◆12月 29日(月)
ピンク・フロイド 「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」
イギリス、ロンドンの建築学校の同級生だったロジャー・ウォーターズ、リチャード・ライト、ニック・メイスンにシド・バレットが加わって、1965年、ピンク・フロイドが結成されます。はじめは、サイケデリック・ロック・バンドとしてスタートし、67年、シングル「アーノルド・レーン」でデビューするのですが、シド・バレットに代わって、ディビッド・ギルモアが加入すると、音楽性は一変。ロックとオーケストラを融合させたプログレッシブ・サウンドへ移行、1970年、アルバム『原子心母』が全英1位を獲得し、その名が知られるようになります。そして、1973年にリリースされたアルバム『狂気』は、全米アルバム・チャートでも初めて1位を獲得し、ビルボードチャートで、14年以上にわたり741週連続チャートインというギネス公認のモンスターアルバムとなり、全世界で3000万以上のセールスを記録しました。
この曲「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」は1979年に発表した2枚組のアルバム『ザ・ウォール』からのシングル曲で、10代の子供たちのコーラスが印象的な楽曲となり、全米シングルチャートでも初めて1を獲得しました。また、アラン・パーカー監督がこのアルバムのコンセプトを元に映画を作成したことも、話題になりました。その後、メンバーの不仲が表面化して、ロジャー・ウォーターズが脱退。ディビッド・ギルモアを中心にバンド活動が行われますが、2005年、アフリカ貧困撲滅チャリティイベント「ライブ8」で、25年ぶりに4人のメンバーが揃ってライブを行い、往年のファンを喜ばせてくれました。
◆12月 30日(火)
岡本真夜 「トゥモロー」
高校卒業後、アーティストを目指して、高知県から上京し、1995年、この曲「トゥモロー」でデビューした岡本真夜。田中美佐子主演のドラマ「セカンド・チャンス」のテーマソングとなり、オリコンシングルチャートで1位を獲得すると、200万枚を超す大ヒットを記録。翌96年には、春の選抜高校野球の入場行進曲に選ばれました。デビュー当初は、テレビ出演も全くなく、ライブも一切行っていなかったのですが、95年12月に初めてライブを行い、その年の紅白歌合戦で、初めてメディア出演を果たし、話題になりました。
その後、「アローン」「そのままの君でいて」などのヒット曲を放ち、また、中山美穂、中森明菜、同郷の広末涼子などへ楽曲の提供をし、さらに最近では、エッセイの執筆や写真展の開催なども行い、幅広い活動を行っています。今年10月には10枚目のオリジナルアルバム『シーズンス』を発表。ライブツアーもスタートさせ、来年1月12日に赤坂ブリッツでライブが行われます。
◆12月 31日(水)
リサ・ローブ&ナイン・ストーリーズ 「ステイ」
アメリカ、テキサス州ダラス出身のリサ・ローブは、幼い頃からピアノのレッスンを受け、音楽に親しんでおり、中学に入るとギターを弾き始めるようになります。大学入学すると、「リズ&リサ」というバンドを結成しますが、卒業後は、ソロとして活動をはじめ、ニューヨークに移り住みます。そこで、友人で俳優をしているイーサン・ホークに頼まれて、彼が出演する映画「リアリティー・バイツ」のデモテープを録音するのですが、そのデモがこの曲「ステイ」で、映画のエンディング・テーマとなり、発売されると瞬く間に売れ、全米シングルチャートで3週連続1となり、75万枚を超すセールスを記録する大ヒットとなりました。この時、リサ・ローブはどのレコード会社とも契約を結んでおらず、レコード会社未契約アーティストが1位を獲得という史上初の快挙を成し遂げました。
その後彼女を巡ってレコード会社による争奪戦が繰り広げられて、翌95年にアルバム『テイルズ』でデビュー。大きな眼鏡がトレードマークで、文学性に富んだ歌詞と温かなアコースティック・サウンドでゴールド・ディスクを獲得しました。また、音楽活動を行う一方で、映画『シリアル・キリング・フォー・ダミーズ』で
主役を演じるなど、女優としても活躍しています。今年、アルバム『キャンプ・リサ』を発表したのですが、恵まれない子供たちがサマー・キャンプに参加出来るように「キャンプ・リサ・ファンデーション」という基金を設立して、このCDの売り上げがこの基金の運営に使用されることになっています。さらに今月、ビルボード東京で3年ぶりに来日公演を行いました。
◆1月 1日(木)
パフィー 「これが私の生きる道」
大貫亜美と吉村由美の女性2人組ユニット、パフィー。それぞれ、別々のオーディションで合格し、95年にパフィーを結成。奥田民生初プロデュースのもとで、井上陽水が作詞を担当したシングル「アジアの純真」でデビューします。オリコンシングルチャートの最高位は3位だったものの、予想以上のロングヒットとなり、ミリオンセールスを記録します。この曲「これが私の生きる道」は、デビューシングルがロングヒットする中、発表されたセカンドシングルで、オリコン1位を獲得し、この曲もミリオンセールスを記録し、オリコン史上初となるデビューから2作連続ミリオンを記録すると同時に、パフィー最大のヒット曲となりました。
タイトルは、クレイジー・キャッツの「これが男の生きる道」のパロディで、曲中にはビートルズの「デイ・トリッパー」のギターリフを織り込むなど、奥田民生の遊び心が詰まった楽曲としても話題になりました。さらに、翌97年の春の選抜高校野球の入場行進曲としても採用されました。2002年からは、北米ツアーも行い、アメリカやカナダでは「パフィー・アミユミ」として知られており、2人をモデルにしたアニメ「ハイハイ・パフィー・アミユミ」が全米で放送されました。
◆1月 2日(金)
クランベリーズ 「ドリームス」
ノエルとマイクのホーガン兄弟とファーガル・ロウラーを中心として、1990年、アイルランド・リムリックで結成したクランベリーズ。そこに女性ボーカルのドロレス・オリオーダンが加入。最初に作られたデモテープが地元のインディーズ・レーベルから発売されるとこれが話題となり、1992年、アイランド・レコードと契約。翌93年、この曲「ドリームス」でデビューしますが、地元アイルランドでは話題になることがありませんでした。アルバム『ドリームス』と共にアメリカへ渡って、全米ツアーを行うと、このアルバムからのシングル「リンガー」が大ヒットし、アルバムはダブル・プラチナを獲得しました。アイルランドに凱旋すると、アルバムは1位を獲得し、この曲「ドリームス」が再びヒットしました。続くセカンドアルバム『ノー・ニード・トゥ・アーギュー』は、全世界で1200万枚のセールスを記録。25カ国で1位に輝き、世界的な人気バンドとしての地位を確立しました。
2001年、6枚目のアルバム『ウェイク・アップ・アンド・スメル・ザ・コーヒー』を発表後、ボーカルのドロレスがバンドからの脱退を表明。クランベリーズは活動休止を余儀なくされてしまいます。この曲は、映画「ユー・ガット・メール」の主題歌や様々なCMソングに起用され、香港の人気歌手フェイ・ウォンが「夢中人(モンチョンレン)」というタイトルでカバー。こちらも大ヒットしました。
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