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◆1月28日(月)
バーブラ・ストライサンド 「追憶」
アメリカ、ニューヨーク出身のバーブラ・ストライサンド。幼い頃からショービジネスの世界に憧れ、地元で行われたタレント・コンテストで優勝し、クラブやバーで歌うようになります。20歳の時にオフブロードウェイ・ミュージカル『あなたには卸値で』で端役ながらも出演した時にその歌唱力に注目が集まりました。それをきっかけにレコード会社と契約を結び、アルバム『ザ・バーブラ・ストライサンド・アルバム』でデビューするとベストセラーとなり、このアルバムが2つのグラミー賞を獲得します。
そして、ファニー・ブライシスの人生をモチーフにしたブロードウェイ・ミュージカル『ファニー・ガール』で主役に抜擢。1968年に映画化され、この映画で、バーブラはアカデミー賞主演女優賞を受賞し、女優としても大成功を収めました。
この曲「追憶」は、1974年にロバート・レッドフォードと共演して話題になった映画『追憶』の主題歌で、全米シングルチャートで、自身初の1に輝きました。映画もヒットし、アカデミー賞では最優秀主題歌賞も獲得しました。1983年、主演した映画『愛のイエルトン』で念願だった監督としてもデビューを果たします。
バーブラは、映画界におけるアカデミー賞、音楽業界におけるグラミー賞、テレビ番組におけるエミー賞、ミュージカルにおけるトニー賞を全て受賞し、アメリカが誇るスーパースターになりますが、2000年にスタートした「タイムレス」ツアーを最後に歌手としての活動を引退すると発表し、世界中に衝撃を与えました。しかし、去年ツアーを行い、再び歌手活動を再開しました。
◆1月29日(火)
久保田利伸 「ミッシング」
大学在学中から本格的に音楽活動を開始した久保田利伸。羽田一郎らと結成したバンド「ホッテントット」でコンテスト「イーストウエスト」に出場し、ベスト・ボーカリスト賞を獲得します。これがきっかけでアマチュアながら、松岡直也のアルバムにゲストバーカルで参加し、その実力を発揮します。しかしながら、プロの音楽活動は歌手としてではなく、作曲家としてで、田原俊彦に提供した「華麗なる賭け」「イッツ・バッド」はオリコン1に輝きます。
そして、1986年シングル「失意のダウンタウン」で歌手デビュー。その日本人離れしたファンキーなリズム感とブラック・テイストあふれるパフォーマンスが話題になり、日本の音楽業界に新風を巻き起こしました。
この曲「ミッシング」はシングルカットされていないにも関わらず、今なお人気の楽曲で、1STアルバム『シェイク・イット・パラダイス』に収められた1曲です。また200万枚のセールスを記録したベストアルバム『ザ・バッデスト』にも収録されています。
90年代に入るとアメリカでのデビューも考えるようになり、1995年、トシ・クボタ名義で、全米デビューも果たします。96年に発表した、ナオミ・キャンベルとのデュエット「ラララ・ラブソング」はドラマ『ロング・バケーション』の主題歌となり、オリコンシングルチャートで1に輝きます。
最近では、韓国の新人ソンミンやクレバとのコラボレーションが話題になっていますが、3月にはミーシャとのコラボレーションシングル「フライング・イージー・ラビング・クレージー」がリリースされます。
◆1月30日(水)
シック 「おしゃれフリーク」
ナイル・ロジャース、バーナード・エドワードを中心に、アメリカ、ニューヨークで結成されたシック。2人は、ニューヨーク・シティというバンドで出会うと、ドラムのトニー・トンプソンと共にビッグ・アップル・バンドを結成し、ライブを重ね、その実力を発揮していきます。そして、1977年、このビッグ・アップル・バンドに4人のメンバーが加わり、7人組のシックとしてシングル「ダンス・ダンス・ダンス」でデビューすると、いきなりディスコチャートで1位となり、その名が知られるようになります。
