番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆9月10日(月)
4ノン・ブロンズ  「ホワッツ・アップ」

アメリカ、サンフランシスコ出身の4人組ロックバンド、4ノン・ブロンズ。1989年にブロンドの髪でない4人の女性が結成したことで、"4ノン・ブロンズ"という名前で活動をスタートさせます。何度かメンバーチェンジがあって、ボーカルのリンダ・ペリー、ベースのクリスタ・ヒルハウス、ドラムのドーン・リチャードソンという女性3人とギターのロジャー・ローシャという男性の4人組のユニークなバンド編成になり、1992年、『ビガー・ベター・ファースター・モア』というアルバムでデビューします。
この曲「ホワッツ・アップ」は、このデビューアルバムからのシングルカットで、アメリカだけでなく、イギリス、オランダ、オーストラリアなど世界的に大ヒットし、アルバムは500万枚以上のセールスを記録します。
その後、「ウェインズ・ワールド」のサントラやレッド・ツェッペリンのトリビュート・アルバムに参加しますが、1995年にボーカルのリンダ・ペリーが、音楽性の違いからバンドを脱退。この為に、アルバムを1枚リリースしただけでバンドは解散してしまいます。リンダ・ペリーはソロ・アーティストとして活躍すると同時に、ピンクやクリスティーナ・アギレラのプロデューサーとしても成功を収めます。
「ホワッツ・アップ」は、日本のグッド・イヤーのCMソングになったり、また、アレステッド・ディベロプメントのスピーチが「ヘイ・ソング」という曲でサンプリングしたりと人気の高い曲になっています。

◆9月11日(火)
ジローズ  「戦争を知らない子供たち」

立命館大学の学生だった杉田二郎を中心に1967年に結成された「ジローズ」。あるラジオ番組で「あなただけに」という曲が取り上げられたことがきっかけで、メジャーデビューするのですが、その2ヵ月後、大学卒業を期に解散します。その後、杉田二郎は、はしだのりひこ、おちゆうじ、井上博と共に「はしだのりひことシューベルツ」を結成します。そして「シューベルツ」解散後、杉田二郎は1970年、森下次郎と2人で「ジローズ」を再結成します。当時大学生だった森下は、半年間という活動期限で「ジローズ」に参加したのですが、1971年にこの曲「戦争を知らない子供たち」が20万枚を超す大ヒットを記録します。
当時、世の中はベトナム戦争の真っ最中、平和憲法の下で日本政府がアメリカ合衆国に基地を提供するといった形で協力していたために、反戦平和運動が盛り上がりを見せていた時代であり、この曲は日本における反戦の歌の代名詞となり、大ヒットします。
そして、ジローズはこの年の日本レコード大賞新人賞を受賞、作詞を担当した北山修は日本レコード大賞作詞賞を受賞し、1973年にこの曲の歌詞を原案にした同じタイトルの映画も作られます。
ただ杉田が1970年にジローズを再結成した当初から、森下は半年後に大学に戻るという条件だったこともあり、1972年に第2次「ジローズ」も解散してしまい、杉田はソロ・アーティストとして活動していきます。
その後、「男どうし」「八ヶ岳」「ANAK(息子)」などのヒット曲を生み出しますが、2002年、「ふきのとう」の細坪基佳と「座・ジローズ」を新たに結成し、話題をよびました。

