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ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆5月19日(月)
ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス  「紫のけむり」

アメリカ、シアトル出身のジミ・ヘンドリックスは、15歳でギターを弾き始め、高校で、アマチュアバンドに参加しますが、高校を退学し、軍隊に入隊します。パラシュート部隊に配属され、ここで後にバンドを結成するビリー・コックスに出会います。訓練中に怪我をし、わずか1年で除隊したジミは、ギタリストとして活動を始め、アイズレー・ブラザーズやリトル・リチャーズのバックを転々とします。左利きなのに右利き用のギターを逆さまにして弾いたり、葉や背中で弾くといったトリッキーなプレイスタイルが評判となり、アニマルズのチャス・チャンドラーに惚れ込まれて、イギリスへ渡ります。そして、ベースのノエル・レディング、ドラムのミッチ・ミッチェルとともに、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成。1967年、シングル「ヘイ・ジョー」でデビューします。
この曲「紫のけむり」は、セカンドシングルとしてリリースされ、1STアルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト』にも収録された曲で、たちまちイギリス中の話題となり、ジミのライブには、ポール・マッカートニーやエリック・クラプトン、ミックジャガーといったスターがやってくるようになります。そして、この1STアルバムを引っさげてアメリカへ凱旋帰国し、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。聴衆を圧倒するサウンドとギターを燃やすというパフォーマンスで一気にスターダムにのし上がります。その後、『エレクトリック・レディランド』を発表しますが、バンドは解散。ビリー・コックスらとバンド・オブ・ジプシーを結成しますが、次第にドラッグに体がむしばまれていくようになります。1970年、自身4枚目のアルバムの制作を終え、トラックダウンを目前に、睡眠薬の大量摂取がもとで、27歳という若さでこの世を去ることになります。デビューからわずか4年という短い活動期間にもかかわらず、史上最高のロック・アーティストと称されて、今なお、多くのアーティストに影響を及ぼしています。

◆5月20日(火)
田原俊彦  「ごめんよ涙」

1979年に恐るべき視聴率をたたき出した学園ドラマ「3年B組金八先生」。その生徒役で芸能界デビューをした田原俊彦。同じく生徒役だった近藤真彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」と呼ばれて人気が爆発します。1980年、たのきんトリオの先陣を切る形で、レイフ・ギャレットのカバー曲でシングル「哀愁デイト」で歌手デビューを果たします。
セカンドシングル「ハッとして!GOOD」では、オリコンで初登場1位を獲得すると、日本レコード大賞最優秀新人賞、日本歌謡大賞新人賞などを受賞。紅白歌合戦にも出場し、押しも押されぬトップアイドルとして活躍します。「恋=Do!」「悲しみ2ヤング」「君に薔薇薔薇という感じ」「原宿キッス」といったヒット曲を次々に生み出し、時代と並走します。次第に、アイドルからの脱却を図り、俳優として本腰をいれたドラマ「教師びんびん物語」がヒットし、主題歌となった「抱きしめてTONIGHT」もヒットします。この曲「ごめんよ涙」は、その大ヒットドラマの続編「教師びんびん物語2」の主題歌で、デビュー前の久保田利伸が書いた「華麗なる賭け」以来、4年ぶりにオリコン1に輝きました。

◆5月21日(水)
アラベスク  「ハロー・ミスター・モンキー」

1977年、旧西ドイツの音楽プロデューサー、ボルフガング・メイヤーズが、当時ヒットしていたボニーMに触発されて、結成した女性三人組がアラベスク。結成前から出来上がっていたこのデビュー曲「ハロー・ミスター・モンキー」で、世界中に売り込みをかけると、日本では、翌78年に本国以上にヒットし、40万枚を超すセールスを記録します。
1979年のシングル「ペパーミント・ジャック」から1985年の解散までは、メンバーがサンドラ、ミッシェーラ、ジャスミンの3人の固定メンバーとなって人気を博し、「フライデーナイト」「ぺパーミント・ジャック」「恋にメリーゴーランド」といったヒット曲を次々に放ちます。1981年、82年と2年連続で来日し、コンサートツアーを行いましたが、本国西ドイツでは、バラード調の「哀愁のマリゴット」以外はヒットせずに、1985年に解散します。
解散後、ミッシェーラとジャスミンは「ルージュ」という2人組ユニットを結成し、サンドラは夫であるマイケル・クレトゥのプロデュースでソロとしてドイツでヒットし、アラベスク以上の成功を収めます。その後、マイケルは、ヒーリング・ミュージックとして知られているエニグマを結成し、サンドラもバック・コーラスとして参加しています。

◆5月22日(木)
青い三角定規  「太陽がくれた季節」

作曲家いずみたく氏が主宰したオーディションによって、高田真理、岩久茂、西口久美子の3人組の新しいフォークグループとして結成された「青い三角定規」。1971年シングル「翼を忘れた天使たち」でデビューしますが、この曲「太陽がくれた季節」は、翌72年青春ドラマ「飛び出せ!青春」の主題歌となって大ヒットし、ミリオンセールスを記録、一躍その名が知られるようになります。
その年、日本レコード大賞新人賞をはじめ、数々の賞を受賞し、紅白歌合戦にも出場しますが、人気沸騰中の1973年、突如解散を発表し、それぞれソロ活動を始めます。
その後、テレビの懐メロ番組で何度か再結成はされますが、2006年、西口の歌手生活35周年を記念して、本格的な再結成が決まります。その矢先、高田の不慮の事故と死で再結成は白紙に戻りますが、ファンの熱意と高田の遺族の後押しで、去年、岩久と西口の2人で再始動し、今年2月からライブ活動をスタートさせ、この秋には新曲のリリースも予定しています。

◆5月23日(金)
ジョージ・ハリソン  「セット・オン・ユー」

イギリス、リバプール出身のジョージ・ハリソンは、12歳からギターにのめり込み、リバプール・インスティチュートでポール・マッカートニーと知り合い、ビートルズに加入します。
1962年にレコード・デビューすると、瞬く間にスパースターとして人気を博します。ビートルズでは、一番年下で、主にリード・ギターとコーラスを担当していました。そして、後期なると、メロディ・メイカーとしての才能を発揮し、「サムシング」「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」などの名曲を生み出しました。
ビートルズが解散すると、それまで、書き溜めていた楽曲をアルバム『オール・シングス・マスト・パス』という3枚組として発表。イギリス・アメリカのアルバムチャートで、7週連続1位を獲得し、シングル「マイ・スウィート・ロード」もイギリス・アメリカでナンバー1に輝きます。翌72年には、インドの楽器・シタールの師匠であるラビィ・シャンカールの要請で、バングラデシュ・コンサートという世界初のチャリティ・コンサートを開催。エリック・クラプトン、ボブ・ディランといった豪華メンバーが参加し、成功を収めます。
さらにこのコンサートの模様を収めたライブアルバムが、グラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーに輝きますが、盗作問題から人気に陰りが出始めます。70年代後半からは、本業の音楽から遠ざかるようになりますが、1987年、ELOのジェフ・リンをプロデューサーに迎えて作ったアルバム『クラウド・ナイン』が世界各国で大ヒットします。この曲「セット・オン・ユー」は、そのアルバムのシングル・カットで、全米では14年ぶりにナンバー1に輝きました。
その後、ジェフ・リン、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソンと、覆面バンド"トラベリング・ウィルベリーズ"を結成するなど、積極的に音楽に取り組みますが、2001年、肺がんのために58歳で亡くなりました。

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