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◆4月28日(月)
アン・ボーグ 「マイ・ラビング」
元「クラブ・ヌーボー」のプロデューサー、デンジル・フォスターとトーマス・マッケルロイの2人が、自分たちのコンセプト・アルバムを作るため、オーディションを行なった時に、アン・ボーグの前身となるボーグというコーラス・グループが結成されます。メンバーは、シンディ・へロン、テリー・エリス、マキシーン・ジョーンズ、ドーン・ロビンソンの4人で、アメリカ、サンフランシスコを拠点として活動。その後、実力が認められ、フォスター&マッケルロイ、プロデュースの元で、アン・ボーグとして、1990年、アルバム『ボーン・トゥ・シング』でデビューします。モデル顔負けのルックスと4人全員がリードボーカルを取れるという表情豊かなコーラス・ワークが話題となって、新人ながらアルバム・チャートで最高2位を記録します。
この曲「マイ・ラビング」は1992年に発表されたセカンド・アルバム『ファンキー・ディヴァス』からのシングル・カットで、ビルボードR&Bチャートでナンバー1に輝きます。「マイ・ラビング」以外にセカンド・アルバム『ファンキー・ディヴァス』から「フリー・ユア・マインド」、「ギブ・イット・アップ・ターン・イット・ルース」など5曲がトップ10入りするヒットとなって、300万枚を超すセールスを記録します。
このアン・ボーグの成功がきっかけとなって、多くのガールズ・グループが登場するのですが、3枚目のアルバム『EV(イーブイ)3』でドーン・ロビンソンが脱退し、3人組となり、解散説が囁かれるようになります。しかし、2000年にフォスター&マッケルロイ、プロデュースの元でアルバム『マスターピース・シアター』を発表。2004年にニューアルバム『ソウル・フラワー』を発表し、翌2005年には来日コンサートも行いました。
◆4月29日(火)
YMO 「君に、胸キュン〜浮気なヴァカンス〜」
ベースの細野晴臣、ドラムの高橋幸宏、キーボードの坂本龍一からなるYMO。イエロー・マジック・オーケストラが本来のバンド名ですが、海外で成功したことで、その頭文字だけの略称であるYMOが一般に定着してしまいました。はっぴいえんど、ティン・パン・アレーなど日本のポップ・ミュージックを牽引してきた細野晴臣が、ソロアルバム『はらいそ』を制作していた時に、高橋幸宏と坂本龍一がアルバムに参加したことがきっかけで結成されます。そして、1978年にデビューアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』を完成させ、シンセサイザーとコンピューターを駆使したサウンドが大きな反響を呼びます。翌80年にセカンド・アルバム『ソリッド・ステイト・サバイバー』が発表され、「ライディーン」、「テクノポリス」がヒットし、ミリオン・セールスを記録。特に「日本のビートルズ」という触れ込みで、ワールド・ツアーも行い、世界中に知られるようになります。彼らのサウンドが「テクノ・ポップ」と呼ばれたり、また、トレードマークとなった、もみ上げをそり落とした髪型が「テクノ・カット」と呼ばれるなど、一躍時代の寵児となります。
この曲「君に、胸キュン〜浮気なヴァカンス〜」は、1983年にカネボウのCM曲として発表した7枚目のシングルで、作詞を松本隆が担当。初めて日本語の歌詞の曲に挑戦し、自ら「テクノ歌謡」と呼び、オリコンのシングルチャート1位を狙ったのですが、細野が作曲し、松本が作詞を担当した松田聖子の「天国のキッス」に阻まれ、2位に終わったというエピソードがあります。そして、この曲を収めたアルバム『浮気なぼくら』発売後に、解散を意味する「散開」を発表し、5年という活動期間の幕を下ろしました。しかし、1993年、「再生」という言葉で再結成。アルバム『テクノドン』を発表し、東京ドームでコンサートを行い、再び活動を停止。3人による音楽のコラボレートは行なわれていましたが、去年、キリンビールのCM出演をきっかけに一夜限りのライブが行なわれて、話題を集めました。
◆4月30日(水)
ダイアー・ストレイツ 「マネー・フォー・ナッシング」
