◆2月 9日(月)
フェアーグラウンド・アトラクション 「パーフェクト」
ユーリズミックスやアリソン・モイエなどのコーラスを務めていたスコットランド出身のエディ・リーダー。
そんなエディを中心に、マーク・ネビン、サイモン・エドワーズ、ロイ・ドッズの4人が、1987年、ロンドンで結成したのが、フェアーグランド・アトラクション。
パブや小さなクラブなどで、演奏を続けているうちに、口コミで評判が広がり、 RCAとレコード契約。1988年、この曲「パーフェクト」でデビューします。
イギリスのシングルチャートでいきなり1を獲得した彼らは、一躍人気バンドとなり この曲を収めたアルバム『ファースト・キッス』も1位を獲得。
ブリット・アワードでは、「最優秀アルバム賞」、「最優秀シングル賞」の2部門に輝きました。
そして、彼らの人気は、ヨーロッパ、アメリカへと飛び火し、ツアーも成功させると、 1989年、日本でも待望の来日ツアーが実現します。
ところがこのツアー終了後、ニューアルバムの方向性を巡って、 メンバー間に意見が食い違い、翌90年、解散。
その後、シングルのB面曲と未発表曲を集めたアルバム『ラスト・キッス』を発表。 このアルバムから、「ウォーキング・アフター・ミッドナイト」が、
シングル曲として発売されました。
◆2月10日(火)
福山雅治 「イッツ・オンリー・ラブ」
歌手になるために長崎から上京し、 アルバイトをしながらオーディションを受けていた福山雅治。
「アミューズ・ムービーオーディション」に合格すると、映画『ほんの5グラム』で俳優デビューします。
1990年に、シングル「追憶の雨の中」で念願の歌手デビューを果たしますが、 歌手としてはなかなか成功を収めることができずにいました。
1993年のドラマ「ひとつ屋根の下」に出演したことで、人気を博し、 歌手としてもブレイク。
シングル「メロディ」が大ヒットすると、紅白歌合戦にも初出場を果たします。
この曲「イッツ・オンリー・ラブ」は翌94年に発表した9枚目のシングル。 オリコンシングルチャートでも1位に輝き、初のミリオンセールスも達成しました。
続く「ハロー」もミリオンセールスとなり、2000年に発売した「桜坂」は、 200万枚を超すダブルミリオンを記録しました。
俳優、歌手活動以外にもシドニーオリンピック、アテネオリンピック、 北京オリンピックにカメラマンとして現地に赴くなど、写真家としても活躍しており、2006年には写真集を発表しました。また、松本英子や柴咲コウとのユニットKOH+のプロデューサーを務めるなど、幅広い活動をしています。今年は、6月からの全国ツアーに合わせて、8月には地元長崎稲佐(いなさ)山(やま)でのライブも決定しています。
◆2月11日(水)
ランディ・クロフォード 「スゥィート・ラブ」
アメリカ、ジョージア州出身のランディ・クロフォードは、子供のころから教会で歌い、15歳で既にプロとしてクラブで歌うほどの実力の持ち主でした。1972年、ニューヨークのクラブで歌っているところをジョージ・ベンソンに認められ、ジャズ・ミュージカル「ビッグ・マン」の主役に抜擢されて初レコーディングを体験し、1976年、アルバム『エブリシング・マスト・チェンジ』でソロデビューを果たしました。そして1979年にクルセイダーズとの「ストリート・ライフ」が大ヒットして、その名が知られるようになり、そのクルセイダーズがプロデュースしたアルバム『道標(みちしるべ)』のヒットで、彼女の人気がゆるぎないものとなります。81年には東京音楽祭に出演し、「最優秀歌唱賞」と「最優秀作曲賞」を受賞し、日本でも注目を集めるようになります。
この曲「スウィート・ラブ」は1986年に発表したアルバム『アブストラクト・エモーションズ』からのシングル曲で、イギリスでは4位を記録しました。日本では91年に吉田栄作主演のドラマ「もう誰も愛さない」の挿入歌となり、リバイバルヒットしました。2006年に、クルセイダーズのメンバーだったジョー・サンプルと
ドラムのスティーブ・ガッドを迎えたアルバム『フィーリング・グッド』を発表し、去年も同じメンバーで『ノー・リグレッツ』を発表しジャズ部門で全米1に輝き、今年3月に3人での来日コンサートが行われます。
◆2月12日(木)
小野正利 「ユーアー・ザ・オンリー」
澄み切ったハイトーンボイスと4オクターブの音域の持ち主として、デビュー当時から話題になった小野正利。大学在学中に「いかすバンド天国」に出場し、バンド自体は勝ち抜くことはできませんでしたが、ベストボーカリスト賞を受賞し、1992年、シングル「ピュアになれ」でデビューします。この曲「ユーアー・ザ・オンリー」は同じ92年に発表された3枚目のシングルで、ドラマ「君のためにできること」の主題歌となり大ヒットし、ミリオンセールスを記録します。また、日本レコード大賞最優秀新人賞も受賞し、紅白歌合戦にもデビュー7か月にして出場し、当時舟木一夫に継ぐ最短記録での初出場を果たしました。
その後、「フライ・アウェイ」「もっと美しくなれ」「キレイだね」などのヒット曲を放ちました。2007年には活躍の場を広げ、舞台である「イマジン9(セプテンバー)・11(イレブン)」に初出演し、初舞台とは思えない堂々とした演技が話題となり、12月には「アマデウス・ジャパン」でも主演を果たしました。
◆2月13日(金)
バリー・ホワイト 「あふれる愛を」
アメリカ・テキサス州出身のバリー・ホワイト。生まれてまもなくロサンゼルスに移り住み、5歳の時から教会の聖歌隊で歌い始め、同時にチャーチ・オルガンも弾き始めます。このことが彼の音楽的な原点となり、ピアノやキーボードを弾きこなし、1960年には、仲間と共にR&Bグループ“アップフロンツ”を結成。アップフロンツ解散後は、セッション・ミュージシャンや作曲家として活動をします。その間、“リー・バリー”の名前でインディーズ・デビューし、クラブなどで活動しますが、成功を収めることはできませんでした。彼の音楽的な成功は、ダイアン・テイラー、リンダ&クローディン・ジェームスを発掘した事からスタートしており、この3人を“ラブ・アンリミテッド”としてデビューさせ、1972年には「ウォーキング・イン・ザ・レイン」をプロデュースし、ミリオンセールスを記録しました。これをきっかけに、1973年、バリー自身も「アイム・ゴナ・ラブ・ユー」でソロ・デビュー。その後、続々とヒット曲を生み出しますが、バリーの人気を決定づけたのが、40人編成の“ラブ・アンリミテッド・オーケストラ”のシングル「愛のテーマ」。全米ナンバー1に輝くだけでなく、日本をはじめ各国でヒットし、世界的にその名が知られるようになりました。
この曲「あふれる愛を」は、1974年に発表された3枚目のアルバム『あふれる愛を』からのシングルカット。
セクシーなバリトン・ボイスと華麗なストリング・サウンドで、バリー・ホワイトとして初の全米ナンバー1に輝き、アルバムは200万枚を超すセールスを記録しました。90年代には、同じアルバム『あふれる愛を』に収められている「マイ・エブリシング」が、大人気ドラマ“アリー・マイ・ラブ”の劇中歌に起用され、リバイバルヒットしましたが、2003年、バリー・ホワイトは腎不全による合併症により、58歳で亡くなりました。
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