◆1月 5日(月)
レジーナ 「ベイビー・ラブ」
アメリカ、ニューヨーク、ブルックリン出身のレジーナ。大学卒業後の1980年、イギリスで、本名のレジーナ・リチャーズとして、シングル「タイガー」でデビューしました。この曲「ベイビー・ラブ」は、レジーナとして1986年に発表したデビューアルバム『キュオリシティ』からのファーストシングルで、アメリカ・シングル・チャートで10位を記録しました。
デビューアルバムを手掛けたプロデューサーのステファン・ブレイがマドンナとコラボレイトしていたこともあって、この曲のヒットで、レジーナは、ポスト・マドンナとして注目されます。しかし、セカンドアルバム『ベスト・ケプト・シークレット』は全く売れず、一発屋と言われています。ちなみにこの曲は、1991年にオーストラリアのダニー・ミノーグがカバー。リバイバル・ヒットしました
◆1月 6日(火)
和田アキ子 「あの鐘を鳴らすのはあなた」
高校を中退し、大阪のジャズ喫茶で歌っていたところをスカウトされ、1968年、「星空の孤独」でデビューした和田アキ子。長身から発せられるダイナミックな歌いっぷりから、「和製リズム・アンド・ブルースの女王」というキャッチ・コピーが付けられ、セカンドシングル「どしゃぶりの雨の中で」がヒットすると、人気歌手の仲間入りを果たします。1970年には「女番長・野良猫ロック」で初めて映画にも出演、そして、シングル「笑って許して」で、「紅白歌合戦」初出場を果たします。
この曲「あの鐘を鳴らすのあなた」は、1972年に発表した11枚目のシングル。阿久悠が作詞を、森田公一が作曲を担当し、日本レコード大賞最優秀歌曲賞を受賞し、自他共に認める和田アキ子を代表する1曲となりました。その後、この曲は、“ワッツ・ラブ?”、“サンボマスター”、“クレイジー・ケン・バンド”などにカバーされています。昨年は、デビュー40周年を記念して、ニューヨークのアポロシアターで日本人として初めてとなる単独公演を行い、話題になりました。
◆1月 7日(水)
エンヤ 「オリノコ・フロウ」
アイルランド、ドニゴール州出身のエンヤは、本人もいつから音楽に目覚めたのか分からないと語っている程、音楽に囲まれた環境で育ち、大学ではクラシック音楽を学びます。在学中に、彼女の兄と姉が結成した「クラナド」というバンドに参加して、キーボードとコーラスを担当しました。「クラナド」脱退後、ソロとして活動を始めるのですが、「クラナド」のプロデューサーを務めていたニッキー・ライアンとローマ・ライアン夫妻のバックアップを得て、まず、1985年、映画「かえる王子」のサウンド・トラックを手掛けます。次にBBCテレビの「幻の民(たみ)ケルト」というドキュメンタリー番組の音楽を担当し、この番組の音楽をまとめたアルバム『ケルツ』でデビューするとアイルランドのアルバムチャートで2位を記録します。
このアルバム『ケルツ』を聞いたWEAレコードの社長が「何年かかってもいいから、1枚の作品として評価されるアルバムを作って欲しい」と申し出て、アルバム『ウォーターマーク』が1988年に発表され、この曲「オリノコ・フロウ」がシングルカットされると、イギリスで3週連続1を記録、ヨーロッパ各国でも1を獲得し、日本でもヒットし、その名が世界的に知られるようになりました。続いて発表されたセカンドアルバム『シェパード・ムーン』も、イギリスで1位を獲得し、さらにアメリカ、ビルボード・チャートでは約4年間199週にわたってチャートインする超ロングヒットとなって全世界で1200万枚のセールスを記録し、グラミー賞も獲得しました。去年は3年ぶりとなるニューアルバム『雪と氷の旋律』を発表し、その中の「ありふれた奇跡」が明日から始まるドラマ「ありふれた奇跡」の主題歌になっています。
◆1月 8日(木)
チャ・チャ 「ビギニング」
勝俣州和、松原桃太郎、西尾拓美、木野正人、中村亘利(のぶとし)の5人で結成されたアイドルグループ、チャ・チャ。もともとは、テレビ番組「欽きらリン530(ごーさんまる)」で、欽チャンファミリーの一員として、番組に寄せられたハガキのネタに茶々を入れる“茶々隊”として結成され、1988年、「チャ・チャ」としてデビューします。
そのデビューシングルがこの曲「ビギニング」で、「欽きらリン530」のエンディング・テーマとしてヒット。続くセカンドシングル「いわゆるひとつの誤解デス」がオリコン2位を記録しますが、90年に木野が脱退。
1992年、渋谷公会堂でのコンサートをもって解散しました。
◆1月 9日(金)
バーズ 「ターン・ターン・ターン」
1964年、アメリカ・ロサンゼルスで、ロジャー・マッギン、ジーン・クラーク、デビッド・クロスビーが結成したジェット・セットに、クリス・ヒルマン、マイケル・クラークが加わって誕生したバーズ。1965年、ボブ・ディランの楽曲である「ミスター・タンブリン・マン」でデビューすると、全米ナンバー1を獲得。ボブ・ディランの楽曲をビートルズ風にアレンジした“フォーク・ロック”が注目を浴び、60年代のアメリカを代表するロック・バンドとなります。この曲「ターン・ターン・ターン」は、旧約聖書の伝道者の書にピート・シガーが曲を付けたもののカバー。レコーディングでは78回も録り直しが行われ、何度もメンバー同士が掴み合いの喧嘩をしたというエピソードが残っていますが、その甲斐もあって再び全米ナンバー1に輝きました。
1966年には、当時のサイケデリック・ムーブメントを先取りした「霧の8マイル」を発表。ジョン・コルトレーンの影響を受けたロジャー・マッギンが12弦のギターで奏でる不協和音のようなイントロは、世界初の“サイケデリック・ロック”と言われ、サイケデリックな方向へと発展します。その後、メンバー間の対立が表面化。メンバーチェンジが行われ、グラム・パーソンズが加入すると、カントリー・ロックの要素も加わりますが、1973年解散してしまいます。
|