◆9月12日(水)
グレン・フライ  「ヒート・イズ・オン」

アメリカ、デトロイト出身のグレン・フライ。地元で、ボブ・シーガーとバンドを結成し音楽活動をしていましたが、当時付き合っていたガールフレンドを追ってロスへやってきます。そのガールフレンドの姉と付き合っていたのが、J.D.サウザーでお互いに意気投合し、ロングブランチ・ペニーウィッスルというデュオ・グループを結成し、1969年にレコードデビューします。しかし、音楽的な成功を収めることが出来ずに解散、グレン・フライは、ドン・ヘンリー、バーニー・リードン、ランディ・マイズナーと共にリンダ・ロンシュタットのバック・バンドの一員として活動します。ただ4人とも一流のテクニックがあり、4人全員がリードボーカルをとれる実力派であったことから、1971年にイーグルスを結成し、翌1972年に「テイク・イット・イージー」でデビューすると、またたく間にヒットチャートを駆け上がり、一躍話題のロックバンドとなります。
そして、1976年に「ホテル・カリフォルニア」が全世界で1100万枚を越す大ヒットとなり、アメリカを代表するスーパー・ロック・バンドとなるのですが、バンドメンバーの脱退が相次ぎ、1979年にアルバム『ロング・ラン』を発表すると、イーグルスは事実上活動休止状態になってしまいます。1982年に正式にイーグルスの解散が発表されると同時に、グレン・フライはソロ・アーティストとして活動を始めます。
この曲「ヒート・イズ・オン」は、1985年に公開された映画『ビバリーヒルズ・コップ』の主題歌で、全米シングルチャートで第2位を記録します。その後も、テレビドラマ『マイアミ・バイス』や『ゴーストバスターズ2』『テルマ&ルイーズ』などの映画に提供した楽曲がヒットします。また「マイアミ・バイス」やトム・クルーズ主演の「ザ・エイジェント」に出演するなど、俳優としても活躍するようになります。
一方、イーグルスは1994年に再結成され、新曲「ヘル・フリーゼズ・オーバー」をリリースし、ワールド・ツアーを行うなど、断続的にバンド活動をします。そして、今年10月に28年ぶりにオリジナルアルバム『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』を発表します。

◆9月13日(木)
大江千里 「格好悪いふられ方」

3歳からピアノを習い始め、ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」を聞いて、ポップスに目覚めた大江千里。関西学院大学在学中、CBSソニーのオーディションで最優秀アーティスト賞を獲得し、1983年、シングル「ワラビーぬぎすてて」と、アルバム『ワクワク』を同時にリリースし、プロとしてデビューします。
翌84年にリリースした6枚目のシングル「十人十色」が、UHA味覚糖のCMソングとなり、大江本人もCMに出演し、話題になります。そして85年にはドラマ「法医学教室の午後」に出演し、俳優デビューも果たします。その後、松田聖子の「パール・ホワイト・イブ」で日本作曲大賞最優秀作曲家賞、光ゲンジの「太陽がいっぱい」が日本歌謡大賞とFNS歌謡大賞を獲得するなど、メロディ・メイカーとして高い評価を得ます。
さらに1990年に発表した10枚目のアルバム『アポロ』がオリコンアルバムチャート1位を獲得し、名実共に日本のトップアーティストに登りつめます。この曲「格好悪いふられ方」は、翌1991年に発表したシングル曲で、オリコンシングルチャートで2位を記録し、CDセールスは50万枚を超します。
その後もプロデュース業をはじめとする音楽活動、俳優、司会者、ラジオパーソナリティ、エッセイストとして幅広いジャンルで活躍中。
先月〜公開された映画『ホワイト・メキシコ』では17年ぶりに主演を演じ、その挿入歌である「静寂の場所」も19日にリリースされます。
また、21日からは日本の港町を巡るライブツアー「まるごと千里ナイト」も行われるなど、勢力的に活動しています。

◆9月14日(金)
マーベレッツ 「プリーズ・ミスター・ポストマン」

アメリカ、デトロイトの同じ高校の同級生で1960年に結成された女性5人組マーベレッツ。グラディス・ホートン、ワンダ・ヤングを中心に結成されたのですが、その5人が出場した「タレント・ショー」で、優勝したということで、モータウンで開催されていたオーディションに挑戦し、見事合格、1961年、この曲「プリーズ・ミスター・ポストマン」でデビューします。5人の中で、特にパンチの効いた歌声が特徴的だったグラディス・ホートンが戦地に赴いた恋人からの手紙を待つ女性の気持ちを歌いあげ、モータウン初の全米1アーティストグループとなりました。歴史あるモータウンの中でも、デビュー曲がナンバー1を獲得したのは、マーベレッツだけで、初期のモータウンを代表するガールズ・グループとなります。
その後、マーベレッツは「プレイボーイ」「恋のビーチウッド」などのヒット曲を次々とリリースしていきますが、メンバーの入れ替わりが激しくなり、最終的には3人組となって、1970年に解散しています。
この曲「プリーズ・ミスター・ポストマン」は、ビートルズ、ダイアナ・ロス、オリジナルスなどにカバーされ、1975年には世界的アーティストであるカーペンターズにもカバーされ、それにより再び全米1に輝くなど、今なお色褪せることなく、名曲として歌い継がれています。

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