2月21日はスペシャルウィークです!!
2月14日の「みのもんたのニッポン discover again」
公益財団法人「徳川記念財団」理事長で、徳川宗家18代当主の徳川恒孝(つねなり)さんのお話は、いかがでしたか?
放送を聴き逃してしまったという、忙しいあなた!!お救い致します!!
2月15日(月)20時から2月22日(月)17時まで、こちらのブログ内でアーカイブ音源をお聴き頂けます。
さて、次回の放送21日は、スペシャルウィーク!!
ゲストは、引き続き、徳川恒孝さんです。
ご先祖時あたる家康公を恒孝さんは、どのように見ているのか。
長い人質生活で形成された家康公の性格についてお話しいただいたほか、家康公にまつわる俗説について、みのさんが質問を次々に繰り出しますが、非常に紳士的かつ丁寧にお答えいただきました。
家康公の実像が浮き彫りになりますので、じっくりお聴きください。
今、NHK大河ドラマ「真田丸」では内野聖陽さんが家康公を演じていますが、武田家滅亡から信長亡き後の信濃・甲斐の混乱を家康公は見事に治め、武田家につかえていた家臣を積極的に取り入れました。
敵対していた武田家を敬い、礼を尽くしたそうです。
ここが信長と決定的に異なる部分ですね。
武田家の家臣を徳川の家臣にするということは、武田家の軍事的なノウハウまで手に入れることにつながります。
1572年、三方ヶ原の戦いでKO負け寸前に追い込まれ、普通の神経なら武田憎しで凝り固まり、その後も遺恨を引きずるはずです。
しかし、家康公はそれをせず、したたかに徳川家強化のため、旧武田家臣団を迎えたのでした。
それまで手にしていた三河、遠江、駿河に加え、本能寺の変の後、甲斐、信濃を手にした家康公は一気に勢力をのばし、その後、秀吉と対決するに至ります。
そして面白いのが、徳川家と武田家との因縁は家康公が亡くなるまで続いたことです。
武田信玄に薫陶を受けた真田昌幸との2度の上田合戦、そして大坂冬・夏の陣で徳川軍を最後まで苦しめたのは昌幸の次男・幸村でした。
「とうとう豊臣を潰したが、俺は若い頃から死ぬまで武田や真田に苦しめられたのだな」
落城する大坂城を見ながら、家康公はそう思ったかもしれません。
と同時に、自身と日本中の戦いの歴史にピリオドを打ったのです。
そうした先祖がいる徳川恒孝さん、ご出演ありがとうございました。
構成作家 後藤知紀
みのもんた
歴史・文化・芸能・スポーツなどに造詣が深いみのもんたが【東京】【日本】【時代】【人間】をテーマに、各界の著名人をゲストに迎えます。
対談を通じて、日本の伝統・文化、日本人の生き方など様々な事象を掘り下げ、「再発見」し、未来につながる理想の日本、そして日本人の姿を描き出します。
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