◆2月23日(月)
フランク・シナトラ 「マイ・ウェイ」
アメリカのポピュラー界を代表する国民的なエンターテイナー、フランク・シナトラ。彼は、ニューヨークに近いニュージャージー州に生まれ、ビング・クロスビーに憧れて歌手を目指します。10代で素人ののど自慢大会で優勝。そして、ナイトクラブでの下積みを経て、1939年、当時人気のハリー・ジェイムス楽団に迎え入れられて、プロデビューします。40年には、トミー・ドーシー楽団に引き抜かれてチャンスを掴み、42年に独立。そのスイートな声とルックスで、全米中の女性たちを熱狂の嵐に包み、史上初のアイドルとして人気を博します。しかし、40年代後半から喉を痛めて声が出なくなったり、マフィアとの関係が取り沙汰され、スランプに陥りますが、1954年、映画『地上(ここ)より永遠(とわ)に』でアカデミー賞助演男優賞を獲得。そのことをきっかけに見事にカムバックを果たし、以前にも増して力強く深みのある声で、多くのファンを獲得します。
この曲「マイ・ウェイ」は、1969年に大ヒットしたシナトラを代表する1曲。最高位は27位と、チャート的には振るわなかったのですが、124週間もシングルチャートにとどまり、ミリオンセールスを記録しました。あまりにもシナトラのイメージの強い曲ですが、フランスのシャンソン歌手、クロード・フランソワがオリジナルで、ポール・アンカが英語詞をつけて大ヒット。さらにポール・アンカやエルビス・プレスリーもカバーし、リバイバル・ヒットしました。1971年には一時引退を表明しますが、2年後にカムバック。ステージをメインに活動し、多くの歌手に影響を与えましたが、1998年、82歳でその生涯を閉じました。
◆2月24日(火)
アラジン 「完全無欠のロックンローラー」
名古屋商科大学フォークソング同好会のメンバーだったグレート高原を中心に結成された9人組バンド「アラジン」。1981年の第12回世界歌謡祭で、秋田音頭をモチーフにしたこの曲「完全無欠のロックンローラー」で、グランプリを獲得し、この曲でデビューします。この曲はオリコンのシングルチャートで、最高位7位を記録しますが、その後は、ヒット曲に恵まれず、アラジンは1983年に解散。解散後、グレート高原は、高原兄(ケイ)という芸名で、歌手活動を続けますが、あまり目立つこともなく、名古屋のローカルタレントとして活動する一方、現在は、地元富山の電気工事会社の社長になっています。
そして、島田伸助と親交が深かったことから、伸助がプロデュースした島谷ひとみのデビュー曲「大阪の女」の作曲担当。最近では羞恥心、パボ、そして、ヘキサゴンからのユニット“アラジン”の作曲を手掛けており、作曲家として遅咲きの花を咲かせています。
◆2月25日(水)
ジェーン・チャイルド 「ドント・ワナ・フォーリン・ラブ」
カナダ、トロント出身のジェーン・チャイルド。父親は、世界的なバイオリニストで、母親はピアニストでシンガーという家庭環境に育ち、12歳でカナディアン・オペラ・カンパニーに参加していました。しかし、クラシック奏者の両親のもとで厳格に育てられた反動で、ロックをやりたくて、カナディアン・オペラ・カンパニーを
ドロップ・アウトしてしまいます。そして、本人が作詞、作曲、プロデュースという形で、アルバムを制作し、1989年、シングル「ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド」、アルバム『ジェーン・チャイルド』でデビューします。
この曲「ドント・ワナ・フォーリン・ラブ」は、デビューアルバムからのセカンドシングルで、楽曲の良さもさることながら、トサカ・ヘアに鼻から耳に連なるチェーンというルックスと強力なダンスチューンが全米中の若者に受けて、全米2位を記録し、その名が知られるようになります。昨年は、プッシーキャット・ドールズのキンバリー・ワイアットがカバーし、話題になりました。
◆2月26日(木)
長谷川きよし 「別れのサンバ」
2歳の時に失明し、視覚障害者となってしまった長谷川きよしは、幼い頃からラジオで様々な音楽を聴くことが好きで、12歳でクラシックギターを始めます。中学生の時に音楽で生計を立てることを志し、17歳の時に友人の勧めで出場した、シャンソン・コンクルールに出場し、高校生ながら4位入賞して、これをきっかけに「銀巴里」で歌い始めます。その頃から自分で曲を作るようになり、1969年、この曲「別れのサンバ」でシンガーソングライターとしてデビューします。デビュー当時は全く注目されなかったのですが、69年の年末からラジオの深夜放送で火がついて翌年大ヒットします。デビュー当時から音楽の枠にとらわれず、シャンソン、サンバ、ラテン、ジャズ、ロックといった音楽を取り入れて、独自のスタイルを確立し、ワールド・ミュージックの先駆者として注目を集めます。
そして、渡辺貞夫、日野皓正をはじめ、ブラジル、アルゼンチン、フランスの様々なアーティストと共演を果たし、1974年には加藤登紀子とデュエットした「灰色の瞳」がヒットします。去年は、デビュー40周年を迎え、「40年。まだ、これがベストではない。〜長谷川きよし、ライブレコーディング〜」というアルバムを発表し、話題になりました。
◆2月27日(金)
R.E.M. 「シャイニー・ハッピー・ピープル」
アメリカ・ジョージア州アセンズという学園都市にあるジョージア州立大学の学生だったピーター・バックとマイケル・スタイプを中心にビル・ベリーとマイク・ミルズの4人で結成されたR.E.M.。1981年にシングル「レディオ・フリー・ヨーロッパ」でインディーズ・デビューするとたちまちアセンズで話題となります。IRSレコードと契約を結ぶと、1982年ミニ・アルバム『クロニック・タウン』を発表。さらに翌83年にファーストアルバム『マーマー』を発表すると、カレッジ系のリスナーから人気を集め、その年、マイケル・ジャクソンの『スリラー』を抑え、ローリング・ストーン誌の年間最優秀アルバム賞を獲得します。1988年にワーナーに移籍し、アルバム『グリーン』を発表すると、全世界でヒット。ワールド・ツアーを行い、日本にも来日します。
この曲「シャイニー・ハッピー・ピープル」は、1991年の『アウト・オブ・タイム』からのシングルカットで、B-52’s(ビー・フィフティートゥーズ)のボーカル・ケイト・ピアーソンも参加。大ヒットしました。また、このアルバム『アウト・オブ・タイム』は、ビルボード・アルバム・チャートで、R.E.M.初の全米ナンバー1に輝いた1枚で、全世界で1000万枚のセールスを記録し、MTV大賞で6部門を受賞しました。さらにグラミー賞では7部門にノミネートされ、主要3部門を受賞し、世界的なロックバンドとなります。1997年にビル・ベリーが脱退し、解散の危機を迎えますが、3人組の新生R.E.M.として、活動をスタートさせ、去年は14枚目となるニューアルバム『アクセラレイト』を発表し、話題になりました。
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