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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT

◆10月 27日(月)
レイ・ケネディ  「ジャスト・フォー・ザ・モーメント」

レイ・ケネディ、カーマイン・アピス、マイク・ブルームフィールドらが結成したKGB。1976年、アルバム『KGB』でデビューし、レイ・ケネディのハスキーでソウルフルなボーカルでその名が知られるようになります。同じく76年にセカンドアルバム『モーション』を発表しますが、バンドは解散。1980年、レイ・ケネディは、アルバム『レイ・ケネディ』でソロデビューを果たします。このアルバム『レイ・ケネディ』は、デビッド・フォスターが全面的にプロデュース。バックをスティーブ・ルカサー、スティーブ・ポーカロ、マイク・ポーカロ、ジェフ・ポーカロといったトトのメンバーが固め、AORを代表的する1枚になります。
この曲「ジャスト・フォー・ザ・モーメント」は、都会的でお洒落なサウンドとして日本ではパーラメントのCMソングに採用。また、アルバムのジャケットをコマーシャル・フォトの巨匠として有名なモシャ・ブラカが担当したことでも話題になりました。その後、レイ・ケネディは、マルチ・プレイヤーだったこともあって、ボーカル以外にもギター、ベース、キーボードのプレイヤーとして、様々なアーティストの作品に参加したり、楽曲提供、プロデューサーとして活躍。1992年には、アルバム『ギター・マン』を発表しています。

◆10月 28日(火)
布袋寅泰  「ビート・エモーション」

1982年、ボウイのギタリストとしてデビューした布袋寅泰。1988年に、ボウイが解散すると、ボウイの音楽性とは全く違った、コンピューターを駆使したデジタル・ロックで、全編英語詞というアルバム『ギタリズム』でソロデビューします。翌89年には、吉川晃司とコンプレックスを結成し、「ビー・マイ・ベイビー」でデビュー。時代の先駆け的な試みとして個性を発揮しますが、わずか2年で活動を休止し、再びソロとして活動を再開します。この曲「ビート・エモーション」は、シングル「デジャブ」に続くセカンドシングルとして1991年に発表され、オリコンシングルチャートで、初の1位を獲得します。その後は、数々のヒット曲を放つ一方、
ギタリストとしても世界的に知られるようになります。マイケル・ケイメンのオファーでアトランタ・オリンピックの閉会式に出演したり、クエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」のテーマ曲に、「バトル・ウィザウト・オナー・オア・ヒューマニティ」が起用されます。
また俳優として、映画「SF〜サムライ・フィクション」「新・仁義なき戦い」に出演したり、今井美樹、江角キコ、相川七瀬などのプロデュースを手掛けるなど、幅広く活躍しています。今年は、クレバ、亀田誠治と共にザ・スリーという期間限定ユニットで、「隠し砦の三悪人」の主題歌「裏切り御免」を発表。今月18日には東大寺大仏殿の前で、平城遷都1300年記念東大寺世界遺産記念コンサートを行い話題になりました。

◆10月 29日(水)
スタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト 「イパネマの娘」

ブラジル、リオデジャネイロ出身のアントニオ・カルロス・ジョビンは、幼い頃から音楽に親しみ20歳の時にナイトクラブでピアノを弾くようになり、28歳でアレンジャーとして音楽業界に足を踏み入れます。作曲家として脚光を浴びるようになったのは、作詞家であり、詩人であるビニシウス・ヂ・モライスとの出会いからで、この2人が作った「想いあふれて」という曲を1958年にジョアン・ジルベルトがレコーディングし、最初のボサノバ・ソングが生まれました。その後、ブラジルでは、ボサノバ・ムーブメントが起きますが、これが世界的なブームとなったのは、カルロス・ジョビンとヂ・モライスが作ったこの曲「イパネマの娘」のヒットがきっかけでした。1964年、アメリカ、フィラデルフィア出身のテナーサックス奏者スタン・ゲッツからの誘いで、ジョアン・ジルベルトがアルバム『ゲッツ/ジルベルト』をレコーディングします。
そして、この曲「イパネマの娘」もレコーディングしたのですが、ジョアンの妻であるアストラッド・ジルベルトも飛び入りで英語で共演したところ、その英語で歌った部分がシングルカットされて、空前の大ヒットとなり、アメリカのみならず、世界中でこの曲が知られるようになります。このアルバムは、すぐに100万枚を突破するセールスを記録し、グラミー賞にも輝き、「イパネマの娘」は世界で最もラジオでオンエアされ、ビートルズの「イエスタデー」に次いで、世界中のアーティストにカバーされた楽曲となりました。なお、ボサノバ生誕50周年を記念して、11月1日・2日・3日にジョアン・ジルベルトが来日公演を行います。

◆10月 30日(木)
本田美奈子 「1986年のマリリン」

原宿でスカウトされて芸能界に入った本田美奈子。その歌唱力の高さを見込まれて歌手として活動をスタートさせます。1984年、長崎歌謡祭でグランプリを受賞し、1985年、「殺意のバカンス」でデビュー。4枚目のシングル「テンプテーション〜誘惑」がヒットし、デビューからわずか8ヶ月で武道館コンサートを成功させます。さらに、その年のレコード大賞、日本有線大賞などの新人賞を総なめにします。この曲「1986年のマリリン」は、翌86年に発表した5枚目のシングル曲で、当時のアイドル歌手としては異例の“へそ出しルック”が世間に衝撃を与え、広く知られるきっかけとなって、オリコン3位を記録。本田美奈子最大のヒット曲となりました。その後は、女性だけのロックバンド「ミナコ・ウィズ・ワイルド・キャット」を結成するなど、アイドルからアーティストへの脱却を目指します。そして、1990年、ミュージカル「ミス・サイゴン」の一般オーディションで、1万2000人の中から、見事ヒロインのキム役に選出。
1年半に及ぶロングランをこなして、ミュージカル女優として成功をおさめます。2003年には、クラシックの曲に日本語詞をつけてソプラノの歌声で歌うというユニークなスタイルのアルバム『アベ・マリア』を発表するなど、精力的に活動しますが、2005年11月、急性骨髄性白血病のために38歳という若さでこの世を去りました。来月6日には、クィーンのブライアン・メイと“21年ぶりの共演”という形の追悼リミックスアルバム『エターナル・ハーモニー』が発売されます。

◆10月 31日(金)
リッキー・リー・ジョーンズ 「恋するチャック」

アメリカ、シカゴ生まれのリッキー・リー・ジョーンズ。ショー・ビスネス界での成功を目指しながらも、波乱に満ちた青春期を過ごした彼女は、19歳の時に、ロサンゼルスに来ます。そして、ウェイトレスをしながら、ナイトクラブで歌っていた時、この曲のモデルとなったチャック・E・ワイスと知り合い、彼を通してトム・ウェイツのアルバムに参加することになります。そして、リトル・フィートのローウェル・ジョージが、彼女のデモテープを気に入ったことがきっかけとなって、マイケル・マクドナルド、ランディ・ニューマン、スティーブ・ガッド、ニック・デカロといったアメリカ西海岸の超一流のミュージシャンが参加したデビューアルバム『浪漫』を発表。全米3位を記録し、グラミー賞最優秀新人賞を受賞します。
この曲「恋するチャッキー」は、彼女のデビュー曲で、全米シングルチャートで4位を記録、彼女を代表する1曲になりました。その後は、流行にとらわれない独自のスタイルで活動を続け、去年、4年ぶりのニューアルバム『サーモン・オン・エクスポジション・ブルバード』を発表。来日公演も行い、話題になりました。

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