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◆7月 21日(月)
ハニードリッパーズ 「シー・オブ・ラブ」
レッド・ツェッペリンのボーカル、ロバート・プラントが同じくレッド・ツェッペリンのギター、ジミー・ペイジとジェフ・ベック、そして、シックのナイル・ロジャースと結成した覆面ユニット、ハニードリッパーズ。1980年、レッド・ツェッペリンがドラマーのジョン・ボーナムの死によって解散した時、ロバート・プラントが"ハニードリッパーズ"名義でライブをしたのがきっかけで、4年後、自分の音楽のルーツであるR&Bのオールディーズをカバーする企画バンドとして結成されました。
この曲「シー・オブ・ラブ」は、1959年のフィル・フィリップスのカバーで、1981年にトム・ぺティ・プロデュースの元で、デル・シャノンがカバーしてヒット、1984年、ハニードリッパーズがアルバム『ボリューム1』でカバーして、全米3位を記録しました。
アルバム『ボリューム1』は、プラチナ・アルバムに輝きましたが、結局この1枚しか発表されませんでした。ただ、89年、アル・パチーノが同名のタイトルの映画「シー・オブ・ラブ」で主演し、この曲が主題歌となってリバイバル・ヒットしました。
◆7月 22日(火)
ゆず 「夏色」
横浜市中区伊勢崎町の松坂屋前で路上ライブを行っていた北川悠仁と岩沢厚治のフォーク・デュオ、ゆず。結成当時はライツという名前でしたが、2人が一緒にやっていたバイト先で、柚子シャーベットを食べたことで、バンド名が「ゆず」になったそうです。1997年、寺岡呼人(よひと)をプロデューサーに迎えて、全曲路上レコーディングというアルバム『ゆずの素』でインディーズ・デビュー。
翌98年、ミニアルバム『ゆずマン』でメジャー・デビューを果たします。この曲「夏色」は、ゆずの1STシングルとして発表された曲で、最高位は17位ながら、その後もロングヒットとなり、今なお「夏に聞きたい曲」のアンケートでは、人気の楽曲に選ばれ、30万枚近いセールスを記録しています。その後、「からっぽ」「いつか」「サヨナラバス」「センチメンタル」「友達の唄」といったヒット曲を放ち、これらの曲を収めたセカンドフルアルバム『ゆずえん』がオリコンのアルバムチャートで1位に輝き、さらに初のミリオンセールスも記録し、名実共にトップアーティストとなります。
2004年にはシングル「栄光の架け橋」がアテネオリンピックの公式テーマソングとなり、年末には2度目の紅白歌合戦出場も果たし、国民的なフォークデュオとして知名度が高まりました。今年4月には、9枚目のアルバム『ワンダフル・ワールド』を発表。現在は、コンサートツアー「素晴らしきこの世界」を行っています。
◆7月 23日(水)
パブロ・クルーズ 「ワッチャ・ゴナ・ドゥ?」
イッツ・ア・ビューティフル・デイのメンバーであったバド・コックレルを中心に、1973年、デビッド・ジェンキンス、コリー・レロイス、スティーブ・プライスの4人でアメリカ、サンフランシスコで結成されたパブロ・クルーズ。1975年、アルバム『パブロ・クルーズ』でデビューすると、サーフ・ロックと呼ばれ、サーファーの間で人気となり、セカンドアルバム『絆(ライフライン)』からドラマチックなインスト・ナンバーの「ゼロ・トゥ・シックスティ・イン・ファイブ」が、サーフィン・フィルム「フリーライド」のテーマソングとなって注目を集めます。
この曲「ワッチャ・ゴナ・ドゥ?」は、1977年に発表された3枚目のアルバム『太陽の放浪者』からのシングル・カットで全米6位を記録すると共に、プラチナ・アルバムになります。さらに翌78年に発表した「ラブ・ウィル・ファインド・ア・ウェイ」も全米6位を記録し、世界的人気を誇るようになりますが、メンバーチェンジが激しくなり、1985年、バンドは解散してしまいます。
しかし、2004年、デビッド・ジェンキンス、コリー・レロイス、スティーブ・プライスのオリジナル・メンバーにジョージ・ガブリエルを加えて再結成され、現在もカリフォルニアを中心に全米ツアーを行っています。
◆7月 24日(木)
ARB 「魂こがして」
1977年、石橋凌、田中一郎、キース、宮城伸一郎、エンマの5人で結成されたARB。バンド名のARBは、ジャズの「アレキサンダー・ラグタイム・バンド」からの引用でしたが、80年代に入るとARBを正式なバンド名とするようになります。1978年、シングル「野良犬」でデビューしますが、日本版ベイシティ・ローラーズとして売り出そうとする事務所と、メンバーとの音楽の方向性の違いから、事務所を独立。石橋、田中、キースの3人組となり、ベース不在のまま、1979年、この曲「魂こがして」を発表し、ARBの代表する1曲となります。
その後、サンジがベースに加わるものの、田中一郎が脱退するなど、メンバーチェンジが激しく、特にギタリストが変わるとサウンドの方向性が変化したために、歴代4人のギタリストが所属したので、ARBは大きく4期に分けられています。1986年、石橋凌は、バンドの知名度を上げるために親交のあった俳優・松田優作が監督を務めた映画「ア・ホースマン」に出演し、キネマ旬報新人男優賞を獲得。俳優としても活躍するようになります。88年には、デビュー10周年目にして初の武道館ライブを成功させるのですが、松田優作の突然の病死をきっかけに、石橋が俳優になることを宣言。ARBは解散してしまいます。
しかし、1997年、オリジナルの石橋とキースに、ベースに元ユニコーンのエビ、そして、ギターに内藤幸也をメンバーに加え、再結成します。精力的にライブ活動をしますが、2006年3月再び活動停止宣言。27年間の歴史に幕を下ろしました。
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◆7月 25日(金)
スノー 「セクシー・ガール」
カナダ、トロント出身のスノー。本名は"ダリン・オブライエン"ですが、トロント・ジャマイカン地区出身で、白人ながらジャマイカン・イングリッシュを巧みに使うことで、レゲエに対する深いリスペクトを表したあだ名で"スノー"と呼ばれました。もともと母親の影響でキッスやクィーンが大好きなロック少年でしたが、レゲエと出会い、15歳ごろから歌い始め、ジュニア・リードやニンジャマンなどのハード・コアなレゲエに傾倒します。そして、ニューヨークのヒップ・ホップ界の大御所であるMCシャンに見出されて、1993年、シングル「インフォーマー」でデビュー。
この「インフォーマー」は、誤認逮捕で8ヶ月間投獄された体験を歌った曲で、ビルボードのシングルチャートで7週連続bPに輝き、レゲエとヒップ・ホップをクロスオーバーさせたファーストアルバム『12(トゥエルブ)インチーズ・オブ・スノー』は1300万枚を超すセールスを記録し、世界的なレゲエ・スターとして脚光を浴びます。
翌94年にはセカンド・アルバム『マーダー・ラブ』が発表され、このアルバムにはニンジャマンやジュニア・リードをゲストに迎えられ、ジャマイカとニューヨークとトロントでレコーディングされました。この曲「セクシー・ガール」は、セカンド・アルバム『マーダー・ラブ』からのシングル・カットで、ポップで聞きやすいレゲエ・ナンバーとしてヒットしました。
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