◆8月 25日(月)
エルビス・プレスリー 「監獄ロック」
「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれ、「最も成功を収めたソロ・アーティスト」としてギネスにも認定されているエルビス・プレスリーは、アメリカ、ミシシッピー州の貧しい家庭に生まれました。幼い頃は聖歌隊でゴスペルを歌っていたのですが、13歳の時にメンフィスに引っ越して、黒人のソウルミュージックであるリズム&ブルースにのめり込むようになります。高校卒業後、トラックの運転手として働いていたエルビスは、母親の誕生日のお祝いとしてサン・スタジオでレコードを吹き込みますが、それが、オーナーのサム・フィリップスの耳に止まり、1954年、「ザッツ・オール・ライト」でデビュー。メンフィスのラジオ局にリクエストが殺到します。
そして、エルビスはメジャーのRCAに移籍して、その第1弾となるシングル「ハートブレイク・ホテル」は、8週連続1を記録し、ここから、エルビスの快進撃がスタートします。この曲は、ロックの始まりの曲といわれ、多くのアーティストが影響を受けました。特に、当時普及し始めたテレビに、黒人さながらのリズム感と発声で、ギターを抱え激しく腰を振るというステージ・パフォーマンスが映し出されて、あっという間に若者をとりこにしてしまいました。
その後、エルビスは、積極的に映画に出演するようになり、その主題歌を歌い、映画も主題歌もヒットするというスタイルを確立させます。この曲「監獄ロック」は、1957年に公開したエルビス主演3作目の映画「監獄ロック」の主題歌で全米で7週連続1を、全英で3週連続1を記録しました。58年に徴兵制のために軍隊に召集されますが、60年に華々しく復活。31本の映画に主演し、60年代の後半からは、ラスベガスでショーを行うエンターテイナーとして人気を博しましたが、1977年、42歳という若さで亡くなりました。
◆8月 26日(火)
プラターズ 「オンリーユー」
アメリカ、ロサンゼルスで、1953年、ハーブ・リードを中心に結成された黒人コーラス・グループ、プラターズ。はじめは、男性5人組としてデビューしたのですが、作曲家であるバック・ラムに見出されて、メンバー・チェンジを行い、リードシンガーにトニー・ウィリアムス、さらに女性シンガー、ゾーラ・テイラーを加えた男女混成5人組に変更します。
そして、1955年、バック・ラムが書いたこの曲「オンリー・ユー」でマーキュリーからメジャー・デビュー。9ヶ月かかって「オンリー・ユー」が全米5位を記録し、その名が知られるようになると、バック・ラムが書いた「グレート・プリテンダー」が全米1に輝き、黒人コーラス・グループ初の1位として音楽史に記録されます。
その後も「トワイライト・タイム」「煙が目にしみる」といったヒット曲を生み出しますが、激しいメンバーチェンジが元で、グループが分裂してしまい、いくつかのプラターズが存在することになります。そして、プラターズの名前をめぐっての裁判が起き、1999年、ハーブ・リードがプラターズの商標の権利を有するという判決を下しましたが、いまだに裁判は続いています。
◆8月 27日(水)
ルイ・アームストロング 「このすばらしき世界」
アメリカ、ニューオリンズの貧しい家庭で育ったルイ・アームストロングは、10歳ごろから子供同士でコーラスグループを作って、街を流して小銭を稼いでいました。しかし、本物の銃の発砲事件を起こし、逮捕され少年院に送られてしまいます。その少年院で、ブラスバンド部に入り、コルネットを演奏することになり、その才能を開花させます。出所後、15才ながらニューオリンズのジャズの王様と言われたキング・オリバーに認められて、彼のバンドに入り、めきめきと腕をあげていき、ステップ・アップの為にニューヨークのフレッチャー・ヘンダーソン楽団の一員になります。ルイの加入によって、バンドは最高にスイングするようになり、「ハーレム・ルネッサンス」という言葉まで生み出しました。
