番組について
ONAIR REPORT
BACK NUMBER
◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆4月14日(月)
山口百恵  「横須賀ストーリー」

1972年、人気オーディション番組「スター誕生」で準優勝を獲得。翌73年に、映画『としごろ』に出演し、同じタイトルのシングル曲「としごろ」でデビューした山口百恵。同じ中学校3年生でデビューした森昌子、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と、呼ばれましたが、デビュー当時の人気は華々しいものではありませんでした。そこで、セカンドシングル「青い果実」から、歌詞の内容を刺激的で男心をくすぐるような、女の子が密かに思っている"大人になりたい願望"を具体的に表現して、だんだん人気に火がつくようになります。
そして、1974年、「ひと夏の経験」が初めてトップ3入りし、大ヒット。トップアイドルとしての人気を不動のものとします。また、映画「伊豆の踊り子」に初主演し、その演技力が高く評価されて、「赤い迷路」から始まる"赤いシリーズ"は、6年にも及ぶ人気ドラマとなります。
この「横須賀ストーリー」は、1976年にリリースした13枚目のシングルで、オリコンのシングルチャートで、1位を記録するとともに、彼女の全てのシングル曲の中で最高となる60万枚を超すセールスを記録しました。また、この曲は本人の希望で、作詞・阿木燿子、作曲・宇崎竜童が担当。以後、阿木・宇崎コンビによる歌謡ロック路線で、確固たるスタイルを築いていきます。その後、さだまさしが作った「秋桜」、谷村新司が作った「いい日旅立ち」を歌い国民的歌手としての地位を築きますが、三浦友和と結婚し、若干21歳で引退。芸能活動を離れ、主婦業と子育てに専念するようになりました。

◆4月15日(火)
森昌子  「せんせい」

1971年からスタートした日テレのオーディション番組「スター誕生」に12歳で出場。初代チャンピオンに輝き、翌72年、この曲「せんせい」でデビューした森昌子。山口百恵、桜田淳子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれましたが、はつらつとした抜群に伸びのある歌声で、デビュー曲「せんせい」が60万枚を超す大ヒット。日本レコード大賞新人賞を獲得し、他の2人を圧倒し、デビュー曲で、いきなり大ブレイクします。そして、「同級生」「中学三年生」など次々とヒットを放ち、「中三トリオ」の中では、2人よりも一足早く、紅白歌合戦に出場しました。
映画「男じゃないか・闘志満々」で映画にも出演し、75年には「おかあさん」が春の選抜高校野球の行進曲に選ばれるなど、トップスターへの階段を駆け上がっていきます。1977年に発表した「なみだの桟橋(さんばし)」から本格的な演歌歌手への道を歩み始め、「越冬つばめ」で日本レコード大賞・最優歌唱賞を受賞します。しかし、1986年、歌手森進一との結婚を機に芸能界を引退。3人の男の子の母親として、主婦業に専心しますが、森進一との離婚で、2006年、シングル「ばら色の未来」を発表し、20年ぶりに歌手として再デビュー。
去年はNHK朝の連続テレビ小説『どんど晴れ』にも出演し、女優業も再開させ、話題になりました。

◆4月16日(水)
桜田淳子  「はじめての出来事」

1972年、14歳のときに「スター誕生」で番組史上最高となる25社のプラカードが上がって、第4代グランドチャンピオンになった桜田淳子。翌73年、「天使も夢みる」で歌手としてデビューし、たちまち人気アイドルとなって、3枚目のシングル「わたしの青い鳥」が日本レコード大賞・最優秀新人賞、日本歌謡大賞新人賞を獲得し、ヒットチャートの常連となります。
山口百恵、森昌子とともに「花の中三トリオ」と呼ばれ、国民的な人気を博しましたが、この曲「はじめての出来事」は8枚目にして初めてオリコンのシングルチャートで、1位を獲得し、トップアイドルとしての地位を不動のものにしました。デビュー曲から阿久悠が作詞を担当していましたが、初めての1位ということで、特にこの曲は思い入れの強い1曲になりました。
77年には、中島みゆきが作詞作曲した「しあわせ芝居」がヒットし、少女から大人の女性に成長を遂げて、新たな魅力を打ち出すようになります。20代からは、徐々に女優としての活動が多くなり、テレビやスクリーンやステージで活躍するようになりますが、1992年、結婚をきっかけに芸能界を引退、3人の母親として子育てに専念しています。

