番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆11月12日(月)
スタイリスティックス   「愛がすべて」

アメリカ・フィラデルフィアで生まれたソウル・グループ、スタイリスティックス。フィラデルフィアで活動していたモナークスとパーカションズという2つのグループが成功を収めることができず、自然消滅してしまい、モナークスから3人、パーカッションズから2人のメンバーが集まって、スタイリスティックスを結成します。
そして、1971年、プロデューサー、トム・ベルのもとで、デビューアルバム『スタイリスティックス登場』をリリース。このアルバムから後にダイアナ・ロスとマービン・ゲイのデュエットでヒットする「ユー・アー・エブリシング」をはじめ5枚のシングルがヒットし、ゴールド・ディスクを獲得します。特に、リード・ボーカルのラッセル・トンプキンス・ジュニアの透き通ったファルセット・ボイスがスイート・ソウル・ブームに拍車をかけて、「ブレイク・アップ・トゥ・メイク・アップ」や「誓い」といったヒット曲を生み出していきます。
そして、1975年の4枚目のアルバムからこの曲「愛がすべて」がシングルカットされ、日本やイギリスをはじめとするヨーロッパで大ヒットします。特に日本では、大ヒットし、最近もマンダムのCMソングに使われて、話題になっています。ただ、4枚目のアルバムからはプロデューサーがヒューゴ&ルイージ、バン・マッコイが担当するようになり、ディスコ/ポップス色が強まり、アメリカでの人気が低迷していきます。さらにラッセル・トンプキンス・ジュニアの脱退をきっかけにメンバーチェンジも行われ、試行錯誤が続きますが、今なお地道に活動を続け、12月には、ビルボード・ライブ・東京などで来日コンサートが行われます。

◆11月13日(火)
たま  「さよなら人類」

弾き語りで活動していた知久寿焼、石川浩司、柳原陽一郎によって結成されたたま。1986年に滝本晃司が加入し、4人バンドになり、4曲入りの「でんご」というレコードでインディーズデビューします。
そして、1989年、オーディション番組「いかすバンド天国」に出場し、5週連続で勝ち抜き優勝し、グランドイカ天キングとなり、翌1990年この曲「さよなら人類」でメジャーデビューを果たします。郷愁を誘うよな幻想的な歌詞、知久のきのこのような髪型にチャンチャンコ姿、そして、石川のランニングシャツに半ズボンという山下清ばりの格好が話題になり、この曲はオリコンで初登場1位を記録、100万枚を超すミリオンヒットとなり、その年紅白歌合戦にも出場します。そればかりか日本レコード大賞・最優秀新人賞、ゴールドディスク大賞新人賞なども獲得し、さらに「現代用語の基礎知識」に「たま現象」という言葉が掲載され、一躍時代の寵児となります。
その後、「イカ天」から派生したバンドブームが終息を迎えますが、たまは時代に流されることなく、寺社や倉庫といった通常のライブ会場でないところでもライブを行うなど、マイペースにライブ活動を続け、さらにパリやニューヨークでもライブを行い、話題になります。
1995年、柳原陽一郎が脱退して3人組になりますが、地道なライブ活動が実を結び、再びメジャーとなります。そして、「あっけにとられた時のうた」が、アニメちびまる子ちゃんのエンディングテーマになり、子供たちの間でブームになります。しかし、メンバーのソロ活動も平行して行われるようになり、2003年にたまは解散していました。

