番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆12月10日(月)
かぐや姫  「神田川」

「最後の世界」という曲で、ソロデビューしていた南こうせつが、1970年に森進一郎、大島三平とともに「南高節とかぐや姫」を結成。シングル「酔いどれかぐや姫」などをヒットさせますが、わずか1年で解散してしまいます。
しかし、1971年、日本青年館で南こうせつに山田パンダ、伊勢正三の2人を交えた「南こうせつとかぐや姫」の結成コンサートを行い、シングル「青春」で再デビューを果たします。そして、3枚目のアルバム『かぐや姫さあど』からシングルカットしたこの「神田川」がヒットし、最終的には160万枚を超すセールスを記録します。この曲の歌詞は、南こうせつが喜多条忠に依頼したものでしたが、喜多条の学生時代の体験をもとにした歌詞の内容を電話で聞いただけで、曲のメロディが頭に浮かんだというエピソードが残っています。続く「赤ちょうちん」もヒットし、グループ名を「かぐや姫」に変更します。
その後も「妹」等がヒットしますが、1975年4月に「かぐや姫」は解散してしまいます。しかし、吉田拓郎の呼びかけで、その年の8月に6万人を集めて行われた野外コンサート「拓郎・かぐや姫・コンサート・イン・嬬恋」で再結成し、各自がソロ活動を行いながら、しばしば再結成されています。この「拓郎・かぐや姫・コンサート・イン・嬬恋」は去年3万5千人のファンを集めて31年ぶりに開催されて、話題になりました。

◆12月11日(火)
よしだたくろう  「結婚しようよ」

日本のシンガーソングライターの草分け的な存在で数多くのアーティストに多大な影響を及ぼしてきたよしだたくろう。兄の影響で音楽に目覚め、ボブ・ディランに憧れて、ギターを始め、コロムビアレコードのフォークコンテストで、「土地に柵する馬鹿がいる」を歌い、和製ボブ・ディランと騒がれるようになります。
その後、広島のアマチュアフォークサークル「広島フォーク村」を結成し、アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」を自主制作し、今で言うインディーズで発表し、注目を集めます。
そして、1970年シングル「イメージの詩/マークU」でメジャーデビューします。1971年に岐阜県中津川で行なわれた「フォークジャンボリー」で、PAの故障をきっかけにマイクなしで「人間なんて」を2時間近く歌い続けたことが大きく取り上げられ、その直後にリリースしたこの曲「結婚しようよ」が50万枚を超す大ヒットとなり、一躍フォーク界の寵児となります。
その後、井上陽水、小室等、泉谷しげるとともに歌手の手による初のレコード会社「フォーライフレコード」を設立。かぐや姫と共に嬬恋で大規模な野外コンサートを行ったり、現在当たり前に行われているコンサート・ツアーのシステムを初めて取り入れたりと日本ミュージックシーンを牽引しています。

◆12月12日(水)
森山良子  「さとうきび畑」

日本ジャズ界のパイオニアであるジャズ・トランペッター森山久の長女として生まれた森山良子。1967年シングル「この広い野原いっぱい」でデビューし、ジャズシンガーになりたいという彼女の思いとは裏腹に透明感のある歌声と歌唱力で「フォークの女王」と呼ばれ、1969年にリリースした「禁じられた恋」は100万枚を超す大ヒットとなります。
この曲「さとうきび畑」は、作曲家である寺島尚彦が作詞も手掛けた曲で、第2次世界大戦末期の沖縄戦で戦死した人々が眠るさとうきび畑に流れる風の歌を11の連で連ねたもので、1969年に森山良子がレコーディングし、初めてレコード化した作品です。ただ、11連を通して歌うと10分近い楽曲となるため、ちあきなおみはショートバージョンで歌うなど、多くの歌手に歌い継がれています。
森山良子は、その後も「涙そうそう」「あなたが好きで」などのヒット曲を生み出し、名実ともに日本のトップシンガーとなります。なお、この「さとうきび畑」は2001年に歌い直し、日本レコード大賞で、最優秀歌唱賞と金賞を受賞し、カップリングに収められた「涙そうそう」で作詞賞を受賞しました。

◆12月13日(木)
バズ  「ケンとメリー〜愛と風のように〜」

小出博志と東郷昌和が、学生時代結成したバズ。1972年、日産スカイラインのCMソング、この「ケンとメリー〜愛と風のように〜」で、デビューし、一世を風靡しました。
小出博志は、中学時代にエレキバンドを始め、大学1年生の時に「インディアンアップル」というバンドを結成します。この時のバックにYMOのドラマーとなる高橋幸宏、小原礼、林立夫、高橋幸弘の兄である高橋信之が参加、その後、高橋信之を中心としてバンド「ステージフライト」を結成します。一方、東郷は、高校時代に小学校からの同級生であった高橋幸宏とハードロックバンド「ブッダーズ・ナルシーシー」を結成。高橋幸宏から大学時代に小出博志を紹介され、BUZZを結成。高橋信之のプロデュースのもとで、この曲でデビューします。
「ケンとメリー〜愛と風のように〜」以降も、その「はつかり5号」、「記念日」、そして、吉田拓郎がバズに提供した「あなたを愛して」など、数多くのヒット曲を出しています。
バズは、1972年から1981年までで、14枚のシングルとベストアルバムを含む8枚のアルバムをリリース。現在もバズとして活動しており、今年の4月、26年ぶりのニューアルバム「Refrain」をリリースしました。

◆12月14日(金)
井上陽水 「夢の中へ」

3度の大学受験に失敗した井上陽水は、大学進学をあきらめて歌手を志します。ラジオ番組の視聴者が作った音楽を流すコーナーに、自分の作った曲を持ち込み、それがきっかけとなって、「アンドレ・カンドレ」という名前で「カンドレ・マンドレ」でデビュー。その後、2枚のシングルをリリースしています。
72年にアーティスト名を井上陽水と改名し、「人生が二度あれば」で再デビュー。そして、73年にリリースしたこの曲「夢の中へ」が、20万枚近いセールスを記録、陽水にとって初のヒット曲となります。同じ年の12月にリリースしたアルバム「氷の世界」は、リリース直後から1年半にわたってチャート1位を争い続け、アルバムとしては日本初のミリオンセラーとなり、陽水は一躍トップスターの座を獲得します。「夢の中へ」に関しては、陽水が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲であり、89年に斉藤由貴がカバーし、彼女の最大のヒットとなりました。
その後、アルバム『二色の独楽』も10週連続1位を獲得するなど、陽水は「フォークの帝王」と呼ばれるようになります。
84年にはアルバム『9.5カラット』が、99年には、2枚組のベストアルバム「GOLDEN BEST」が3作目のミリオンセラーを記録しています。40年近いキャリアを誇りながら、今なお第一線で活躍し続けています。

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