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◆3月3日(月)
ペット・ショップ・ボーイズ 「ゴー・ウエスト」
ニール・テナントとクリス・ロウが結成したテクノ・ポップ・デュオ、ペット・ショップ・ボーイズ。1981年、音楽雑誌の編集者をしていたニール・テナントと、リバプール大学で建築学を学んでいたクリス・ロウが、ロンドンの楽器店で、偶然出会い意気投合。「ウエスト・エンド」というユニットを結成します。ニールがボーカル、クリスがキーボードを担当する形で活動を始めますが、2人の共通の友人がペット・ショップで働いていたということで、バンド名をペット・ショップ・ボーイズに改名。1984年、シングル「ウエスト・エンド・ガールズ」でデビューしますが、全く陽の目を浴びることはありませんでした。
しかし、翌85年にレコード会社を移籍し、そのセカンド・シングルとして、よりポップなアレンジを加えた「ウエスト・エンド・ガールズ」を発表したところ、本国イギリスをはじめヨーロッパ各国そして、アメリカ、カナダでもナンバー1を獲得。日本でもヒットし、全世界で1500万枚以上のセールスを記録し、世界的な音楽シーンのトップグループとなります。
この曲「ゴー・ウエスト」は、ビレッジ・ピープルのカバー曲で、1993年に大ヒット曲します。日本ではウィンター・スポーツ番組のテーマソングになったこともあって、スキー場で流れるほか、海外ではサッカーの試合の応援歌として使われ、2006年のワールドカップでは試合終了後に試合会場に流れるなど、スポーツ系のイベントで使われています。
おととしには14年ぶりにトレバー・ホーンをプロデューサーに迎え『ファンダメンタル』というアルバムをリリースし話題になりました。去年は、サマーソニック出演のために5年ぶりに来日公演を果たしました。
◆3月4日(火)
尾崎豊 「卒業」
青山学院大学高等部入学と同時に路上で歌うようになり、1982年、CBSソニーオーディションに合格。1983年、シングル「15の夜」アルバム『十七歳の地図』を同時にリリースし、現役高校生のままデビューした尾崎豊。1984年3月の卒業式目前に、高校を中退し、卒業式の日に新宿ルイードでデビューライブを行うなど、10代若者の鬱積したエネルギーを解放するかのように表現する姿が支持され、ファン層が広がっていきます。
この曲「卒業」は1985年にリリースされた4枚目のシングルで、理想を追い求め、学校や社会の不条理の壁にぶつかった心の叫びを表現し、多くの若者の心を捉えて、ブレイクします。そして、この「卒業」を収めたセカンドアルバム『回帰線』はオリコンのアルバムチャートで、初登場1位を獲得し、不動の人気を得ます。
同じ85年に3枚目のアルバム『壊れた扉から』をリリースしますが、1986年1月1日の福岡でのライブを機に無期限の活動休止を発表し、アメリカに渡ってしまいます。1年後に帰国しますが、覚醒剤取締法違反で逮捕。1988年、東京ドームに5万6千人を集め、復活ライブを行い、プライベートでも結婚、長男の誕生と充実したかに思われていたのですが、1992年4月、肺水腫のために26歳の若さでこの世を去り、多くのファンに大きな衝撃を与えました。
今年17回忌を迎えるということで、4月にはファンによる初のリクエストベストアルバムが2枚同時に発売されます。
◆3月5日(水)
P・F・スローン 「孤独の世界」
アメリカ、ニューヨーク出身のP・F・スローンは、12歳のときにハリウッドに引っ越し、楽器店で大ファンだったエルビス・プレスリーに出会い、ギターの手ほどきを受けたことがきっかけとなり、ミュージシャンを志し、14歳で、フィリップ・スローンという名前でデビューします。
