|
|
|
◆8月13日(月)
ガンズ・アンド・ローゼズ 「ユー・クッド・ビー・マイン」
1985年にアメリカ・ロサンゼルスで、ボーカルのアクセル・ローズ、ギターのスラッシュ、ギターのイジー・ストラドリン、ベースのダフ・マッケイガン、ドラムのスティーブン・アドラーというメンバーで結成されたガンズ・アンド・ローゼズ。
1987年にアルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』でメジャー・デビューすると、およそ1年がかりで1位まで上りつめ、全世界でおよそ2000万枚のセールスを記録するなど、一躍トップバンドとして世界中に知られるようになります。ただ、アルバムジャケットにクレームがつき、変更を余儀なくされるなど初めからトラブル続きで、90年代に入ると、ドラッグ問題によりメンバー交代が相次ぎます。
「ユー・クッド・ビー・マイン」は、1991年に2枚同時にリリースされたアルバム『ユーズ・ユア・イリュージョンT』『ユーズ・ユア・イリュージョンU』からのシングルカットで、映画『ターミネーター2』の主題歌としてヒットします。このアルバムは世界のアルバムチャートの1位2位を独占しますが、その後もメンバーの脱退が相次ぎ、1993年にカバー・アルバム『スパゲッティ・インシデント』発売後は、活動停止状態になってしまいます。
しかし、2001年にアクセル・ローズを中心にして新メンバーとともに活動を再開。今年7月には14年ぶりとなる単独来日コンサートを行い、さらに『チャイニーズ・デモクラシー』というアルバムがリリースされるという情報もあり、14年ぶりのニューアルバムも期待されています。
◆8月14日(火)
真心ブラザーズ 「サマーヌード」
メンバーの桜井秀俊がバラエティ番組『パラダイスGO!GO!』の中の「勝ち抜きフォーク合戦」に出場するため、同じサークルの先輩である倉持陽一を誘ったことがことがきっかけで結成された真心ブラザーズ。見事10週連続で勝ち抜いて、ザ・真心ブラザーズとしてシングル「うみ」でデビューし、翌年には1STアルバム『ねじれの位置』を発表します。
その後は、CMソングやテレビ番組のタイアップソングなど、コンスタントに耳なじみのよい曲を発表し、人気を博します。
お互いにソロ活動も同時に平行させて、様々なジャンルの音楽のエッセンスを取り込み、1995年にロックとソウル色を全面に押し出した『キング・オブ・ロック』という5枚目のアルバムをリリース、フォーク・デュオというイメージを払拭させるべく、バンド名を真心ブラザーズに変更します。
この曲は、そのアルバムからのシングルカットで、日清食品のCMソングにもなり、さらに1997年には『エンドレス・サマー・ヌード』というタイトルで、セルフカバーもします。
ロックバンドとしての活動が盛り上がる中、ソロ活動も活発化し、2001年の武道館公演で一度活動を休止。しかし、2005年に活動を再開させ、今年9月に33枚目となるシングル「きみとぼく」もリリースされ、全国ツアーも行うことが決まっています。
◆8月15日(水)
ナザレス 「ラブ・ハーツ」
ボーカル・ギターのダン・マカファティを中心にドラムのダレル・スィート、ベースのピート・アグニューで結成されたシェイデッツというバンドに、1968年、ギターのマニュエル・チャールトンが加わり、スコットランドで、「ナザレス」が結成されます。
1971年「ナザレス」でデビューすると、1972年にディープ・パープルのオープニング・アクトとして全米を回ったことがきっかけとなって、ディープ・パープルのプロデューサーであるロジャー・グローバーの目に留まり、アルバム『ラザマナス』を作ります。このアルバムが世界中で高く評価され、注目を集めます。
この曲は、1960年のエバリーブラザーズのカバー曲で、当時はまったくヒットしなかったのですが、1976年にナザレスがシングルカットすると全米のトップ10ヒットとなりました。
「ラブ・ハーツ」はその後、ジョーン・ジェットやロッド・スチュワート、ノラ・ジョーンズなどにカバーされています。メンバーが亡くなったり、脱退もありましたが、ダン・マカファティを中心に健在で、今年結成40周年を迎えるナザレスは、現在もワールドツアーを行っています。
◆8月16日(木)
フライング・キッズ 「風の吹き抜ける場所へ」
ボーカルの浜崎貴司を中心に結成され、オーディション番組「いかすバンド天国」に出場すると、3代目キングになり、5週勝ち抜きを達成して、初代グランド・イカ天キングとなったフライング・キッズ。1990年にシングル「幸せであるように」をリリースして、メジャーデビューを果たします。
ハイテンションながらも余裕綽々な風貌で、独自のパフォーマンスを展開し、人気を博していきます。この曲「風の吹き抜ける場所へ」は、1994年にリリースされた10枚目のシングルで、丸井の夏のキャンペーンCMソングになり、大ヒットします。その後も、「ディスカバリー」「ニューアドベンチャー」などのヒット曲を生みますが、1998年に惜しまれつつ解散してしまいます。
ボーカルの浜崎貴史は、フライング・キッズ解散後もソロ活動を続け、俳優や声優などにも挑戦し、活発に活動しています。
今週末行われる「ライジング・サン・ロック・フェスティバル」では、浜谷淳子以外のオリジナルメンバー6人が10年ぶりに集結し、フライング・キッズ再結成が発表されています。
◆8月17日(金)
ダイアナ・ロス 「アップサイド・ダウン」
1961年にフローレンス・バラード、メリー・ウィルソンとともにシュプリームスという女性コーラスグループの一人としてデビューしたダイアナ・ロス。ブライアン・ホランド、ラモン・ドジャー、エディ・ホランドの3人からなるプロデューサー・チームと組んで、12曲の全米ナンバー1ソングを世に送り出し、一躍トップスターになります。
1967年にはダイアナ・ロス&シュプリームスとグループ名も改められて、ソロ・デビューの準備がスタートし、1970年の全米ナンバー1ソング「サムデー・ウィル・ビー・トゥゲザー」を最後にグループを脱退します。ダイアナ・ロスはシングル「リーチ・アウト・アンド・タッチ」でソロデビューし、「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」で再び全米1に輝き、順調なキャリアをスタートさせます。
ただ、主演した映画「ビリー・ホリディ物語」「マホガニー物語」「ウィズ」の興行が思わしくなく、女優としては成功を収めることが出来ませんでした。そんな失敗を払拭したのが、この曲「アップサイド・ダウン」で、1980年にシックのナイル・ロジャースとバーナード・エドワーズをプロデューサーに迎えたアルバム『ダイアナ』からのシングルカットで、ダイアナ・ロスがソロとして発表した中で、最大のヒットを記録します。
アルバムもファンクなディスコサウンドが展開され、ダイアナ・ロスのセクシー戦略とマッチングし、8週連続1に輝きます。その後、ライオネル・リッチーとのデュエットナンバー「エンドレス・ラブ」も1に輝き、セントラルパークの20万人を集めてのコンサートを成功させ、女性歌手として頂点を極めます。その後は、人気が下降線をたどってしまいますが、今なお、アメリカ芸能界の大御所として君臨しています。
|
|
|
|
|