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◆8月27日(月)
クインシー・ジョーンズ 「愛のコリーダ」
アメリカ、シカゴ出身のクインシー・ジョーンズは、少年時代にトランペットを学び、18歳でバークリー音楽院に入学するものの、ライオネル・ハンプトン楽団にスカウトされ、ジャズ・トランペッターとして、プロの道を歩み始めます。
彼の才能が認められたのは、トランペッターとしてではなく、アレンジャーとしてで、カウント・ベイシー、デューク・エリントン、サラ・ボーンといったジャズ界のスターのアレンジを手掛けるようになります。そして、マーキュリー・レコードと契約を結び、自分の作品を発表する一方で、専属プロデューサーとして活躍し、レスリー・ゴーアの「涙のバースデー・パーティ」で、ビルボードの1位に輝くと、マイルス・ディビスやフランク・シナトラのプロデューサーとして成功を収めていきます。60年代に入ると、それまで黒人には門戸が閉ざされていた映画音楽も手掛けるようになり、映画『質屋』でハリウッド音楽界デビューを果たすと、「夜の大捜査線」や「ルーツ」などの映画やテレビ作品に力を注ぐようになります。
この曲「愛のコリーダ」は、チャズ・ジャンケルのカバー曲で、そのポップさが受けて、大ヒットし、その年のグラミー賞で、前代未聞の12部門にノミネートされるという快挙を成し遂げます。
翌1982年には、マイケル・ジャクソンの『スリラー』をプロデュースし、全世界で史上最高の4500万枚のセールスを記録し、さらには、アフリカ飢餓救済チャリティ・ソング「ウィ・アー・ザ・ワールド」をプロデュースし、時代のトレンドを生み出すヒットメーカーとして頂点を極めます。
その後も、次々とヒット曲を生み出していき、音楽だけでなく、映画やテレビ番組も手掛けるようになり、マルチメディア企業の最高責任者を務め、アメリカのエンターテイメントの重鎮として君臨しています。
◆8月28日(火)
ミスター・チルドレン 「イノセント・ワールド」
ボーカルの桜井和寿、ギターの田原健一、ベースの中川敬輔、ドラムの鈴木英哉の4人からなるミスター・チルドレン。
同じ高校の同級生である桜井、田原、中川が軽音楽部で、バンドを結成し、そこへ鈴木が加わり、ミスター・チルドレンとしての活動が始まり、渋谷のライブハウス、ラママを中心にライブを展開し、1992年にミニアルバム『エブリシング』でデビューします。
翌1993年にリリースした3枚目のシングル「クロス・ロード」が、約1年で100万枚のセールスを記録し、初のミリオンヒットなります。このロングヒットを受けてリリースされたシングル曲がこの「イノセント・ワールド」で、アクエリアスのCMソングとなり、オリコンシングルチャートで初登場1位を獲得し、またたく間にミリオンヒットなり、その年のレコード大賞を受賞します。
またこの曲が収められたアルバム『アトミック・ハート』は、400万枚を超す大ヒットとなって、バンドは一気にブレイク、その後、リリースする曲は必ずヒットするという、人気・実力共にトップバンドになっていきます。
また桑田佳佑とコラボレーションで、アクト・アゲンスト・エイズの一環として、チャリティ・シングル「奇跡の地球」を出したり、自然エネルギーを促進するプロジェクトの一環として、BANKBANDとして活動を行うなど、幅広い活動も行っています。
今年はデビュー15周年を迎え、3月にニューアルバム『ホーム』をリリースし、関東近郊では9月8日、9日と日産スタジアムでライブが行われます。
◆8月29日(水)
ボビー・コードウェル 「ハート・オブ・マイン」
アメリカ・ニューヨーク出身のボビー・コードウェル、両親がショービジネスの仕事をしていたこともあって、幼い頃から音楽を志すようになります。
10代に「カトマンドゥ」と言うバンドでデビューしますが、商業的な成功を収められず解散。1976年にソロとして、シングル「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビューし、ヒットします。