その後、ダンヒル・レコードを作ったプロデューサー、ルー・アドラーの下で、スティーブ・バリとソングライター・チーム「スローン・バリ」を結成し、バリー・マクガイアの「明日なき世界」、ジョニー・リバースの「秘密諜報員」、ハーマンズ・ハーミッツの「あの娘にご用心」などのヒット曲を生み出していきます。
そして、1965年、シンガーソングライター、P・F・スローンとしてアルバム『ソングス・オブ・アワー・タイムス』でデビュー、この曲「孤独の世界」は、1966年にリリースしたセカンドアルバム『トゥエルブ・モア・タイムス』からのシングル曲で、イタリアをはじめヨーロッパではヒットしますが、本国アメリカでは、全くヒットしませんでした。日本では1969年に発表され、日本人好みのシンプルで、美しいメロディが広く受け入れられて、ロングセラーとして愛されました。
その後、スティーブ・バリとはコンビを解消し、72年までアルバムをリリースしますが94年に22年ぶりにアルバムをリリースするまで音楽活動を止めてしまいます。2006年にはアレンジし直した「孤独の世界」も発表されました。
◆3月6日(木)
菊池桃子 「卒業」
1983年アイドル雑誌「モモコ」の創刊号のイメージガールとなったことで、芸能界デビューを果たした菊池桃子。翌84年、映画「パンツの穴」に主演し、シングル「青春のイジワル」で歌手としてデビューを果たしました。
この曲「卒業」は、1985年にリリースした4枚のシングルで、主演したドラマ「卒業」の主題歌となり、初のオリコン1位に輝きます。その後、10枚目のシングル「アイドルを探せ」まで、7作連続ナンバー1を獲得。武道館でのコンサートも成功させ、アイドルとしてトップの座を確立させます。ちなみに彼女の曲の作曲は、デビューから一貫して、中森明菜の「北ウイング」、杉山清貴&オメガトライブの「ふたりの夏物語 -Never Ending Summer-」で知られる林哲司が担当しました。
88年からは、音楽的な方向転換を図って、ロックバンド「ラ・ムー」としてデビューしますが、興行的に成功を収められず、再びソロに転向。94年には、鈴木雅之とのデュエット曲「渋谷で5時」で注目されました。
その後、プロゴルファーの西川哲と結婚。2児の母となりましたが、去年、12年ぶりにドラマ「山田太郎ものがたり」に出演し、話題になりました。
◆3月7日(金)
ハミルトン,ジョー・フランク&レイノルズ 「恋のかけひき」
ダニー・ハミルトン、ジョー・フランク・キャロロ、トミー・レイノルズの3人から成るアメリカ・ロサンゼルス出身のポップ・グループ・ハミルトン、ジョー・フランク&レイノルズ。もともと、ハミルトンは、ベンチャーズと活動を共にし、ジョーは、ロサンゼルス・シティ・カレッジで音楽理論を学び、レイノルズはスタジオ・ミュージシャンとして活動していました。
60年代にダニー・ハミルトンが結成し、「ビートでOK」や「真っ赤な太陽」といったCMソングをヒットさせたギター・インスト・バンド、Tボーンズに、ジョーとレイノルズも加わりますが、バンドは解散。1971年にバンドを再編成させる形で、ハミルトン,ジョー・フランク&レイノルズを結成します。
そして、ダンヒル・レコードのプロデューサー、スティーブ・バリの下で、この曲「恋のかけひき」でデビューすると、シングルチャートで最高位4位を記録。いきなりミリオンセールスとなって、一躍その名が知られるようになります。
翌72年にレイノルズが脱退し、アラン・デニスンが加わりますが、ハミルトン,ジョー・フランク&レイノルズの名前のままで、「フォーリン・イン・ラブ」をリリース。全米ナンバー1に輝きます。
その後、ハミルトン,ジョー・フランク&デニスンに改名しますが、1980年に解散。ダニー・ハミルトンはスプーンドリフト名義でソロアーティストとして活動しますが、1994年、クッシング病という病気で、48歳という若さで亡くなってしまいました。
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