グラスゴー出身のマーク・ノップラーを中心に、1976年に弟のデビッド・ノップラー、ジョン・イルズリー、ピック・ウィザースの4人で結成されたダイアー・ストレイツ。このバンド名は、ウィザースの友人がいつも「絶体絶命」の金欠状態で、そのことをからかって「ダイアー・ストレイツ」と呼んだことから来ています。
マーク・ノップラーが29歳のときにシングル「悲しきサルタン」でデビューするのですが、イギリスでは全く売れず、アメリカへ渡って、積極的にライブ活動を行ないます。最初に火がついたのは、オーストラリアのラジオ局で、それがアメリカで盛り上がりを見せて、全米シングルチャートで4位を記録し、1年後に本国イギリスでもヒットします。
この曲「マネー・フォー・ナッシング」は、1985年に発表した6枚目のアルバム『ブラザース・イン・アームス』からのシングルカットで、MTVを皮肉った内容の歌詞でしたが、CGを駆使したミュージック・ビデオが話題を呼び、そのMTVから火がつき、コーラスにスティングが参加していたこともあって大ヒット、初の全米1に輝きました。アルバム『ブラザース・イン・アームス』は、アメリカとイギリスで1を獲得、全世界で2500万枚を超す売り上げを記録しました。
ただ、ダイアー・ストレイツの評価が高まれば高まるほど、マーク・ノップラーのソロ活動が活発になり、映画音楽の制作、ボブ・ディランをはじめ、エリック・クラプトン、ブライアン・フェリーなどの作品をプロデュースをします。1991年に6年ぶりのアルバム『オン・エブリ・ストリート』を発表し、ワールド・ツアーを行ないますが、1995年にバンドは解散を発表しました。
◆5月 1日(木)
森田童子 「僕たちの失敗」
学園闘争が吹き荒れる中、高校を中退、20歳のとき、友人の死をきっかけに歌い始めたという異色の女性シンガーソングライター森田童子。1975年、シングル「さよならぼくのともだち」、アルバム『グッドバイ』でデビュー後、西荻ロフト、屋根裏、両国フォクロア、新宿ロフト、黒色テント劇場などのライブハウスを中心に活動を始めます。カーリー・ヘアにサングラスというスタイルで、コンサートでも素顔を見せることはありませんでしたが、熱狂的なファンに強い支持を集めて、驚異的な観客動員で話題になります。ところが1983年、アルバム『狼少年』を発表後、新宿ロフトでのライブを最後に、音楽活動を止めてしまいます。
この曲「ぼくたちの失敗」は、1976年に発表した2枚目のアルバム『マザースカイ』に収められた曲で、1993年、テレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われたことで、話題を呼び、90万枚を超す売り上げを記録しました。
か細い歌声と刹那的な歌詞がバブル崩壊後の世相とマッチし、さらに、映画「高校教師」でも森田童子の「たとえばぼくが死んだら」が起用された事で、アルバムがCD化されて再発されるなどリバイバルヒットしました。
2003年、ドラマ「高校教師」がリメイクされたときにも「ぼくたちの失敗」が主題歌になり、再び注目が集まりましたが、残念ながら、メディアに登場することはありませんでした。
◆5月 2日(金)
メッセンジャーズ 「気になる女の子」
アメリカ、ミルウォーキー出身の4人組ロックバンド、メッセンジャーズ。1962年に結成された4人組で、モータウンと初めて契約した白人グループとして話題になります。1965年シングル「マイ・ベイビー」でデビューしますが、セールス的には成功を収めることが出来ませんでした。しかし、1967年、リスタートを切る形で、ウィルソン・ピケットのカバー曲「イン・ザ・ミッドナイト・アワー」がヒットします。
この曲「気になる女の子」は、1971年にリリースされたシングル曲で、日本では大ヒットしますが、アメリカのチャートでは最高62位と振るいませんでした。
その後、72年に日本に来たときにシングル「ビッグ・ステップ」がレコーディングされるなど、日本では成功を収めますが、本国アメリカではそれほど人気にならず、70年代初頭に解散してしまいます。
日本では、南沙織や3姉妹ユニット、ザ・チャープスがカバーし、2005年にアミノバリューのCMソングに使われるなど、今なお人気の楽曲になっています。
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