番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆4月7日(月)
ビリー・オーシャン  「ゲット・タフ」

カリブ海のトリニダード・トバコ出身のビリー・オーシャンは、4歳のクリスマス・プレゼントにもらったウクレレがきっかけで音楽に興味を持つようになります。8才の時に家族と共にロンドンに移り住み、自分を取り巻く60年代のブリティッシュポップスに影響を受け、ミュージシャンになることを夢見ます。洋服の仕立て業をしながら、夜はパブでローカルバンドに所属して経験を積み、スコーチト・アースというバンドでデビューしますが、まったく売れず、解散。次に自動車工場で働きながら、デモテープを作り、ノーランズのプロデューサーのベン・フィンドンに出会い、1975年、ビリー・オーシャンという名前でソロデビュー。そして、1976年シングル「ディスコ・ラブ」がイギリスで2位を記録。ようやく自動車工場を辞める事が出来たというエピソードもあります。
その後、所属していたレコードが倒産してしまい、新しく出来たジャイブ・レーベルからの第1弾シングルとして「ヨーロピアン・クィーン」という曲を発表します。しかし、全く売れなかったので、もっとアメリカ人受けするようにタイトルを「カリビアン・クィーン」に変えて、発売し直すと、これが全米bPに輝き、その名が全世界で知られるようになり、その後、ヒット曲を連発するようになります。
この曲「ゲット・タフ」は、マイケル・ダグラス主演の映画「ナイルの宝石」の主題歌で、アメリカのシングルチャートで、2位を記録しました。

◆4月8日(火)
ガロ  「学生街の喫茶店」

アメリカのクリスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングが好きという堀内護、日高富明、大野真澄の3人が結成したガロ。堀内はマーク、日高はトミー、大野はボーカルという愛称で、かまやつひろしのバックバンドを経て、1971年、シングル「たんぽぽ」、アルバム『ガロ』でデビューします。洗練されたコーラスワークに、アコースティック・ギターの華麗なるピッキングという洋楽志向の音楽性で、さらにサポートメンバーに高橋幸宏や小原礼が参加していたこともあって、評論家などに実力派ロックバンドとして注目を集めます。
この曲「学生街の喫茶店」は、作詞を山上路夫が作曲をすぎやまこういちが担当。ガロの3枚目のシングル「美しすぎて」のカップリングとして発表された曲でしたが、ラジオの深夜放送で話題となり、A面とB面が差し替えられます。
翌1973年には、オリコンのシングルチャートで、7週連続で1位になり、ミリオンヒットを記録。年末の日本レコード大賞では大衆賞を獲得し、紅白歌合戦にも初出場を果たしました。しかし、自分たちのオリジナル曲にこだわるメンバーと次なる「学生街の喫茶店」を求める世間とのギャップが生まれ、1976年、神田共立講堂でのライブを最後に解散。その後、メンバーはそれぞれソロ活動を続けますが、86年、日高が自宅近くのマンションから転落死してしまい、再び3人が集まって、この曲を演奏する姿は見られなくなってしまいました。

◆4月9日(水)
レオン・ラッセル  「ソング・フォー・ユー」

アメリカ、オクラホマ州出身のレオン・ラッセルは3歳でピアノを習い始め、14歳で、自分のバンドを結成し、地元のナイトクラブに出演するようになります。そして、プロのミュージシャンになるためにロサンゼルスに移住し、ベンチャーズやロネッツ、ザ・バードのセッションに参加し、デラニー&ボニー、ジョー・コッカーのプロデューサーを務めて成功を収めたことで、注目を集めました。
そして、実力がありながらメジャーデビュー出来ないでいるミュージシャンのために「シェルター・レーベル」を作り、その第1弾として1970年、自らのアルバム『ソング・フォー・ユー』を発表します。このアルバムには、ビートルズのジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ローリング・ストーンズのビル・ワイマン、チャーリー・ワッツ、エリック・クラプトン、スティーブ・ウィンウッドといったそうそうたるメンバーが参加し、話題になりました。
この曲「ソング・フォー・ユー」はこのアルバムの1曲目に収められており、カーペンターズ、フランク・シナトラ、アレサ・フランクリン、ダニー・ハザウェイなど多くのアーティストにカバーされているスタンダードとなっています。
その後、バングラディシュ難民救済コンサートにボブ・ディランとエリック・クラプトンと共に参加して注目を集めましたが、ソングライターとしてもその才能を遺憾なく発揮させており、カーペンターズがカバーした「スーパースター」、ジョージ・ベンソンがカバーした「マスカレード」などがヒットしています。
2005年には9年ぶりに来日公演を行い、衰えのないボーカルとピアノプレイで観客を魅了しました。

◆4月10日(木)
ラルク・アン・シエル  「フラワー」

1991年、ベースのテツを中心に大阪で結成されたラルク・アン・シエル。関西を中心にライブ活動を行ない、徐々にライブの動員数を増やしていき、1993年、1STアルバム『デューン』を発表します。当時のメンバーは、ボーカルのハイド、ベースのテツ、ギターのケン、ドラムのサクラで、インディーズでの人気を不動のものとして、翌94年ビデオシングル「眠りによせて」でメジャーデビューを果たします。
この曲「フラワー」は、1996年にリリースした5枚目のシングルで、爽快で、ポップな楽曲が人気となり、この曲を収めたアルバム『トゥルー』は初のオリコン1位を獲得し、ミリオンセールスを記録し、人気が全国区になります。しかし、サクラが覚せい剤で逮捕され脱退したことで、活動を中止。その後、1997年、初の東京ドーム公演を復活ライブで飾り、活動を再開し、98年、新たにユキヒロが正式加入します。
毎回、意欲的な活動で話題を集め、「ハニー」、「花葬」、「浸食〜ルーズ・コントロール〜」の3枚のシングルを同時にリリースしたり、『アーク』と『レイ』という2枚のアルバムを同時にリリースしてダブルミリオンを記録、2006年には結成15周年記念ライブを東京ドームで2日間行いました。
先週ニューシングル「ドリンク・イット・ダウン」をリリースしましたが、4月19日からは中国・上海を皮切りに台湾、パリ、ソウル、香港、東京、大阪で大規模なツアーを行ないます。

◆4月11日(金)
ティナ・ターナー  「愛の魔力」

アメリカ、テネシー州出身のティナ・ターナー。セントルイスのクラブで歌っていたところを人気歌手のアイク・ターナーに出会い、その才能を認められて、1960年「アイク&ティナ・ターナー」として、「ア・フール・イン・ラブ」でデビューします。アイクとティナの2人は、結婚し、夫婦デュオとして「リバー・ディープ・マウンテン・ハイ」「プラウド・メアリー」などのヒット曲を生み出します。ティナ・ターナーは、エネルギッシュな歌声と、ワイルドでセクシーなステージングで、スーパースターに登りつめますが、アイクのドメスティック・バイオレンスが原因で、1976年、離婚、コンビを解消します。 70年代後半は、歌うことさえ許されないという不遇の時代を迎えますが、1982年に発表したアル・グリーンのカバー「レッツ・ステイ・トゥゲザー」がヒット、復活を遂げます。
この曲「愛の魔力」は、1984年に発表したアルバム『プライベート・ダンサー』に収められた曲で、初の全米ナンバー1に輝いただけでなく、グラミー賞では、最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞などの4部門を独占しました。
その後、映画『マッドマックス・サンダードーム』に出演、映画『007ゴールデンアイ』の主題歌がヒットするなど、順調に活動してきましたが、2000年の全米ツアーを最後に引退すると発表し、世間を驚かせました。

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