番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆3月17日(月)
ワイルド・チェリー  「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」

アメリカ、オハイオ州出身のボブ・パリッシを中心に結成されたワイルド・チェリー。高校卒業後、プロのミュージシャンとして活動し、1970年にワールド・チェリーを結成。1972年シングル「ショー・ミー・ユア・バッジ」でデビューします。このワイルド・チェリーというバンド名、ボブの入院中、バンドメンバーがお見舞いに来た時に目に付いたのど飴のフレーバーをそのままバンド名にしてしまったというエピソードがあります。
ワイルド・チェリーは、ハードロックバンドとして、メジャー・デビューしたものの、全く売れず、バンドは消滅。ボブは、音楽をあきらめて、レストラン経営に専念するのですが、ラジオから流れてきた音楽を聴いて、音楽への情熱が再燃。5人組の新生ワイルド・チェリーを再結成します。
ディスコサウンド全盛の時代、ライブに行く先々で観客から「ファンキーな曲」をリクエストされたがきっかけとなり、1976年、この曲「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」で再デビューを果たします。メンバー全員が白人ながら、ファンキーで、ブラック・テイスト溢れるサウンドが受け、全米ナンバー1に輝く大ヒット。元祖ブルー・アイド・ファンク・バンドとして一躍スターの座につきます。また、日本では、テレビ番組の「ダンス甲子園」のテーマ曲やMDウォークマンのCMソングに使用されるなど、不滅のディスコ・サウンドとして今なお愛されている1曲です。
その後、4枚のシングルヒットを放ちますが、大幅なメンバーチェンジに伴い、勢いが失速。1979年、バンドは解散してしまいました。

◆3月18日(火)
ビギン  「恋しくて」

沖縄県石垣島出身の比嘉栄昇、島袋優、上地等の3人から成るバンド、ビギン。3人は小学校の時から同級生で、高校卒業後、それぞれの道を目指して上京。しばらくすると、比嘉の誘いに2人が乗る形で、バイトをしながら音楽活動を始め、ライブハウスを借り切って行った友人の結婚式がきっかけで、ライブハウスのマスターに定期的な出演の依頼を受けます。
そして、1989年TBSのオーディション番組「イカ天」に出演し、この曲「恋しくて」を歌い、2代目グランドイカ天キングに挑戦していたノーマ・ジーンを破ります。5週連続勝ち抜きを果たして2代目グランドイカ天キングになり、翌1990年この曲「恋しくて」でデビュー。この曲は、日産自動車のCMソングにもなり、オリコンシングルチャートで3位を記録、その後も「声のおまもりください」「涙そうそう」「島人ぬ宝」などのヒット曲を生み出し、日本屈指のライブバンドとしての地位を確立しました。特に2000年にリリースした「涙そうそう」は夏川りみや森山良子をはじめ世界各国の数多くのアーティストにカバーされている名曲となっています。また、世界一簡単に弾き語りが出来る弦楽器「一五一会」や指一本で弾けるという『奏生』といった楽器を生み出します。
2005年にはデビュー15周年を記念して、初めて日本武道館でコンサートを開き、話題になりました。さらに2001年から「うたには様々な苦難を乗り越える力があり、そのうたを感謝したい」という想いから沖縄慰霊の日の翌日を「うたの日」として「うたの日コンサート」を企画してきました。
今年は6月28日にさだまさしや遠藤賢司らと共に「うたの日カーニバル」が開催されます。

