番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT

◆11月 10日(月)
シスター・スレッジ  「ウィ・アー・ファミリー」

アメリカ、フィラデルフィア出身のデブラ、ジョニ、キム、ケイシーのスレッジ4姉妹が1971年に結成したシスター・スレッジ。女性版のジャクソン5を目指し、バック・コーラスとして活動をはじめ、地元のインディーズ・レーベルからシングル「タイム・ウィル・テル」でデビューします。そして、1975年にアトランティック・レーベルからアルバム『サークル・オブ・ラブ』を発表しますが、ヒット曲には恵まれませんでした。
その才能は、シックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズがプロデュースを担当した1979年の3枚目のアルバム『華麗なる妖精たち』で開花。まずシングル「グレイテスト・ダンサー」が全米R&Bチャートでナンバー1に輝き、その名が知られるようになります。この曲「ウィ・アー・ファミリー」は、1979年、全米シングルチャートで2位を記録。シスター・スレッジは、一躍トップ・グループへと登りつめます。この曲は世代を超えてヒットし、2001年9月11日の同時多発テロの犠牲者、2005年ニューオリンズを襲ったハリケーン・カトリーナの被災者援助のためにチャリティ・シングルとしてレコーディングされました。

◆11月 11日(火)
石川ひとみ  「まちぶせ」

オーディション番組「君こそスターだ」の第20代グランドチャンピオンに輝き、1978年、シングル「右向け右」で歌手デビューした石川ひとみ。つづく2枚目のシングル「くるみ割り人形」以外、ヒット曲に恵まれませんでしたが、1981年、11枚目のシングルとして、三木聖子のカバーとなるこの曲「まちぶせ」を発表すると、じわじわとランキングが上がり、オリコンで自己最高となる6位を記録し、その年の紅白歌合戦に初出場を果たしました。紅白歌合戦では、感極まって泣き出してしまい、最後までしっかり歌いきれなかったというエピソードも残っています。
その後、人形劇「プリンプリン物語」の声優として主役、プリンセス・プリンプリンの声を担当したり、歌番組「レッツゴーヤング」の司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍しました。1987年、B型肝炎を発症し、闘病生活を余儀なくされますが、翌88年に見事にカムバック。現在は、ビギンが開発した指1本で引けるという楽器、一五一会を使ったアルバムを発表しています。

◆11月 12日(水)
ビッグ・カントリー  「イン・ナ・ビッグ・カントリー」

スコットランド、グラスゴー出身の4人組ロックバンド、ビッグ・カントリー。元ザ・スキッズというパンク・バンドのメンバーだったスチュアート・アダムソンが、スチュアートの古くからの友人でギター、ブルース・ワトソンを誘い、さらにオン・ジ・エアというバンドで活動していたドラムのマーク・ブレゼジッキーとベースのトニー・バトラーが加わって、1981年、ビッグ・カントリーが結成されます。1982年、クリス・トーマスがプロデュースしたシングル「ハーベスト・ホーム」でデビューしますが、全く売れなかったために、U2のプロデュースで有名なスティーブ・リリーホワイトをプロデューサーに迎え、セカンドシングル「フィールズ・オブ・ファイヤー」を発表し、全英10位を記録します。
この曲「イン・ア・ビッグ・カントリー」は3枚目のシングル曲で、イギリスのみならず、アメリカでもヒットし、日本でも当時、柳ジョージがカバーしました。バグパイプに似せたギターサウンドでケルト的な雰囲気を醸し出し、世界的な人気を博し、ファーストアルバム『イン・ナ・ビッグ・カントリー』は、全英で3位を記録しました。続くセカンドアルバム『スティール・タウン』は、全英チャートで1位を獲得し、大ヒットアルバムとなりました。1999年、アルバム『ドライビング・トゥ・ダマスカス』を発表すると、バンド活動に終止符が打たれ、解散してしまいます。2001年、中心メンバーのスチュアート・アダムソンがハワイのホテルで不慮の死を遂げるのですが、スチュアートの遺志を継ぐ形で、残りの3人が、ビッグ・カントリーを再結成させて、現在も活動中です。

◆11月 13日(木)
ハイ・ファイ・セット  「フィーリング」

「翼をください」で知られた「赤い鳥」が解散後、山本潤子、山本俊彦、大川茂の3人が1974年に結成したハイ・ファイ・セット。1975年、荒井由実の「卒業写真」でデビューすると、山本潤子のソプラノ、山本俊彦のテナー、大川茂のバスが絶妙にかみ合い、抜群のコーラス・ワークと選曲眼で70年代のポップス界に涼風を吹き込みました。「卒業写真」をはじめ、「冷たい雨」「海を見ていた午後」「雨のステイション」「中央フリーウェイ」などユーミンのカバーには定評があり、ユーミン自身が成功するきっかけの一つになりました。
この曲「フィーリング」は、ブラジルのシンガーソングライター、モーリス・アルバートの1975年のヒット曲のカバーで、なかにし礼が日本語の詩をつけて、大ヒット。紅白歌合戦にも初出場を果たしました。また、この曲を収めたアルバム『ラブ・コレクション』は、オリコンのアルバムチャートで13週連続1位を記録。1977年にもっとも売れたアルバムになりました。1980年に一旦活動停止するものの、翌81年に活動を再開。4ビートジャズを日本語詩で歌うなどの新境地を開拓しますが、1994年にハイ・ファイ・セットは解散しています。

◆11月 14日(金)
ティファニー  「ふたりの世界」

アメリカ・カリフォルニア州出身のティファニー。幼い頃から、素人のど自慢大会などで優勝を重ね、人気を集めていました。13歳の時にデモテープを作ったところ、レコード会社5社からオファーがあり、1987年、15歳の時、この「ふたりの世界」でデビューします。この曲は、トミー・ジェイムス&ションデルズの1967年のヒット曲で、オリジナルを凌ぐ大ヒット。ティファニーは史上3番目の10代女性歌手の全米ナンバー1を記録し、全英でも1位を獲得しました。
つづく「クッドゥ・ビーン」も全米ナンバー1に輝き、これらの曲を収めたファーストアルバム『ティファニー』も1位を獲得。日本ではいくつかのCMに出演するなど大人気となりました。2枚目のアルバムも成功を収めますが、その後、私生活のゴシップとマネジメントを巡っての裁判でイメージがダウンし、表舞台から姿を消してしまいます。しかし、2000年にカムバック。2005年、イギリスの80年代の歌手が復活する番組「ヒット・ミー・ベイビー・ワン・モア・タイム」で見事優勝。現在も音楽活動を続けています。

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