番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆7月 7日(月)
ゲス・フー  「アメリカン・ウーマン」

カナダ出身のロック・バンド、ゲス・フー。ギターのランディ・バックマンを中心にチャド・アレン、ジム・ケイル、ゲーリー・ピーターソン、ブライアン・アシュレイの5人で、チャド・アレン&エクスプレションズというバンド名で活動を開始します。カナダで2枚のシングルを出した後、1965年、全米デビューする事になるのですが、カナダ人の名前では、変な偏見を持たれると思ったメンバーは、「誰か当ててごらん」という意味の「ゲス・フー」というバンド名でジョニー・キド・アンド・ザ・パイレーツの「シェイキン・オール・オーバー」をカバーして、アメリカとカナダでヒットします。
その後、ボーカルのチャドとアシュレイが脱退し、バートン・カミングスが後任のボーカリストを担当することになり、音楽もアメリカン・ロックへと変わっていきます。この曲「アメリカン・ウーマン」は、3枚目のアルバム『アメリカン・ウーマン』からのシングル・カットで、1970年、初の全米ナンバー1に輝きました。
その後、ランディ・バックマンが脱退し、1975年にゲス・フーは解散。一方、ランディは、自分の弟たちとバックマン・ターナー・オーバードライブを結成し、「恋のめまい」が全米ナンバー1に輝きます。
2000年にランディとバートン・カミングスを中心に再結成され、カナダツアーが行なわれました。なお、この曲は、レニー・クラビッツが1999年、映画「オースティン・パワーズ」のサントラでカバーして話題になりました。

◆7月 8日(火)
相川七瀬  「夢見る少女じゃいられない」

中学3年の時に、友達の代わりにアイドル・オーディションに参加し、不合格だったものの、審査員だった織田哲郎に強烈なインパクトを与えたことがきっかけで、歌手になった相川七瀬。17歳のときに、高校を中退して上京。織田哲郎のもとで、歌手になるべくボイス・トレーニングを開始し、3年間の準備期間を経て、1995年、この曲「夢見る少女じゃいられない」でデビューします。
ジャケットデザインから作詞、作曲、アレンジ、全ての楽器演奏、プロモーションに至るまで織田哲郎がトータルプロデュースという形をとり、強烈な印象を残し、オリコン・シングル・チャートで12位を記録。続く「バイバイ」「ライク・ア・ハード・レイン」「ブレイク・アウト」が大ヒットし、この4枚のシングルを収めたファーストアルバム『レッド』が、女性ロックボーカリストとして史上初のオリコン初登場1位を獲得。最終的に270万枚という驚異的なセールスを記録しました。アルバム『レッド』は、日本ゴールドディスク大賞ロックフォーク部門で、アルバム賞を受賞し、1996年の紅白歌合戦に初出場を果たした際には、この曲「夢見る少女じゃいられない」を披露しました。セカンドアルバム『パラドックス』、サードアルバム『クリムゾン』、フォースアルバム『アイ・ディ』とデビューからアルバムが4作連続初登場1位という快挙も成し遂げます。
2001年には結婚し、第1子を出産。その後、独学でセラピーに関する勉強をして、イギリスの団体からカラーセラピストの最高位免許を当時最年少で取得します。また、テレビドラマ「87%」で麻酔科医役でドラマ初出演するなど、多方面で活躍しています。去年は第2子を出産し、今年の2月の自分の誕生日から活動を再開し、3月にはリボーン・ツアーを行い、昨日7月7日、渋谷AXで恒例の「七瀬の日」を行いました。

◆7月 9日(水)
リー・リトナー  「イズ・イット・ユー?」

アメリカ、カリフォルニア州ハリウッド出身のリー・リトナーは、6歳からギターを始め、当時全盛期を迎えていたウェス・モンゴメリーに影響を受け、次第に腕を挙げ、高校在学中には既にセミプロとして活動していました。南カリフォルニア大学に進学するとスタジオ・ミュージシャンとして活躍し始め、セルジオ・メンデス&ブラジル77に参加し、そのセルジオ・メンデスを介して、GRPレーベルの設立者の一人であるデイブ・グルーシンに出会い、20歳そこそこで、売れっ子ミュージシャンとなります。
70年代半ばに自分のグループであるジェントル・ソウツを結成し、初アルバム『ファースト・コース』を発売し、ジャズの要素にロックやソウルのフィーリングをプラスしたクロスオーバー・サウンドに新風を吹き込んで、人気が爆発します。そして、1977年に発表した『キャプテン・フィンガー』でギタリストとして、またサウンドクリエーターとしても高い評価を受け、アルバムタイトルからキャプテン・フィンガーと呼ばれるようになります。
この曲「イズ・イット・ユー?」は、デビッド・フォスターをプロデューサーに迎えた1981年のアルバム『リット』からのシングル・カットで、当時全く無名のボーカル、エリック・タッグを起用し、シングルチャートでも全米15位の大ヒットを記録しました。

◆7月10日(木)
杏里  「悲しみがとまらない」

高校時代からモデルとして活躍し、17歳の1978年、尾崎亜美提供の「オリビアを聴きながら」で歌手デビューした杏里。当初はバラードシンガーのイメージが強かったのですが、角松敏生をプロデューサーに迎えたことで、ダンサブルなポップ・シンガーへと変貌を遂げ、1983年アニメ『キャッツ・アイ』の主題歌「キャッツ・アイ」がオリコンで5週連続1位となる大ヒットを記録し、紅白歌合戦に初出場を果たします。また、翌84年春の甲子園選抜高校野球の入場行進曲に採用されました。
この曲「悲しみがとまらない」は、「キャッツ・アイ」に続くシングル曲で、4位を記録し、杏里を代表する1曲になりました。パンチの効いたダンス・ビートを押し出して「冬のユーミン」に対して、「夏の杏里」と言われるようになり、1988年にはアルバム『ブギウギ・メインランド』でチャート1位を獲得しました。
昨年9月に涙の曲だけを集めたカバーアルバム『ティアーズ・オブ・アンリ』を発表して、話題になりましたが、デビュー30周年を迎えた今年は、7月16日に男性アーティストの涙の曲だけを集めたカバーアルバム『ティアーズ・オブ・アンリ2』を発売します。

◆7月11日(金)
テヴィン・キャンべル 「テル・ミー」

11歳で、テレビ番組「ウォーリー&バレンタインズ」に出演していたアメリカ、テキサス州出身のテヴィン・キャンベル。1989年、クインシー・ジョーンズにそのソプラノ・ボイスを認められて、彼のアルバム『バック・オン・ザ・ブロック』に入った「トゥモロー」でデビューします。
続いてプリンスが監督を務めた映画『グラフィティ・ブリッジ』にも出演し、そのプリンスがプロデュースしたシングル「ラウンド・アンド・ラウンド」で、全米12位を記録します。そして、満を持してクインシー・ジョーンズの秘蔵っ子として「テキサス・センセーション」というふれこみで、1991年にデビューアルバム『テヴィン』を発表。そのアルバムからこの「テル・ミー」がシングル・カットされ、自身最高の6位を記録、アルバムは、ゴールド・ディスクを獲得します。
続くセカンド・アルバム『アイム・レディ』には、ベイビーフェイスをプロデューサーに迎えて、「キャン・ユー・トーク」が大ヒットし、R&Bチャートでナンバー1を記録、アルバムはダブル・プラチナを獲得しました。
今年は、12年ぶりに、ニューアルバム『バック・トゥ・ラブ』が発表される予定で注目を集めています。

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