◆3月19日(水)
アラン・パーソンズ・プロジェクト  「アイ・イン・ザ・スカイ」

アビー・ロード・スタジオで、ビートルズをはじめ、ウィングス、ピンク・フロイドのレコーディング・エンジニアを手掛けていたアラン・パーソンズに、ソングライターのエリック・ウルフソンがロンドンで1974年に、「エドガー・アラン・ポーをモチーフにしたコンセプト・アルバムを作らないか」と持ちかけ、アラン・パーソンズ・プロジェクトが結成されます。そして、1年以上かけて一流のミュージシャンを集め、1976年にシンセサイザーを駆使した1STアルバム、『怪奇と幻想の物語〜エドガー・アラン・ポーの世界』でデビューし、グラミー賞にもノミネートされ、注目を集めます。
その後も、楽曲ごとにボーカルが異なるコンセプト・アルバムを主体にした作風で、オーケストラとロックをポップに融合した作品を生み出し、ライブを行わないプロジェクト形態のバンドとしてイギリスとアメリカで大きな成功を収めます。この曲「アイ・イン・ザ・スカイ」は、1982年に発表した6枚目のアルバム『アイ・イン・ザ・スカイ』からのシングル曲でアラン・パーソンズ・プロジェクト最大のヒット曲となり、全米シングル・チャートでも3位を記録し、世界的な成功を収めます。
しかし、エリックは、ミュージカル音楽に興味を持つようになり、1987年に10枚目のアルバム『ガウディ』を最後に、エリックが脱退し、アランのソロ・プロジェクトとなってしまいます。
95年にライブを行わないバンドがついにライブを行い、ライブ・アルバムも発表し、話題になり、2004年には5年ぶりのニューアルバム『ヴァリッド・パス』を発表し、今年4月からは全米ツアーがスタートします。

◆3月20日(木)
美空ひばり  「川の流れのように」

歌の好きな両親の影響で、子供の頃から歌を歌うことが好きだった美空ひばり。出征する父親の壮行会で歌った時、その歌声を聞いて涙する人たちの姿を見た母親が、ひばりの才能を見出します。地元横浜近郊で慰問活動を始め、天才少女として知られるようになります。
1949年、映画『喉自慢狂時代』でブギウギを歌う少女として映画に初出演。続く映画『踊る竜宮場』に出演し、主題歌である『河童ブギウギ』を歌い、11歳でレコードデビューを果たします。そして、映画『悲しき口笛』に12歳で主演すると映画は大ヒット。さらに主題歌「悲しき口笛」も当時の最高記録である45万枚も売り上げ、国民的な認知度を獲得。
その後、1954年の紅白歌合戦に初出場を果たし、翌55年には江利チエミ、雪村いずみとともに「三人娘」として人気を博します。1960年には「哀愁波止場」で日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、「歌謡界の女王」と呼ばれるようになります。その2年後、俳優の小林旭と結婚するものの、わずか2年で離婚。離婚後に発売したシングル「柔」は180万枚と言う美空ひばり最大のヒット曲となり、日本レコード大賞を受賞します。
1987年、公演先の福岡で倒れ、緊急入院するものの、翌88年に東京ドームで足の痛みを耐えながらも「不死鳥コンサート」を成功させ、完全復活をアピール。その後発表したこの曲「川の流れのように」は、150万枚を超す大ヒットとなりますが、この時、美空ひばりの肺は病に冒されており、1989年6月24日52歳で帰らぬ人となりました。
今年は、生誕70周年ということで、4月に新宿コマ劇場で「フィルムコンサート」が開かれます。

◆3月21日(金)
リセット・メレンデス  「グッディ・グッディ」

ニューヨーク、イーストハーレム出身のリセット・メレンデス。ドナ・サマー、バーブラ・ストライザンド、スモーキー・ロビンソンなどに影響を受け、子供の頃から音楽に興味を持ちます。
リサ・リサ&カルト・ジャムのリサ・ロペスが同じ学校に通っていたこともあって、リサ・ロペスのように自分も同じように成功することを夢見て、グループを結成。そこで、サマンサ・フォックスを手掛けたプロデューサーのカルロス・ベリオスの目に止まります。
リセットは、カルロスのバックコーラスを勤めた後、リード・ボーカルをとるようになり、1991年、「トゥゲザー・フォーエバー」でソロ・デビュー。この「トゥゲザー・フォーエバー」がダンス・チャートでヒットし、40万枚を超すセールスを記録。1STアルバム『トゥゲザー・フォーエバー』から3曲のダンスヒットを生み出します。
このヒットとエキゾチックなルックスを買われてコカコーラのCMに出演するなど、活躍の場を広げ、1993年にはセカンドアルバム『トゥルー・トゥ・ライフ』を発表。日本ではこの曲「グッディ・グッディ」が日本デビュー曲となり、歌詞のフレーズが「ピザまん」と聞こえる「空耳ソング」として、本国アメリカを遥かに凌ぐ60万枚を超すセールスを記録しました。

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