5月31日の放送告知
5月24日の「みのもんたのニッポン discover again」
山本晋也監督のお話は、いかがでしたか?
放送を聴き逃してしまったという、あなた!!
5月25日(月)20時から6月1日(月)17時まで、こちらのブログ内で、アーカイブ音源をお聴き頂けます。
さて、次回(5月31日)のゲストも、映画監督の山本晋也さんです。
思春期のほとんどを映画鑑賞に費やし、その後、市川崑監督作品「東京オリンピック」のカメラアシスタントとして参加した山本さん。
今回は、東京オリンピック開会式の様子、そして映画少年だった青春時代などについて伺いました。
山本監督は、終戦の時、6歳・・・
物心つく段階で、戦争の惨禍を自らの目ではっきりと見た現実。
そして、その記憶が今なお鮮明に残っているという事実。
戦後70年を機に、まだまだ伝えてほしいことがたくさんあります。
私が学生時代にトゥナイトを見ている時、山本監督が戦前戦後を生き抜いていたことは全く知りませんでした。
もしかしたら、ところどころで戦前や戦後の東京の話をしていたのかもしれませんが、あのレポートが強烈で、そこが記憶に残っていないのかもしれません。
山本監督が壮絶な体験をしたのに、そうしたことを感じさせずに映るのは、私の先輩の構成作家で、先日亡くなってしまった松本耕一さんに似ています。
お2人は全く別人ですが、収録の際、山本監督をそばで見ながら、松本さんのことも思い出してしまいました。
それと、この仕事を始めてからでしょうか、この人は西暦何年生まれなのかと調べて、終戦の時は何歳だったのかと考えるようになったのは。
調べた後にびっくりすることも、たびたびありました。
その人が戦後生まれでも、日本が戦争で負けた空気を知っている人と、そうでない人とでは、たとえ1歳や2歳の差でも、自らの生き方や国に対する考え方がかなり異なると感じています。
戦争というのは、その人の人生に大きな影響を与えるものなのだと、つくづく思います。
あと、戦後について分けると、東京オリンピックを生で見ている人と、そうでない人との東京に対する思いも、かなり違いますね。
以前、文化放送の寺島アナウンサーと商店街の中継へ行っていた時、取材で商店主に東京の街並みについて聴くと、必ず「東京オリンピックから、ガラリと変わった」と話していたものです。
あれから10年、皆さん、お元気にしているでしょうか。
話が長くなりましたが、次回の山本監督のお話も期待してください。
東京オリンピックの時の東京、そして朝鮮戦争が起きた1950年ごろのお話も出てきます!
構成作家 後藤知紀
みのもんた
歴史・文化・芸能・スポーツなどに造詣が深いみのもんたが【東京】【日本】【時代】【人間】をテーマに、各界の著名人をゲストに迎えます。
対談を通じて、日本の伝統・文化、日本人の生き方など様々な事象を掘り下げ、「再発見」し、未来につながる理想の日本、そして日本人の姿を描き出します。
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