11月22日の放送告知
11月15日の「みのもんたのニッポン discover again」
武田信玄の次男、信親(のぶちか)の血を引く武田邦信(たけだ・くにのぶ)さんのお話は、いかがでしたか?
放送を聴き逃してしまったという、あなた!!
11月16日(月)20時から11月23日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。
さて、次回(11月22日)のゲストも武田邦信(たけだ・くにのぶ)さんです。
武田家のルーツは信玄を飛び越え、平安時代の清和(せいわ)天皇に行きつくという名門で、武田邦信さんは信玄から数えて16代目、清和天皇から数えて32代目です。
今度の放送では、国連難民高等弁務官事務所の国内委員会・理事を務める武田さんに、日本の難民認定や丸紅時代のお仕事についてお聴きしています。
15日の放送で、武田さんは信玄と上杉謙信の川中島の戦いに触れています。
両者が同盟を結ぶなど、お互いのプライドが邪魔してあり得なかったことでしょうが、同盟を結んでいたらどうなっていたのか。
非常に面白い展開になっていたでしょうね。
自由に歴史を考えられる楽しみには、「もしも・・・」にあります。それは、とりわけ戦国時代ですが・・・
その武田と上杉が激突した川中島の戦いの第4ラウンド(1561年)は、千曲川が血で染まるほどの激闘でした。
この戦いで信玄の弟・信繁が戦死しており、お墓のある典厩寺(てんきゅうじ)の宝物館には、上杉謙信から送られてきた香典袋が展示されています。
私はこれを見てビックリしましたね。
敵将・信玄の弟に香典を送ってきた上杉謙信・・・義理固いと言われていますが、そこまでやるかと。
謙信からしてみたら、討ちとったのは自分の軍だが、お互い死力を尽くして戦ったのだから、せめて香典を送らせてくれということだったのでしょうか。
つまり、信繁はそれほどの人物だったのです。
信繁は兄・信玄をよく補佐し、家臣からの人望も厚く、信濃の諸葛亮孔明と言われた真田昌幸は、1567年、次男に信繁と命名しました。そう、真田幸村の本名です。
ところで、武田家では父・信玄と長男・義信の折り合いが悪く、駿河侵攻をめぐって両者の対立は決定的となり、信玄は義信を切腹に追い込むのですが、もしあと10年、いや5年でもいいから信繁が生きていれば、兄・信玄と甥・義信の仲を取り持ち、懸案だった駿河攻めについてもソフトランディング出来たかもしれません。
となると、武田勝頼は武田家を継ぐことなく、信玄の四男というポジションのままだったでしょう。
誰かが亡くなることで、誰かのその後の人生が変わることは今の世の中でも同じですが、武田家にとって川中島での信繁の死は痛恨の極みでした。
構成作家 後藤知紀
みのもんた
歴史・文化・芸能・スポーツなどに造詣が深いみのもんたが【東京】【日本】【時代】【人間】をテーマに、各界の著名人をゲストに迎えます。
対談を通じて、日本の伝統・文化、日本人の生き方など様々な事象を掘り下げ、「再発見」し、未来につながる理想の日本、そして日本人の姿を描き出します。
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