そして、1978年1STアルバム『イブニング・スキャンダル』をリリースし、メロディメイカーとして、その才能が花開きます。特にこのアルバムの中に収められた「風のシルエット」は大ヒットし、今も数多くのアーティストによってカバーされています。白人であるボビーですが、黒人のようなソウルフルでエモーショナルな歌声だったこともあって、アルバムのジャケットはシルエットのイラストで発表。
謎の人物として話題になります。その後、日本ではAORシンガーとして不動の人気を得るのですが、本国アメリカではパッとせず、80年代中期には作曲家として活動、ピーター・セテラ&エイミー・グラントの「ネクスト・タイム」で全米1に輝き、シカゴ、ボズ・スキャッグスなどにも楽曲を提供してヒット曲を生み出していきます。
この曲は、6年ぶりにシンガーとしてカムバックした1989年にリリースされたアルバム『ハート・オブ・マイン』からのシングル曲で、ボズ・スキャッグスに書いてヒットしたものだったのですが、セルフカバーと言う形でも大ヒットします。
90年代に入り、ジャズのスタンダード曲を歌ったカバーアルバムをリリースし、ジャズに傾倒しますが、2005年に『パーフェクト・アイランド・ナイツ』という10年ぶりのAORアルバムをリリース、今年12月には来日公演も行われます。
◆8月30日(木)
研ナオコ 「夏をあきらめて」
1971年、東宝レコードの第1号歌手として『大都会のやさぐれ女』でデビューした研ナオコ。
森田公一・阿久悠コンビの楽曲を歌うものの、歌手としてはなかなかヒットに恵まれず、テレビ番組「時間ですよ」でタレントとして人気を博します。
そして、1975年にこの曲が売れなかったら、歌手を辞めようと不退転の覚悟で臨んだシングル「愚図」がヒットし、その後、中島みゆきが提供した「あばよ」「かもめはかもめ」で歌手として不動の地位を獲得します。
この曲「夏をあきらめて」は、サザンオールスターズのカバーで1982年にリリース、大ヒットし、日本レコード大賞金賞をはじめ数多くの賞を受賞します。
類まれなユーモアのセンスの持主として、歌手、女優、タレントとして幅広い活動をしており、2001年には24時間テレビで初の女性ランナーとして85キロを走破し話題になりました。
歌手デビュー35周年ライブの一環で、今年10月にシアトルとロサンゼルスでライブも行われます。
◆8月31日(金)
シャーデー 「スムース・オペレーター」
ナイジェリア生まれでイギリスで育ちのシャーデー・アデュは、ロンドンのアート・カレッジでファッション・デザインを学び、そのエキゾチックな顔立ちからモデルとして活躍しながら、自らブランドを立ち上げ、当時大ヒットしていたバンド、スパンダー・バレエの衣装に採用されるなど、デザイナーとしても成功を収めます。
しかし、ミュージシャンへの憧れが捨てきれず、アリーバというバンドにバック・コーラスとして参加。
音楽的な才能が認められ、リードボーカルと作曲を担当するようになります。
そのバンドのスチャート・マシューマン、アンドリュー・ヘイル、ポール・デンマン、そしてシャーデー・アデュの4人がシャーデーを結成し、1984年にシングル「ユア・ラブ・イズ・キング」でデビューします。
この曲「スムース・オペレーター」は、1STアルバム『ダイアモンド・ライフ』からのシングル曲で、ジャジーで、アダルトコンテンポラリーなサウンドが話題となり、大ヒットし、グラミー賞最優秀新人賞を受賞します。
翌1985年に2NDアルバム『プロミス』をリリースしますが、イギリス、アメリカでナンバー1を獲得し、全世界的にシャーデー旋風を巻き起こしました。
この曲は日産の「ティアナ」のCMソングとしてバーシアがカバーしています。
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