◆11月14日(水)
ボブ・ディラン  「風に吹かれて」

アメリカ、ミネソタ州出身のボブ・ディランは、エルビス・プレスリーにあこがれ、音楽活動を始め、大学に入るとコーヒー・ハウスで歌うようになります。そして、大学を中退、ニューヨークに上京し、フォーク歌手のウディ・ガスリーに出会い、大きな影響を受けて、ニューヨークでもアコースティックの弾き語りを続けます。そこで、プロデューサーのジョン・ハモンドに見出されて、1962年アルバム『ボブ・ディラン』でデビューします。
この曲「風に吹かれて」は、セカンドアルバム『フリー・ホイリーン・オブ・ボブ・ディラン』からのシングルカットで、当時盛り上がっていた公民権運動の代表歌として大ヒットし、彼は、「プロテクト・フォークの旗手」として一躍その名前が知られるようになります。特にこの曲はピーター・ポール&マリーやスティービー・ワンダーがカバーし、リバイバル・ヒットします。ボブ・ディラン自身、プロテクト・フォーク・シンガーとしての名声が高まることに嫌気がさして、1965年、エレキ・ギターを手にアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』をリリースし、一部のフォーク・ファンの反発を受けながらも、その5ヵ月後に発表した『追憶のハイウェイ61』でフォーク・ロック・サウンドを完成させ、このアルバムから「ライク・ア・ローリング・ストーン」が全米1に輝き、初のミリオンヒットになります。
その後、交通事故で重傷を負い、活動停止を余儀なくなれますが、復帰後は、時代を代表するプロデューサー達と作品を世に送り続け、ロックの殿堂入りも果たします。去年はアルバム『モダン・タイムズ』を発表し、全米アルバムチャートで、初登場1位という快挙を達成しました。

◆11月15日(木)
ガオ 「サヨナラ」

1990年、「全日本勝ち抜きロック選手権BSヤングバトル」に出場し、優勝したことがきっかけで、1991年シングル「天国と地獄の毎日」でデビューしたガオ。もともとはGAOというバンドで活動していましたが、解散してしまい、ソロシンガーGAOとしてデビューし、ユニセックス的なルックスとハスキーボイスが特徴で、注目を集めます。
そして、翌92年にリリースしたセカンドシングル「サヨナラ」がドラマ「素敵にダマして」の主題歌となったこともあってヒットし、100万枚を超すセールスを記録し、その年の紅白歌合戦にも出場を果たします。ただ、96年に自らの活動に終止符を打ち、アメリカに渡り、帰国後はヒップホップ・シンガーとして活動をはじめ、ワーというグループを作ったり、最近では、リアルGという名前で活動しています。
この曲「サヨナラ」はシング・ライク・トーキングの佐藤竹善のカバーアルバム『ウタヂカラ〜コーナーストーンズ4〜』の先行シングルとして先月リリースされ、話題になっています。

◆11月16日(金)
ドアーズ 「ブレイク・オン・スルー」

アメリカ、ロサンゼルスのUCLA映画科の学生であったジム・モリスンとレイ・マンザレクを中心に結成されたドアーズ。ジム・モリスンが作った詩に惹かれたオルガンプレイヤーのマンザレクは、ギターのロビー・クリーガーとドラムのジョン・デンスモアに声をかけ、ドアーズを結成。ライブハウスで演奏しているところをレコード会社の人間に認められて、1967年、アルバム『ドアーズ』でデビュー。このアルバムからの第1弾シングルがこの曲「ブレイク・オン・スルー」で、歌詞の中にドラッグを連想させる言葉があるということで、レコード会社がその部分を消してリリースし、物議を醸しますが一大センセーションを引き起こします。そして、次にシングルカットした「ハートに火をつけて」が全米1に輝き、アメリカのトップバンドになります。
3枚目のアルバム『太陽を待ちながら』は、アルバムチャートでも1を獲得し、シングル「ハロー、アイ・ラブ・ユー」が2曲目の1を獲得します。特にジム・モリスンのカリスマ的なステージが話題になり、当時のセックスシンボル的に扱われるようになりますが、スターとしての地位にフラストレーションを感じるようにアルコールやドラッグに溺れていくようになります。
そして、オリジナルメンバーでの最後のアルバムとなった『LAウーマン』収録後、パリに渡り、アパートのバスルームで心臓発作のために27歳で亡くなります。残されたメンバーでバンド活動を続けますが、1972年ドアーズは解散してしまいます。しかし、1991年、オリバー・ストーン監督による映画『ドアーズ』が公開されると世界的に再評価され、マンザレクとクリーガーが「21世紀のドアーズ」として作品を発表するなど、新生ドアーズとして活動を続けています。

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