1月8日の放送告知
2017年1月1日の「みのもんたのニッポン discover again」
戦国武将「石田三成」の子孫!石田秀雄さんのお話は、いかがでしたか?
放送を聴き逃してしまったというあなた!!
1月2日(月)20時から1月9日(月)17時まで、こちらのブログ内でアーカイブ音源をお聴き頂けます。
さて、次回(1月8日)のゲストも、石田三成の子孫!石田秀雄さんです!!
戦国時代、豊臣秀吉亡き後の最大の実力者である徳川家康に対抗し、最後まで豊臣家に忠義を尽くした石田三成は、近年、歴史家や歴史ファンの間で、評価が高まっています。
今回は、石田秀雄さんに、もし関ヶ原の戦いで三成率いる西軍が勝っていたら、どのような政治体制になっていたのかをはじめ、石田家の今に至る系譜、他の戦国武将の子孫とのかかわりなどについて幅広く伺いました。
三成の居城だった佐和山には、11年前に訪れました。
滋賀の彦根駅から随分と歩いた気がします。
佐和山城は関ヶ原の戦いの直後に落城したため、わずかな城跡しか残っていませんが、当時はかなり大きかったようです。
佐和山は京都にも近いし、戦国時代は実にいい場所だったでしょうね。
石田家のルーツは、佐和山からほど近い長浜の辺りにあったので、三成が城の主となった時、父や兄はどんな思いで彼を見つめたのでしょうか。今ならそんな思いにも駆られます。
また三成は軍事的な才覚があったわけではないので、筒井順慶や豊臣秀長の家臣だった猛将、島左近を迎えました。
こうした猛将を家臣に出来る力も、三成にはあったということです。
そういうところも、歴史好きとして強調しておきたいと思っています。
そして、関ヶ原の戦いで負けたから弱いわけではなく、もちろん悪者でもありません。
それはスポーツでも同じで、例えばボクシングの世界戦でKO負けした選手がいたら、その負け方が大事なのです。
攻めに行って逆にカウンターを食って負けたのか、逃げ腰になって負けたのか、両者はまるで違います。
三成は義を貫き、関ヶ原の戦いで、家康を果敢に攻めた末に負けたのです。
殺すか殺されるのかの戦国時代、その負け方は称賛されるべきものでしょう。私はそう思っています。
構成作家 後藤知紀
みのもんた
歴史・文化・芸能・スポーツなどに造詣が深いみのもんたが【東京】【日本】【時代】【人間】をテーマに、各界の著名人をゲストに迎えます。
対談を通じて、日本の伝統・文化、日本人の生き方など様々な事象を掘り下げ、「再発見」し、未来につながる理想の日本、そして日本人の姿を描き出します。
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月