そして、翌78年、セカンドアルバム『エレガント・シック』を発表。このアルバムから、この曲「おしゃれフリーク」が全米No.1に輝き、世界中のディスコを席巻し、400万枚のセールスを記録。一躍、彼らは、ブラック・ミュージック・シーンの寵児となります。続く「グッド・タイムズ」もNo.1になるのですが、80年代に入ると、プロデューサーとしての名声が高まるようになります。そのきっかけとなったのが、ダイアナ・ロスの「アップサイド・ダウン」で、特にナイル・ロジャースは、デビッド・ボウイやマドンナのプロデューサーとして有名になります。またドラムのトニー・トンプソンも、パワー・ステーションに参加するなど、個人の活動が目立つようになり、シックの活動は停止してしまいます。
1992年にアルバム『シック・イズム』を発表し、再結成するのですが、1996年に、日本武道館公演を行った翌日、バーナード・エドワードが急死。シックの活動に終止符が打たれてしまいました。
◆1月31日(木)
浜田省吾 「悲しみは雪のように」
大学在学中に、同じ広島出身の音楽仲間と愛奴というバンドを結成し、その後、吉田拓郎のバック・バンドとしてツアーに参加、1975年、愛奴のドラマーとしてプロ・デビューした浜田省吾。シンガーソングライターへの憧れが強く、愛奴を脱退し、1976年、シングル「路地裏の少年」、アルバム『生まれたところを遠く離れて』で、ソロデビューを果たします。小さなライブハウスで地道なライブ活動を続けて、着実にファンを増やし、1979年、日清カップヌードルのCMソングとなった「風を感じて」が初めてヒットし、その名が知られるようになります。
1982年の日本武道館でのコンサートに続き、83年の福岡・海の中道海浜公園での野外コンサートでは、2万5千人を動員。1986年にリリースした、2枚組のアルバム『J・BOY』で、ついにオリコンアルバムチャート、第1位を獲得します。
この曲「悲しみは雪のように」は81年にリリースされたシングル曲ですが、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用されたことで、92年のシングルチャートでも1位に輝き、160万枚のセールスを記録しました。1998年には、20世紀から21世紀をまたぐ、「オン・ザ・ロード2001」という4年がかりのツアーをスタートし、60万人もの観客を動員し、日本の音楽シーンに類を見ないコンサートとして注目されました。
現在は、自分の原点であるホールツアーを行い、ソロデビュー30年を過ぎてなお、精力的に、音楽活動を続けています。
◆2月1日(金)
レベル42 「レッスンズ・イン・ラブ」
1980年、イギリス、ロンドンでベースのマーク・キングを中心にマイク・リンダップ、ブーンとフィルのグールド兄弟の4人で結成されたレベル42。マーク・キングが同じベースのスタンリー・クラークに影響を受けていたこともあって、結成当時はインストルメンタル楽曲中心のファンキーなフュージョン・バンドとして、知られるようになります。しかし、商業的な成功を目指し、積極的にボーカルを取り込むようになり、ダンス・レーベルのエリートから1981年、「ラブ・ミーティング・ラブ」でデビューします。ファーストアルバム『レベル42』は、ファンクとソウル・ミュージックの要素をミックスした内容で、特にマーク・キングのベースのテクニックが話題を集めます。
この曲「レッスンズ・イン・ラブ」は、1987年にリリースしたアルバム『ランニング・イン・ザ・ファミリー』からのシングル・カットで、本国イギリスだけでなく、アメリカでもヒットします。しかし、このアルバムを最後に、グールド兄弟がバンドを脱退。メンバーチェンジが激しくなり、1994年に解散してしまいます。その後、マーク・キングはソロで活動を続けますが、おととし、マイク・リンダップが復帰したことで、12年ぶりにニューアルバム『レトログライド』をリリース。現在は、このアルバムを引っさげてツアーを行っています。
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