を加えた炭酸飲料・天然ジュース・濃縮ジュース・噴水式など様々なジュース自販機が開発される。


◆製氷機との出会い
坂本会長は大学を卒業後、現在のホシザキである星崎電機に入社。三菱電機に委託実習として勤務したのち、自動販売機の新たな可能性を探るためアメリカへ。そこでホシザキの命運を握る"製氷機"に出会う。


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坂本「現地でいろいろ案内してくれた人から"世の中贅沢になればなるほど水と氷と紙が必要になる"と言われました。たしかに、アメリカにはそのころ日本にはなかった製氷機がたくさんありました。また、ジュース自販機を作るホシザキにとって冷凍技術は得意分野で"氷"にピンときたというのもあります。」


坂本会長はさっそくアメリカから製氷機を持ち帰り開発に取り掛かる。しかし、最初に開発した製氷機は売れなかったという。


坂本「日本は貧しく高価なものは売れないと考え、安くて大量に生産できる雪状の"フレークアイス"が作れる製氷機を開発し売り込んだものの、すぐに売れないと気づきました。必要とされている氷は大きくて、純度が高く、温度が低いものでした。」


タケ「理想の氷が作れる製氷機を開発して売り出したわけですね?」

坂本「はじめは社内で氷の将来性について賛同してくれる人はいなかった。そうこうしているうちに、ジュース自販機の売れ行きが悪くなり会社が経営危機に直面しました。創業者の一声で製氷機に社運を託すことになったんです。もちろん、製氷機を売ってくれる代理店もいないので自社で売り込みをかけました。これが徐々に売れ、ホシザキは危機を乗り越えることができたんです。」


◆創業者・薫俊さんについて
製氷機の分野では世界でも圧倒的な存在感を放つホシザキ。経営危機という局面において、当時あまり認知されていなかった製氷機で勝負すると決めたのは創業者でもあり、坂本会長の父でもある坂本薫俊さんだった。一体どんな人物だったのだろうか。


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坂本「遊び人でとにかく毎日朝まで飲んで、午前様で帰ってくるのは当たり前だった。性格も超積極的な人で明日会社がつぶれるかもしれないというときでも、会社を大きくするため土地を買ってしまうほど。そんな無茶なことをしても、辻褄が合うように人を動かすパワーをもった人でした。会社を回すため資金が必要となれば、私や経理部長をつれて銀行員の自宅へアポなしで出向いて交渉して話を通す。銀行の人も会えばお金を出さなければならないことになるので、会わないようにしていたぐらいです。」


坂本会長はその豪快な父の姿をみて、保守的な性格になったと語る。


タケ「創業者から学んだことは何ですか?」

坂本「"金を金で稼がない"ということです。本業の商売のためにお金は使うが、投資や不動産などを運用して稼ごうとは一切しなかった。そのため、ホシザキには現預金が潤沢にあります。バブル崩壊があってもホシザキは大丈夫でした。いまホシザキがキャッシュリッチな会社になっているのは創業者のおかげです。」


◆社長時代について
坂本会長はホシザキの専務取締役をへて、株式会社ネスターを創業。ネスターで会長を退任後、2005年にホシザキに復帰し、社長に就任。社長時代について話を伺った。


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坂本「まず社長になって最初に目標としたのが株式上場。資金を集めるという目的ではなく、企業の体質改善が大きな目的でした。いつまでも町工場的なやり方では一流になれない、将来はないと感じていました。」


坂本会長は人材を強化し4年を目途に立てていた上場の計画を、3年で達成。上場はリーマンショックのすぐあとで株価も安かったが体制を整えるため仕方がなかった。坂本会長はこれを皮切りに世界を目指す。


坂本「アメリカ・イギリス・シンガポールなど海外に作った会社に展開がなかったので、海外企業のM&Aを進めました。国内は少子高齢化なので、海外に目を向け、フードサービス機器の世界一を目指しました。とにかくどんなことでもNo.1になるのが私の狙い。製氷機・冷蔵庫の売り上げは世界一になりました。」


タケ「すべて思い通りにことが運んでいますか?」

坂本「もちろん、すべてが思い通りになっていないし、まだまだやらなければならないことはあるが、軌道に乗っていると思います。」


◆坂本語録
最後に、坂本会長の公演やセミナーで耳にすることができる「坂本語録」をいくつかご紹介。


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『革命は短期で』
大きく何かを変えようとしたらスピードが大切。組織ではとくにぼちぼちやっていたら異論が出る。時間がたつと熱が冷めて、慎重論が増して何もできなくなってしまう。短期、勢いをつけなければ状況は変えられない。


『今の延長線上は破滅への道』
現状維持は陳腐になることにつながる。信条として「変化は進歩」だと思っている。目先を変えて士気を持ち続けられるように進歩していかなければならない。


『人生とは思い出をつくることなり』
思い出をたくさん作った人は幸せ。苦しいことでも、思い出を作っていると思えばいい。頭のいい人ほど壁にぶつかると深刻になって逃げてしまう。それを乗り越えるからこそ、それが成功体験につながる。死なないのであれば、徹底的に苦しんで何でも挑戦してみればいい。


組織のトップとして舵を取り続ける坂本会長。優しい語り口のためインタビューは穏やかな雰囲気に包まれながら終了したものの、ひとつひとつの発言から経営者としての鋭い感性を垣間見ることができた。インタビュー終了後はタケ小山と愛車のバイクの話でひと盛り上がり。純度が高く、温度が低いホシザキの氷には、70年の歴史と世界基準の技術詰まっているに違いない。


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