◆8月 18日(月)
ロバート・パーマー 「恋におぼれて」
イギリス、ヨークシャー出身のロバート・パーマー。もともとグラフィック・デザイナー志望でしたが、父親の影響で、ナット・キング・コール、ビリー・ホリディなどのジャズに親しみ、さらにマービン・ゲイやジャマイカのスカなど聞くようになります。そして、15歳のとき、セミ・プロ・バンド、マンドレイクスの一員になって、音楽で身を立てる決心をします。
アラン・ボウ・セット、ダダ、ビネガー・ジョーといったバンドを経て、1974年、アルバム『スニーキン・サリー・スルー・ジ・アリー』でソロデビューを果たします。このアルバムはニュー・オリンズで、黒人ファンキーバンドのミーターズをバックに録音し、ソウルフルなボーカルで「ブルー・アイド・ソウル」としてマニアから熱烈な支持を受けます。その後、R&B、ハードロック、ダンス・ミュージックといった、その時々の流行のサウンドをうまく取り入れながら、精力的に作品を発表。1985年にはデュラン・デュランのメンバーだったアンディ・テイラー、ジョン・テイラー、シックのトニー・トンプソンと、バンド「パワー・ステーション」を結成します。
このバンドでの成功によってワールド・ワイドに知名度を高めることになり、「パワー・ステーション」でプロデューサーを務めたバーナード・エドワードがそのままプロデュースしたアルバム『リップタイド』を発表。1986年にこの曲「恋におぼれて」が全米1に輝き、グラミー賞で最優秀ロック・ボーカル賞も獲得しました。ロバート・パーマーは、2003年、アルバム『ドライブ』を発表したのですが、その直後、滞在先のパリで心臓まひのため、54歳という若さで、この世を去りました。
◆8月 19日(火)
ロス・インディオス 「別れても好きな人」
1962年、棚橋静雄を中心に結成されたロス・インディオス。日本で初めてラテン音楽に目を向けたグループとなり、1968年、ポリドールと専属契約を結び、「コモエスタ赤坂」を発表。折からのムード歌謡ブームにのってヒットし、続く「知りすぎたのね」もヒットし、スターの仲間入りを果たします。
この曲「別れても好きな人」は、1979年に、女性歌手・シルビアと共に歌ったデュエットソングで翌80年になってから、じわじわとヒットし、1年後に150万枚を超すミリオンセールスを記録。1980年の年末には、紅白歌合戦に出場を果たし、ロス・インディオス&シルビアの名前が定着するようになりました。オリジナルは、パープルシャドウズが1969年に発表した曲で、1975年に棚橋のみのボーカル・バージョンが発表していましたが、ヒットにはいたらず、改めて発表したシルビアと一緒に歌ったデュエット・バージョンがヒットし、80年代のカラオケ、デュエットソングの火付け役となりました。
2002年には8代目の女性ボーカルにアリシアが参加し、結成40周年を迎えましたが、昨年暮れにメンバーの一人であるチコ本間が、転落事故で亡くなりました。しかし、そんな不幸を乗り越え、今年2月には、45周年を記念したベストアルバムが発売されました。
◆8月 20日(水)
アラウンド・ザ・ウェイ 「リアリー・イントゥ・ユー」
アメリカ、ニューヨークで結成されたマイケル・アンソニー・バートットとカシュ・マイルズ、女性ボーカルのリーナ・フラティセリの3人から成るアラウンド・ザ・ウェイ。それまでソリッドというグループで活躍していたリーナが、1991年、ニューヨークのラテン・クラブでソングライターとしても成功を収めていたマイケルに出会い、音楽的な志向性が一致したことがきっかけで、アラウンド・ザ・ウェイが結成されました。そこへジャマイカ出身のカシュが加わって、1993年にアルバム『スムーズ・イズ・ザ・ウェイ』で、デビューしました。
この曲「リアリー・イントゥ・ユー」は、デビューアルバムからのシングル・カットで、全米のラジオ局で大量にオンエアされて、瞬く間にアラウンド・ザ・ウェイ旋風が巻き起こりました。また、グローバー・ワシントン・ジュニアの「ジャスト・ザ・トゥー・オブ・アス」をサンプリングしたことで、クラブやディスコでDJたちのマストアイテムとなり、フロアに欠かすことの出来ない曲となりました。
その後、彼らは、さしたる話題性もなく、フェイド・アウトしてしまいますが、日本では、94年になって、この曲だけが大きく取り上げられるようになり、一旦廃盤になったデビューアルバムが再発され、日本でも話題になりました。
◆8月 21日(木)
いしだあゆみ 「ブルー・ライト・ヨコハマ」
5歳から始めたフィギュア・スケートの腕は、小学校6年生の時に関西選手権で優勝するほどの実力がありながら、子役として、13歳のときに、梅田のコマ劇場で初舞台を踏んだいしだあゆみ。この舞台に出た事で、芸能界への気持ちが大きく傾き、高校入学直前に上京して、いずみたくに師事します。その後、本名である石田良子(よしこ)でソノシート用にカバー・ポップスをレコーディングし、1964年「ネェ、聞いてよママ」で正式にレコードデビュー。ドラマ「七人の孫」にも出演し、一躍脚光を浴びるようになり、セカンドシングル「サチオ君」がスマッシュ・ヒットします。
女優として活躍しますが、歌手活動専念とイメージチェンジのために1968年、レコード会社を移籍し、シングル「太陽が泣いている」を発表。移籍3枚目となったこの曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」がオリコンシングルチャートで1位を獲得、150万枚を超すミリオンセールスを記録し、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。
それからは歌手活動が主流となり、「今日からあなたと」「あなたならどうする」「砂漠のような東京で」など次々とヒット曲を重ねていきますが、77年、映画『青春の門・自立編』で、第1回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞すると、演技派女優としての地位を確立。テレビドラマ「北の国から」や「金曜日の妻たちへ」などに出演し、次第に歌手から女優へとシフトしていくようになります。1993年には、16年ぶりに紅白歌合戦に出場して、この曲を歌い、話題になりました。
◆8月 22日(金)
アンブロージア 「ビゲスト・パート・オブ・ミー」
1970年、アメリカ、カリフォルニアで結成されたアンブロージア。クラシック音楽のレコーディング・エンジニアがロサンゼルス・フィルハーモニーの指揮者、ズービン・メータにアンブロージアを紹介したのがきっかけで、メータが71年に彼らをフィーチャーしたコンサートを開催。さらにはレナード・バーンスタインとも共演し、デビュー前から注目を集めます。
そして、1975年、クラシック音楽のような優雅さと繊細さを兼ね備えたプログレッシブ・ロックバンドとして、アルバム『アンブロージア』でデビューします。しかし、徐々にボーカルのデヴィッド・パックの洗練されたボーカルを生かした、都会的なアダルト・コンテンポラリー路線にシフトしていくようになり78年「お前に夢中」という曲がヒットし、その名が知られるようになります。
1980年、4枚のアルバム『真夜中の晩餐会』からシングルカットしたこの曲「ビゲスト・パート・オブ・ミー」が全米3位を記録するヒットとなり、アンブロージアを代表する1曲となります。さらに94年、黒人コラースグループ、テイク6がカバーしてリバイバル・ヒットしました。その後、アンブロージアは1982年に解散しましたが、1989年、再結成し、現在はライブ活動を中心に全米ツアーを行っています。
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