◆4月17日(木)
松田聖子  「渚のバルコニー」

70年代を代表するアイドル・山口百恵が引退すると代わるように1980年に「裸足の季節」でデビューした松田聖子。80年代を代表するアイドルとしてヒット曲を連発しただけでなく、その生き方に至るまで、様々な面で、今なお日本の大衆文化に大きな影響を与えています。
ミスセブンティーン・コンテストに応募したことがきっかけで、その歌声をきいたディレクターによってスカウトされる形で、芸能界入りします。1979年、ドラマ「おだいじに」に"松田聖子役"で出演し、この役名を芸名として、翌年「裸足の季節」で歌手デビュー。2曲目のシングル「青い珊瑚礁」が60万枚を越すヒット曲となり、一躍トップアイドルとなります。そして、3枚目のシングル「風は秋色」から「旅立ちはフリージア」まで、"24曲連続オリコンシングルチャート1位"という金字塔を打ち立てます。
この曲「渚のバルコニー」は1982年にリリースした9枚目のシングルで、「赤いスイートピー」に続いて作曲を松任谷由実が担当し、話題になりました。レコーディングの時、「右手に缶コーラ」の「コーラ」の部分に苦労したというエピソードも残っています。
先月、本人が作詞・作曲した71枚目のシングル「花びら舞う季節に」をリリースし、来月には、ニューアルバム『マイ・ピュア・メロディー』をリリースします。結婚・出産・2度の離婚を経てもなお、第一線の音楽家として活動している姿に、自立した女性のシンボルとして、同世代の女性たちから圧倒的な支持を集めています。

◆4月18日(金)
中森明菜  「1/2の神話」

1981年、人気オーディション番組「スター誕生」で史上最高得点で合格し、翌82年5月に「スローモーション」でデビューした中森明菜。続く7月にリリースしたセカンドシングル「少女A」がヒットし、"不良っぽさ""陰のあるアイドル"としてのイメージを定着させ、3枚目のシングル「セカンド・ラブ」で、オリコン1位を獲得します。
この曲「1/2の神話」は、4枚目のシングルで、「少女A」に続く、ツッパリ路線で2曲目のナンバー1に輝きました。作曲は、ソロデビュー前の大沢誉志幸で、大沢誉志幸の名前も知られるようになった1曲となりました。
その後、来生えつこ・たかおの姉弟コンビをはじめ、安全地帯の玉置浩二、高中正義、井上陽水、松岡直也、タケカワユキヒデといった多彩な作家陣が楽曲を手掛け、ヒット曲を連発。1985年「ミ・アモーレ」、1986年「デザイヤー」で、2年連続となる日本レコード大賞を受賞しました。また、1年間のレコード売り上げで決まる日本レコードセールス大賞でも大賞受賞を繰り返し、他のアイドルを圧倒しました。
しかし、恋愛問題で一気にスローダウンしてしまいますが、92年ドラマ「素顔のままで」に主演して、好評を博し、女優としても新境地を開拓。最近では、自分のレーベルである「歌姫レコーズ」を設立して、「歌姫」シリーズのカバー曲を中心としたライブを行って人気を博しています。

PAGE TOP

サウンド オブ マイスター トップページ 玉川美沙たまなび INAX JOQR 文化放送 1134kHz 音とイメージの世界 SOUND OF MASTER サウンド オブ マイスター