◆11月 3日(月)
スティービー・ワンダー 「心の愛」
アメリカ、ミシガン州出身のスティービー・ワンダー。彼は早産で生まれ、保育器に入れられたのですが、保育器内の過量酸素で視力を失ってしまいます。そんなスティービーは、教会の聖歌隊で音楽を学び、11歳の頃にはハーモニカ、ピアノ、ドラムをマスターし、12歳で、モータウンレコードと契約。リトル・スティービーでデビューすると、シングル「フィンガーティップス」で全米1に輝きます。
70年代に入ると、自作のプロデュース権を獲得し、『トーキング・ブック』、『インナー・ビジョンズ』、『ファースト・フィナーレ』というアルバム3部作を作り上げ、「迷信」、「サンシャイン」、「ハイアー・グランド」といったスティービーを代表するヒット曲がうまれます。また2枚組アルバム『キー・オブ・ライフ』は、14週連続1に輝きグラミー賞でも5部門を独占して、スティービーは名実ともに、アメリカを代表するスーパースターになりました。この曲「心の愛」は、1984年のジーン・ワイルダー監督のコメディ映画「ウーマン・イン・レッド」の主題歌。意外にもイギリスで初めて1に輝き、アメリカ、イギリスで1位を獲得。さらにスティービーにとって初めてアカデミー主題歌賞を受賞しました。
◆11月 4日(火)
WINK 「愛がとまらない」
鈴木早智子と相田翔子の2人組ポップス・ユニット、ウインクは、1988年にルベッツのカバー曲「シュガー・ベイビー・ラブ」でデビューします。この曲「愛がとまらない」は、ストック/エイトケン/ウォーターマンが作った楽曲で、「ターン・イット・イントゥ・ラブ」というタイトルで、カイリー・ミノーグがヒットさせましたが、ウインクが3枚目のシングルとしてカバー。南野陽子主演のドラマ「追いかけたいの」の主題歌になり、オリコンのシングルチャート1位に輝き、70万枚を超すヒットとなりました。
また、WINKは、マリオネット風の独特なパフォーマンスが受け、続く「涙をみせないで」も1位となり、1989年、「淋しい熱帯魚」は日本レコード大賞を受賞し、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。ノーランズのカバー曲である「セクシー・ミュージック」まで5曲連続1を獲得し、アイドル低迷期の90年代初めに、正統派アイドルとして、その地位を確立しましたが、1996年3月、8年間に及ぶ活動を停止。現在はそれぞれタレントとして活動をしています。
◆11月 5日(水)
K-ci&ジョジョ 「オール・マイ・ライフ」
アメリカ、ノース・カロライナ州出身のK-ciとジョジョのヘイリー兄弟によるボーカル・デュオK-ci&ジョジョ。幼い頃から教会の聖歌隊で歌っていた2人は、家族で結成したコーラス・グループで地元でも知られていたのですが、その後、その教会の牧師の息子であるディグレット兄弟と1991年にジョデシーを結成して、3枚のアルバムをリリースして大ヒットするものの、1996年に活動を休止してしまいます。そして、1997年、K-ci&ジョジョとしてアルバム『ラブ・オールウェイズ』を発表すると、グラミー賞で2部門にノミネートされ、400万枚を超すセールスを記録し、1R&Bデュオとしての地位を不動のものとしました。
特に、この曲「オール・マイ・ライフ」は全米を始め各国で1に輝き、ウェンデング・ソングとして今なお人気の楽曲となっています。今年2月には、Jポップのヒット曲ばかりをカバーしたアルバム『ラブ』を発表し、
来日公演を行いましたが、11月1日、2日、そして昨日、ボビー・バレンチノとのジョイントコンサートを行いました。
◆11月 6日(木)
楠瀬誠志郎 「ほっとけないよ」
音楽家の両親のもと、幼少時代に聖歌隊に参加するなど、音楽に囲まれた環境の中で過ごした楠瀬誠志郎。高校生の時に、「新宿ロフト」でシュガーベイブに出会い、衝撃を受け、ドラマーの村上“ポンタ”秀一に弟子入りし、杉真理、エポ、来生たかお、松岡直也などのコーラスに参加するようになり、さらに自ら曲作りを手掛けるようになります。その後、楠瀬が手掛けたCMソングを耳にしたレコード会社のスタッフの誘いで、プロデビューすることになり、1986年シングル「宝島」、アルバム『宝島』でデビューします。
この曲「ほっとけないよ」は、1991年に発表した11枚目のシングルで、ドラマ「ADブギ」の主題歌となり、オリコンシングルチャートで6位となり、70万枚のセールスを記録し、楠瀬を代表する1曲となりました。また、郷ひろみの「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」をはじめ、沢田研二、工藤静香、SMAPといった幅広いジャンルのアーティストに楽曲を提供している作曲家としても知られています。
◆11月 7日(金)
ドーン 「幸せの黄色いリボン」
トニー・オーランド、テルマ・ポプキンス、ジョイス・ウィルソンの3人組、ドーン。当初は、正体不明の覆面グループとして、その活動をスタートさせます。中心メンバー、ニューヨーク出身のトニー・オーランドは、幼い頃から街頭で歌っていましたが、13歳の時から、スタジオ・シンガーとして活動。そして、一度、歌手を辞め、音楽の出版社で働くようになります。1970年、シングル「恋するキャンディダ」を制作するにあたって、トニーが名前を出さないことを条件にボーカルを担当。全米3位を記録し、トニー・オーランドは、ドーンとして歌手に復帰します。さらに、テルマ・ポプキンス、ジョイス・ウィルソンがバック・コーラスに加わり、正式にドーンが結成。1971年には、「ノックは3回」が全米ナンバー1に輝きます。この曲「幸せの黄色いリボン」は、1973年に発表されたシングル曲で、全米ナンバー1だけでなく、全英でも1位に輝き、300万枚を超すセールスを記録。1973年の年間1位も獲得しました。
この曲は、元服役囚が妻に「今でも自分を愛しているなら古い樫の木に黄色いリボンを飾っておいて欲しい。なければそのままどこかへ行くから」という手紙を書いて、家に戻ったところ樫の木いっぱいにリボンが結ばれていたという実話を元に作られた楽曲。世界中で1000曲以上リメイク版が作られ、日本では、山田洋次監督が日本風にアレンジした「幸せの黄色いハンカチ」として映画化し、話題になりました。その後、ドーンは、“トニー・オーランド&ドーン”に名前を変更。「嘆きのジプシー・ローズ」「恋のシーソーゲーム」などのヒット曲を生み出しますが、1978年、トニー・オーランドが独立する形でグループは消滅してしまいました。
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