◆9月 22日(月)
ミシェル・ポルナレフ 「シェリーにくちづけ」
南フランスのネラクという小さな町で生まれたミシェル・ポルナレフ。第2次世界大戦中、ロシアから亡命してきた、音楽家の父レオ・ポルの下で、幼少の頃からピアノを学び、パリ音楽院に入学。天才ピアニストの名をほしいままにし、将来は、コンサートピアニストを嘱望されていましたが、エルビス・プレスリーのロックンロールに出会い、ギターを片手に、パリでストリート・ミュージシャンとして活動するようになります。その後、ヨーロッパを放浪し、英語圏でのデビューを目指してイギリスに渡りますが、パリに戻り、1966年シングル「ノンノン人形」でデビュー。これがフランス国内で大ヒットし、1STアルバム『愛と青春のトルバドール』を発表すると、一躍スターダムに上り詰めます。
この曲「シェリーにくちづけ」は、1969年に発表されたシングル曲で、日本では、発売当時、ヒットの兆しはありませんでした。ところが、1971年に再発されると、ブロンドのカリーヘアに大きなサングラスという風貌の人気も相まって、40万枚を超す大ヒット。翌72年には、日本武道館で行われた「第3回世界歌謡祭」にゲスト出演し、さらに日本ツアーも敢行。大掛かりな照明装置を駆使した、派手なステージ演出が話題になりました。
1974年、突然、アメリカでのデビューを目指して、ロサンゼルスへ移住しますが、デビューするものの、成功を手にすることは出来ず、80年代になると、全く音沙汰がなくなってしまいます。しかし、去年、34年ぶりに母国フランスでコンサートツアーを行い、大いに話題になりました。
◆9月 24日(水)
シルビー・バルタン 「あなたのとりこ」
ブルガリア生まれのシルビー・バルタンは、8歳の時に共産党政権下のブルガリアを逃れて、家族とともにパリへ移住しました。17歳の時に、フランキー・ジョルダンとデュエットした「恋のハプニング」でデビューすると、ロック調のイエイエの台頭とともに、ヒット曲をとばし、シングル「悲しきスクリーン」でスターダムにのし上がります。1964年、映画「アイドルを探せ」に出演し、主題歌である「アイドルを探せ」を歌い、この曲が日本でも大ヒットし、シルビー旋風が巻き起こり、初来日の1965年には羽田に1000人のファンが詰めかけました。
その後、フランスのエルビス・プレスリーと言われた歌手ジョニー・アリディと結婚し、息子を出産しますが、その直後、交通事故に遭います。この曲「あなたのとりこ」は、その試練を経験した後に生まれた楽曲で、大ヒットとなり、彼女を代表する1曲となっています。最近では映画「ウォーターボーイズ」の挿入歌に使われたこともあって、リバイバルヒットしています。
70年代以降は、歌って踊れるアーティストとして、さらに女優として成功をおさめていますが、今年2月にニューアルバム『ヌーベル・ヴァーグ』を発表し、3年ぶりに来日コンサートも行い、パワフルでファッショナブルなステージでファンを魅了しました。
◆9月 25日(木)
ルナシー 「トゥルー・ブルー」
1989年、リュウイチ、スギゾウ、イノラン、J、真矢の5人が結成し、町田のライブハウスを拠点に活動をスタートしたルナシー。精力的にライブを行い、動員数を増やしていき、Xのヒデが気に入って、ヨシキに引き合わせたのがきっかけで、1991年、エクスタシー・レコードから1STアルバム『ルナシー』を発表します。その年の年末には日本青年館2Daysを成功させ、92年、2NDアルバム『イメージ』で満を持してメジャーデビューを飾りました。3枚目のアルバム『エデン』発表後、初の武道館2Daysを行いますが、台風直撃のために公演が延期になり、「嵐を呼ぶバンド」伝説が生まれます。
この曲「トゥルー・ブルー」は、ルナシーの4枚目のシングルで、ノンタイアップながらオリコンのシングルチャートで、初登場1位という快挙を成し遂げ、ルナシーを代表する1曲となっています。97年、充電期間の為に1年間活動を休止しますが、98年活動を再開し、99年東京ビッグサイトで10万人を動員したライブを行いましたが、この時もライブ3日前に突風が吹き荒れ、セットが倒壊し、その中で奇跡的にライブを行いました。
そして、2000年に12年間に及ぶ活動にピリオドを打ったのですが、去年の12月に一夜限りのコンサートを東京ドームで行い、さらに今年の5月ヒデの追悼ライブに出演し、ファンを大いに沸かせました。
◆9月 26日(金)
ジリオラ・チンクエッティ 「雨」
イタリア、ベローナ出身のジリオラ・チンクエッティ。地元の音楽学校を卒業後、1963年に「瞳にいっぱいの涙」でデビューします。続いてセカンドシングル「夢みる想い」を発表すると、これでカストロカーロ新人コンテストに優勝。その勢いに乗って出場したサンレモ音楽祭でも、初出場初優勝を果たします。さらにユーロビジョン・ソング・コンテストでも優勝という偉業を成し遂げ、16歳ながら、世界的にその名が知られるようになります。1966年には「愛は限りなく」がサンレモ音楽祭で2度目の優勝を果たし、日本でもカンツォーネ・ブームを巻き起こしました。
この曲「雨」は、サンレモ音楽祭で入賞した曲で、特に日本で大ヒット。イタリア語バージョンが45万枚売り上げ、さらに日本語バージョンも10万枚のセールスを記録しました。
その後、ジリオラは、1979年に結婚。2人の男の子の育児に専念するために引退しましたが、89年に復帰。90年にはデビュー25周年ヨーロッパ・ツアーを行い、ニューアルバムを発表するなど、現在も精力的に活動を続けています。
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