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◆8月6日(月)
トーキング・ヘッズ 「ワイルド・ワイルド・ライフ」
ニューヨークのロード・アイランド・デザイン学校に通っていたディビッド・バーン、1973年にドラムのクリス・フランツ、紅一点のベースのティナ・ウェイモスが加わってトーキング・ヘッズの前身のバンドであるジ・アーティスティックを結成します。そこへキーボードのジェリー・ハリソンが加わり、4人編成のトーキング・ヘッズになります。当時ニューヨーク・パンク最大の発信地、クラブCBGB'Sを中心にライブを行い、話題のインテリ系のパンクバンドとして、1977年、アルバム『サイコキラー77』でデビューします。このデビューアルバムがプロデューサーであるブライアン・イーノの目に留まり、自らプロデューサーを買って出て、アフリカン・ファンクのリズムを取り入れた前衛的なバンドとして世界的に注目され、成功を収めます。
さらに1984年には、「羊たちの沈黙」で一世を風靡したジョナサン・デミ監督が「ストップ・メイキング・センス」というトーキング・ヘッズのドキュメンタリー映画を制作し、ユニークな構成と撮影で歴史的なミュージック映画として高い評価を得ます。この曲は、ディビッド・バーンが映画監督を務めた『トゥルー・ストーリーズ』と同じタイトルのアルバム『トゥルー・ストーリーズ』からのシングル曲としてヒットします。しかし、次第にメンバーのソロ活動が目立つようになり、1988年、自然消滅的に活動が停止してしまいます。ただ、2002年、ロックの殿堂入りするにあたり、メンバーが再結成し、ライブを披露しています。
◆8月7日(火)
バンバン 「「いちご白書」をもう一度」
立命館大学在学中に知り合ったメンバーで、「ジャッケルズ」を結成し、プロデビューした ばんばひろふみ。
その後、「ジャッケルズ」を脱退し、1971年に、今井ひろし、高山弘とともにバンバンを結成し、シングル「何もしないで」でデビューします。しかし、デビュー以来、なかなかヒット曲に恵まれず、1975年、高山が脱退した後にリリースしたこの曲、「いちご白書」をもう一度が、30週かけてオリコンbPを獲得します。「いちご白書」は、1970年に公開されたアメリカ映画で、卒業を間近にして、過ぎ去った学生時代を振り返るという内容のもので、ユーミンが作詞作曲し、ユーミンにとっても初の1に輝いた思い出深い曲になっています。
このヒットの後も、引き続きユーミンが作詞作曲した「霧雨の朝突然に」や、さだまさしが作詞作曲した「縁切寺」がヒットしますが、バンバンは1977年、解散してしまいます。
なお、この曲は、2003年にユーミン自身もセルフカバーアルバムの中でカバーしています。
◆8月8日(水)
ハーマンズ・ハーミッツ 「ミセス・ブラウンのお嬢さん」
ビートルズに次いで、アメリカで成功を収めたマンチェスター出身のハーマンズ・ハーミッツ。ボーカルのピーター・ヌーンを中心とした5人組で、もともとピーター・ヌーンは、イギリスのテレビ・ドラマに子役として出演、俳優としてお茶の間では知られていた存在だったのですが、アニマルズを成功に導いた敏腕プロデューサー、ミッキー・モストの手によってピーター・ヌーンをフロントに立て1964年、「朝からゴキゲン」でデビュー。イギリスのヒットチャートでいきなり1を獲得して一躍スター・バンドの仲間入りを果たしました。
この曲「ミセス・ブラウンのお嬢さん」は、翌年の1965年にリリースしたシングル曲で、特にアメリカで大ヒット、ハーマンズ・ハーミッツの不動の人気に火をつけた1曲になりました。もともとは、アルバムを制作中に収録曲が1曲足りず、いつもピーターがライブで歌っていたイギリスのコメディアン、トム・コートネーの歌を、急遽、レコーディングしたところ、意外に受けがよく、シングルカットされたという逸話があり、さらにリリースが決まると予約だけで60万枚の注文を受け、ナンバー1に輝いたというエピソードを残しました。
その後、「ヘンリー8世君」やカーペンターズがカバーした「見つめあう恋」などがヒットしますが、惜しまれつつも1970年に解散してしまいました。
◆8月9日(木)
ジッタリン・ジン 「夏祭り」
1986年にボーカルの春川玲子を中心に、ギターの破矢ジンタ、ベースの浦田松蔵、ドラムの入江美由紀という男性2人女性2人の混成バンドとして結成されたジッタリン・ジン。1989年、当時の人気オーディション番組「イカ天」に出場し、沖縄民謡を取り入れた独自のパンク性が受け、5代目イカ天キングとなり、シングル「エブリデイ」でメジャーデビューします。そして、翌1990年3月にデビューから最短で武道館でライブを行ない、セカンドシングルとしてリリースした「プレゼント」がノンタイアップながらオリコン1位を獲得するなど、当時のミュージックシーンを席巻します。
この曲「夏祭り」は、4枚目のシングルとしてリリースされ、最近ではホワイトベリーもカバーした記憶に新しいヒット曲です。
1991年からは活動の拠点を関西に移し、マイペースな制作活動を行うようになり、スカ、ブルース、R&B、レゲエといったエッセンスを取り込み、音楽性の幅を広げ、インディーズ・シーンで活動するようになります。
1998年にはベースの松蔵が脱退し3人組となりますが、2000年にシングル「青いカナリア」をリリースし、再びメジャー復帰を果たします。
◆8月10日(金)
ファルコ 「ロック・ミー・アマデウス」
オーストリア出身のミュージシャンで、まずはプロのベーシストとして音楽活動を始めますが、1982年に「秘密警察」という曲で、ソロアーティスト、ファルコとしてデビューし、本国オーストリアを中心にヨーロッパで大ヒットし、700万枚を超すセールスを記録します。
この曲「ロック・ミー・アマデウス」は、1985年にリリースした曲で、天才モーツアルトの生涯についてオーケストラ調のサウンドにドイツ語、ウィーン語、英語の混ざり合った歌詞をラップで乗せ、オーストリアを皮切りに、ヨーロッパ各国で1に輝き、大ヒットします。ミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」がアカデミー賞を独占したこともあって、1986年にはその波がアメリカに飛び、オーストリア人としては初めて全米チャート1に輝き、ワールドツアーも行い、日本にも来日します。
その後は、世界的なヒットはなかったのですが、本国オーストリアでコンスタントにアルバムを発表し、音楽活動を行っていたのですが、私生活において、問題を抱え、薬物・アルコールに溺れるようになってしまいます。
その治療もかねて、ウィーンを離れ、ドミニカに移り住んだのですが、1998年、交通事故で、40歳という若さで他界しています。
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