一方で、自分のバンドも結成し、1926年、ホット・ファイブというグループで初めてボーカリストにチャレンジし、「♪ズ・ビ・デュバ♪」というあのルイ独特のスキャットを披露して話題になりました。ボーカリストとしても知られるようになったルイは、1964年、ブロードウェイ・ミュージカルの為に歌った「ハロー・ドーリー」が、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったビートルズの「抱きしめたい」を抜いて、全米1に輝き、世界中で大ヒットしました。
この曲「このすばらしき世界」は、ベトナム戦争真っ只中の1967年に発表されましたが、アメリカではあまり歓迎されず、イギリスで1に輝きました。その4年後、ルイは70歳で亡くなりますが、1987年、映画「グッドモーニング・ベトナム」でこの作品が使われて、発表されてから21年後に、リバイバル・ヒットし、ミリオンセールスを記録しています。
◆8月 28日(木)
ポール・アンカ 「ダイアナ」
カナダ、オタワ出身のポール・アンカは、レストランの経営者の家に生まれたのですが、このレストランでは、人気スターがショーを開いていたことから、幼い頃からそのショーを見て育ち、ショービジネスの世界に憧れるようになります。そして、当時大スターのファッツ・ドミノがショーに出演した時に、そのマネージャーであるアーウィン・フェルドに運命的な出会いを果たします。ポール・アンカは、12歳でコンテストで優勝し、地元のナイトクラブで音楽活動を始めるのですが、両親には猛反対されます。そんな時に、フェルドの助言で、10日間だけの運試しにニューヨークに行くことになり、有名なプロデューサー、トム・コスタに出会い、自作のこの曲「ダイアナ」を歌い、その才能を見出されて、わずか16歳でデビューし、いきなり、ビルボードの1に輝きます。
この曲は、ポール・アンカが15歳の時に作った曲で、ふるさとオタワの教会で出会った5歳年上の実在する女性ダイアナへの高鳴る胸の内を綴った作品で、発表後、6年で世界22カ国、320種類バージョンが制作され、900万枚以上のセールスを記録しました。
その後、フェルドが彼のマネージャーとなり、「ユー・アー・マイ・デスティニー」「ロンリー・ボーイ」など、自作の曲を自分で歌うシンガーソングライターとして成功を収め、若くしてトップスターとなります。2005年には、ボン・ジョヴィ、バン・ヘイレン、ニルバーナ、オアシスといったロックの名曲をジャズアレンジしたカバーアルバム『ロック・スウィングス』を発表し、話題になりました。そして、来月27日、東京国際フォーラムで来日コンサートが行われます。
◆8月 29日(金)
ダニー&ザ・ジュニアーズ 「踊りにいこうよ」
アメリカ・フィラデルフィア出身のダニー・ラップ、デヴィッド・ホワイト、フランク・マッフェイ、ジョー・テラノバの白人男性4人から成るドゥワップ・コーラス・グループ、ダニー&ザ・ジュニアーズ。1955年、ペンシルバニア高校の同級生だった4人がジュベネアーズというグループを結成して活動を始めます。
1957年、フィラデルフィアの街角で歌っているところをプロデューサーのジョン・メドーラに見出されて、グループ名をダニー&ザ・ジュニアーズに改名。この曲「踊りにいこうよ」でデビューします。デビュー当初、全く話題に上らなかったのですが、当時の人気テレビ番組「アメリカン・バンドスタンド」に出演すると、問い合わせが殺到。瞬く間にビルボードにチャート・インして、翌58年にbPに輝き、250万以上売り上げて、7週連続1位という大ヒットを記録しました。
チャビー・チェッカーやシャ・ナ・ナなど多くのアーティストに歌われ、60年代のダンス音楽のパイオニア的作品として、世界中にヒットし、さらに73年の映画「アメリカン・グラフィティ」の中でも使われ、オールディーズとしては欠かせない1曲となっています。
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