番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆5月26日(月)
J・ガイルズ・バンド  「堕ちた天使」

アメリカ、ボストンで1968年に結成された6人組のJ・ガイルズ・バンド。ギターのジェローム・ガイルズを中心とした"J・ガイルズ・ブルース・バンド"が母体となっていて、そこへボーカルのピーター・ウルフと、ドラムのスティーブン・ジョー・ブラッド、キーボードのセス・ジャストマンが加わって、バンド名をシンプルにJ・ガイルズ・バンドに改名。
1971年にデビューをすると、ピーター・ウルフの野性味あふれるボーカルと、R&B色が濃いライブで人気を博し、「アメリカのストーンズ」といわれるようになります。
また、ピーターが女優のフェイ・ダナウェイと結婚し、話題を振りまきますが、なかなかシングルヒットには恵まれませんでした。そんな彼らが1981年に発表したアルバム『フリ−ズ・フレイム』から、この曲「堕ちた天使」をシングルカットすると、6週連続全米ナンバー1を獲得します。このアルバムは、キーボードのセスがプロデューサーを務めて、よりポップな内容になり、アルバム・チャートでもナンバー1に輝き、一躍世界的に知られるようになります。
しかし、1983年、ピーター・ウルフがソロ活動のために突然バンドを脱退すると、急速に人気が低迷し、1985年、解散宣言もなく、バンドは消滅してしまいました。日本ではこの曲が2002年にビールのCMソングに使われるなど、人気の楽曲になっています。

◆5月27日(火)
橘いずみ  「失格」

高校生の頃からバンド活動を始め、関西学院大学では軽音楽部に所属し、ライブハウスでライブを行なっていた橘いずみ。1991年、SMEのオーディション「ボイス」でグランプリを獲得し、1992年、シングル「君なら大丈夫だよ」でデビューします。鋭い言語感覚と叙情的な世界観のある歌詞で注目を集め、3枚目のシングルとなったこの曲「失格」が、10万枚を越すヒットとなり、ブレイクします。そして「バニラ」「サルの歌」といったヒット曲を次々に生み出し、「永遠のパズル」がドラマ「この愛に生きて」の主題歌となり、30万枚を超して彼女にとって最大のヒット曲となります。
また作詞家、作曲家として、森進一や上戸彩などに楽曲を提供したり、女優業にも進出。ひとり芝居を行なったり、ミュージカルに出演するなど幅広く活動します。
映画監督・榊英雄との結婚を機に、2006年から榊いずみとして活動をはじめ、去年10年ぶりにフルアルバム『ファミリー・トゥリー』を発表。また、女の子も出産し、話題になりました。

◆5月28日(水)
アウトフィールド  「ユア・ラブ」

ギターのジョン・スピンクス、ボーカル&ベースのトニー・ルイス、ドラムのアラン・ジャクソンがイギリス、ロンドンで結成した3人組、アウトフィールド。野球用語で、外野を意味する「アウトフィールド」をグループ名にするほど、3人とも野球好きというエピソードがある彼らは、1985年、シングル『セイ・イット・イズント・ソー』でデビューします。
そして、セカンドシングルとなった、この曲「ユア・ラブ」が本国イギリスよりも、アメリカで大ヒットし、シングルチャートで最高6位を記録し、一躍その名が知られるようになります。また、この曲をおさめた1STアルバム『プレイ・ディープ』は、アルバムチャートで9位を記録し、200万枚を超す大ヒットとなります。この曲は、レス・ザン・ジェイクやブッチャーズ、ワイクリフ・ジーンなどにカバーされています。
1990年にドラムのアランが脱退し、それからは現在までジョン・スピンクスとトニー・ルイスの2人組で活動を続けています。2006年にニューアルバム『エニー・タイム・ナウ』を発表し、往年のロックファンの間で話題になりました。

◆5月29日(木)
庄野真代  「飛んでイスタンブール」

高校入学と同時に音楽活動をはじめ、バンド「もんしろちょう」で、人気を博した庄野真代。デビューのきっかけは、ヤマハのボーカル・オーディションに合格したことで、20歳の時に応募した「フォーク音楽祭」の関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、1976年、シングル「ジョーの肖像」でデビューします。デビューアルバム『あとりえ』が"都会派テイストのニューミュージック"といわれて注目を集めます。1978年、5枚目のシングルとしてリリースしたこの曲「飛んでイスタンブール」が大ヒットし、紅白歌合戦にも出場します。
その後も「モンテカルロで乾杯」「ヘイ・レディ優しくなれるかい」などのヒット曲を生み出しますが、1980年突然、休業宣言し、世界1周の旅に出ます。そして、1年間で28ヶ国132の都市を歩き、その経験から、歌手活動と並行する形で、司会やレポーター、また、女優としてドラマにも出演するなど、幅広く活動するようになります。
1991年には、シンガポール・マレーシア・香港でもCDデビューを果たすなど、アジアでの活動も開始しました。今も精力的にライブ活動をしており、先月、『リミニッセンス』というアルバムをリリースし、話題になっています。

◆5月30日(金)
ミラクルズ  「涙のクラウン」

アメリカ、デトロイト出身のスモーキー・ロビンソンが結成した黒人コーラスグループ、ミラクルズ。1957年に受けたオーディションで、モータウン・レコードの創始者であるベリー・ゴディ・ジュニアの目に留まり、モータウンの契約第1号アーティストとして、1960年、シングル「ウェイ・オーバー・ゼア」でデビュー。その後、セカンド・シングル「ショップ・アラウンド」が全米2位を記録し、いきなりミリオン・セールスとなって、トップ・アーティストとしての地位を確立します。
スモーキー自身、モータウンの副社長として、ベリー・ゴディ・ジュニアと二人三脚でモータウンを盛り立てて行きますが、作家としてテンプテーションズやフォー・トップス、マービン・ゲイに楽曲を提供したり、プロデューサーとして多くのアーティストを手掛けていきます。特に、スモーキーの歌詞は、その美しさからボブ・ディランに「20世紀最高の詩人」と称されました。
1965年にスモーキー・ロビンソン&ミラクルズに改名し、「ゴーイング・トゥ・ア・ゴー・ゴー」がヒット。この曲「涙のクラウン」は、1970年のヒット曲で、初の全米1に輝きます。
そういった成功とは裏腹に、スモーキーは多忙を極めることになり、家族との時間がなくなり、1972年、グループを脱退。ビリー・グリフィンをリード・ボーカルに迎えて、バンド名は再び、ミラクルズに戻り、1976年「ラブ・マシーン」が2曲目の全米ナンバー1を獲得します。その後、ミラクルズは、一度、モータウンを離れるものの、現在は、モータウンに戻って、第一線で活躍しています。

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