番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆2月4日(月)
ABC  「ルック・オブ・ラブ」

イギリス、シェフィールド大学を中退し、音楽ジャーナリストとして働いていたマーティン・フライが、仕事でインタビューを行ったヴァイス・ヴァーサというバンドにリード・ボーカルとして合流し、1980年に結成されたABC。結成当時は5人組でしたが、1981年、シングル「涙まだまだ」でデビューすると、4人編成となります。翌82年にリリースしたこの曲「ルック・オブ・ラブ」が本国イギリスのみならず、アメリカのヒットチャートも席巻し、「第2次ブリティッシュ・インベンション」と呼ばれる一大ムーブメントを巻き起こします。
デビュー・アルバム『ルック・オブ・ラブ』のプロデュースを担当したのは、イエスやバグルスで知られているトレバー・ホーン。ゴージャスで、ダンサブル、そして、ファンキーなオーケストラ・ポップな作品となり、イギリスのアルバムチャートで、いきなり初登場ナンバー1を獲得します。
紆余曲折を経て、マーティン・フライとマーク・ホワイトの2人組になった87年、アルバム『アルファベット・シティ』をリリースし、このアルバムから「ホエン・スモーキー・シングス」が大ヒットします。92年、マーク・ホワイトがセラピストに転身した為、ABCは活動休止となりましたが、97年、マーティン・フライがABC名義で活動を再開。セッション・メンバーを加えながらディナー・ショー、懐メロコンサートで活動中で、今日2月4日には、ニューアルバム『トラフィック』をリリースし、このアルバムを引っ提げてコンサートツアーを行う予定です。

◆2月5日(火)
ふきのとう  「白い冬」

北海道出身の山木康世と細坪基佳のフォーク・デュオ「ふきのとう」。北海学園大学のフォークソング研究会で知り合い、ふきのとうを結成。
1973年、ヤマハのポプコンにて北海道大会で入賞し、翌年、この曲「白い冬」でデビューします。結成当初は4人組でしたが、プロデビューを果たした時には2人組となっており、デビュー曲の「白い冬」がヒットし、当時、フォークブームを牽引する存在となります。
そして、「南風の頃」「初夏」「春雷」といった季節感や情景が感じ取れるような作品で多くのファンを獲得します。その後も全国コンサートツアーをコンスタントに続け、1978年には年間に250本ものライブを行いました。
また北海道出身ながら、沖縄での人気が高く、1978年に沖縄限定の「ここは沖縄」というシングルをリリース。ヒットチャートでは、ピンクレディを抜く記録を残しました。しかし、1992年、北海道厚生年金会館のコンサートを最後に18年間続いたグループを解散。現在はソロ活動を続けています。

◆2月6日(水)
シンプリー・レッド  「スターズ」

イギリス・マンチェスター出身のミック・ハックネルは、芸術学校に通っている時に、フランティック・エレベーターズというパンク・バンドを結成するのですが、成功を収めることが出来ず、ソウルに転向して結成したバンドがシンプリー・レッド。ミック・ハックネルの髪の毛が赤毛であったことから、シンプリー・レッドというバンド名になりました。
1985年に、バレンタイン・ブラザーズのカバー「マネーズ・トゥ・タイト」でデビューし、ソウルフルで、洗練されたサウンドに注目が集まり、続いてリリースした「ホールディング・バック・ザ・イヤー」が全米No.1に輝きます。さらに1989年に、ハロルド・メルビン&ブルーノートのカバー「二人の絆」が、全米No.1、イギリスで2位になり、「二人の絆」を収めた3枚目のアルバム『ニュー・フレイム』が初の全英No.1アルバムになります。
この曲「スターズ」は、1991年にリリースした4枚目のアルバム『スターズ』からのシングル曲で、全世界的なヒット曲となり、アルバム『スターズ』は2300万枚を超すセールスを記録します。
このアルバムから、日本人の屋敷豪太がドラマーとして、メンバーになったこともあって、日本でも大ヒットし、スバル「ニュー・インプレッサ」のCMにも使われました。
去年10月に、10枚目となるアルバム『ステイ』をリリースしたのですが、ミック・ハックネルが、「シンプリー・レッドは2009年のツアーを最後に解散する」と発表し、衝撃を与えました。

◆2月7日(木)
奥田民生  「愛のために」

1987年、ユニコーンのボーカリストとして、アルバム『ブーム』でメジャーデビューした奥田民生。シングル「大迷惑」のヒットをきっかけに、「働く男」「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出し80年代後半のバンドブームを牽引しますが、93年に解散。1年間の充電期間を経て、94年、この曲「愛のために」でソロデビューします。
この曲はオリコンのシングルチャートは2位に甘んじましたが、100万枚を超すセールスを記録し、ソロデビューにして初のミリオンヒットを達成します。また、翌95年にリリースしたファーストアルバム『29』もミリオンヒットとなり、その才能を世に知らしめます。
その後も「イージュー・ライダー」「さすらい」などのヒット曲を生み出す一方で、PUFFYのプロデューサーとしてその手腕を発揮し、また井上陽水や、真心ブラザーズのYO-KINGらとのユニットなど、他のアーティストとの課外活動も積極的に行っています。98年にはアコースティック・ギター1本で全国を回る「ひとり股旅」ツアーを敢行。ソロデビュー10周年を迎えた2004年には、“ひとり股旅形式”で、広島市民球場に3万人のお客さんを集めたコンサートを実現させました。
デビュー20周年の去年は、井上陽水奥田民生を再結成し、ツアーも行い、今年は、先月、ニューアルバム『ファンタスティックOT9』をリリース。現在、このアルバムを引っ提げて全国ツアーを行っています。

◆2月8日(金)
ピーター&ゴードン  「愛なき世界」

ビートルズがイギリスで旋風を巻き起こし、大成功を収めたことで、「ブリティッシュ・インベンション」と呼ばれた1963年。イギリスのレコード会社各社が次なるビートルズを探し始めたその頃、ロンドンのウエストミンスター高校で出会った、ピーター・アッシュとゴードン・ウォーラーの2人は、エバリー・ブラザースが共通のアイドルだったことで、デュオを結成。ロンドンのクラブで歌うようになります。そして、2人の歌声を聞いていたEMIのレコーディング・マネージャーの誘いで受けたオーディションに合格し、1964年、「愛なき世界」でデビューします。
この曲は、ピーター・アッシャーの妹で、女優のジェーン・アッシャーが、当時、付き合っていたポール・マッカートニーによって書かれ、イギリスのみならず、アメリカでもナンバー1を獲得します。デビューから3曲続けてポールが楽曲を提供したこともあり、世界的なヒットを記録。また、デル・シャノン、バディ・ホリー、フィル・スペクターといった売れ線の作家陣からの楽曲の提供もあって、次々とヒット曲を生み出しますが、1968年にコンビを解散。お互いソロ活動をスタートさせます。
特に、ピーター・アッシャーはアメリカ・ロサンゼルスに渡って、ビートルズが作った、アップル・レコードのプロデューサーとなり、ジェイムス・テイラーやリンダ・ロンシュタット、シェールを世に送り出し、グラミー賞を獲得します。おととしは、39年ぶりにピーター&ゴードンが再結成され、大いに話題になりました。

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