◆8月 4日(月)
パトリース・ラッシェン 「フォーゲット・ミー・ノッツ」
アメリカ、ロサンゼルス出身のパトリース・ラッシェン。6歳からピアノを弾き始め、幼い頃から南カリフォルニア大学で英才教育を受け、神童と呼ばれます。高校時代には幾つものコンテストで優勝。10代のうちにモンタレー・ジャズ・フェスティバルで注目を集め、人気のセッション・ミュージシャンとなります。
1974年、アルバム『プレリュージョン』で、ジャズ・ピアニストとしてデビューすると、3枚のアルバムをリリースし、エレクトラ・レーベルに移籍。
そして、その涼しげな声を生かしたアーバンコンテンポラリーな作品を発表し、エレクトラからの4枚目となるアルバム『ハート泥棒』から、この曲「フォーゲット・ミー・ノッツ」が大ヒットし、その名が知られるようになります。
80年代後半からは、テレビや映画のプロデュース業にも進出。90年代にはジャネット・ジャクソンのツアーの音楽監督を務めるなど、その才能を如何なく発揮します。
97年にウィル・スミス主演の映画『メン・イン・ブラック』の音楽を担当して、この曲がサンプリングされ、リバイバル・ヒットしました。最近は、再びセッション・ミュージシャンとして活動していて、リー・リトナーのアルバムに参加し、2005年と2007年には、バック・ミュージシャンとして来日しました。
◆8月 5日(火)
雅夢 「愛はかげろう」
中京大学在学中の三浦和人(かずと)と中川敏一(としかず)が結成した男性デュオ、雅夢。雅夢というグループ名は、行きつけの喫茶店の名前。2人が初めてステージに立ったときに、まだ、名前が決まっておらず、とっさにこの名前が出て、それがそのままグループ名になりました。
1980年、第19回ヤマハポプコンつま恋本選会で、この曲「愛はかげろう」を歌い、優秀曲賞を受賞し、デビューします。「愛はかげろう」は、翌81年にかけて、100万枚を超すヒットを記録。しかし、セカンドシングルの「悲しくて」以外は、セールス的にパッとせず、1984年12月に解散してしまいます。
その後、三浦和人は、ソロとして活動をし、2003年にこの曲をセルフカバーしました。その他にも、白羽(しらは)玲子や中森明菜によってカバーされています。
◆8月 6日(水)
TLC 「ウォーターフォールズ」
メイン・ボーカル担当のTボズ、ラップと作詞担当のレフト・アイ、コーラス担当のチリからなる3人組ガールズR&Bグループ、TLC。3人のニックネームと「テンダー・ラビング・ケア」の頭文字からTLCというグループ名になります。
新しいレーベル、ラ・フェイスから1992年、シングル「エイント・2・プラウド・2・ベッグ」
でデビューすると、セカンドシングル「ベイビー・ベイビー・ベイビー」が全米2位になり、1STアルバム『エイント・2・プラウド・2・ベッグ』は全米で500万枚のセールスを記録しました。
この曲「ウォーターフォールズ」は、94年に発表されたセカンドアルバム『クレイジーセクシークール』からのシングルカットで、「堅実に生きよう」という歌詞と当時の最先端のSFXを駆使したミュージック・ビデオが話題を呼び、全米で7週連続1を記録すると共に、アルバムは1000万枚以上のセールスをあげ、グラミー賞も獲得しました。さらに99年に発表した3枚目のアルバム『ファンメール』は、全世界で1000万枚以上のセールスとなり、再びグラミー賞を獲得し、90年代最も成功した女性グループといわれるようになります。
しかし、4枚目のアルバムのレコーディング中、レフト・アイがホンジュラスで自動車を運転中に衝突事故を起こし、30歳という若さで亡くなり、世界中に衝撃を与えました。2002年、残された声を使って、4枚目のアルバム『3D』を発表し、話題を呼びました。さらに活動休止状態ながら2005年にニューシングルをアイ・チューンズ・ミュージック・ストア上に発表し、今後TLCの復活が待たれます。
◆8月 7日(木)
KUWATA BAND 「スキップ・ビート」
原由子が産休に入り、サザンオールスターズが休業することになったとき、桑田佳祐を中心に結成された期間限定バンド、クワタ・バンド。
メンバーは桑田佳祐、河内淳一、今野多久郎、小島良喜、琢磨仁、松田弘の6人。桑田佳祐の「いつかデタラメのロックをやってみたかった」という思いをきっかけに、1986年2月に結成すると、スタジオにこもって、7月に全編英語の歌詞となるアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』を発表。10月まで50本のコンサート・ツアーを行うなど、エネルギッシュなパフォーマンスが日本を熱狂させました。
この曲「スキップ・ビート」は、「BAN BAN BAN」に続く、クワタ・バンドのセカンドシングルで、クワタ・バンド名義で初の1位を獲得しました。
ロックの名曲なども披露されたライブは、ライブアルバム『ロック・コンサート』として発表されましたが、その人気振りから87年1月から全国アンコールツアーも行われ、2月に武道館公演を持って解散しました。
◆8月 8日(金)
シニード・オコナー 「愛の哀しみ」
アイルランド、ダブリン出身のシニード・オコナー。 母親の事故死がきっかけとなって、ロンドンに移り住むも、音楽活動を続け、
1987年アルバム『ザ・ライオン・アンド・ザ・コブラ』でデビューします。 独特のケルト系の声とスキンヘッドという容姿で、新世代女性シンガーの登場と
話題を呼びます。
この曲「愛の哀しみ」は、90年に発表されたセカンドアルバム『蒼い囁き』からの シングルカット。もともとは、プリンスがザ・ファミリーに書いた曲でしたが、
まるで、シニードのオリジナルであるかのように歌い上げ、 イギリスとアメリカで1に輝き、その名を全世界に知らしめる1曲になりました。
デビュー当時から過激な言動で注目を集めていましたが、 全米ツアー中にアメリカ国歌を拒否して騒ぎになり、
テレビの生放送中にローマ法王の写真を破ったことで大問題となります。
その後、過激な言動は影を潜めますが、新興宗教団体の女性司祭となったり、 レズビアンであることを公表しながら、4人目の子供を出産したりと
音楽以外で注目を集め、2003年芸能活動から引退宣言を出しました。 しかし、2005年、レゲエのカバーアルバムを発表して、突然カムバック。
去年は同じ楽曲をアコースティックとフル・バンドスタイルの 別々のアルバムに収めた2枚組『セオロジー』を発表し、
現在はツアー活動を行っています。
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