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◆7月9日(月)
フォリナー 「アイ・ウォナ・ノウ」
フォリナーは元スプーキー・トゥースのギター、ミック・ジョーンズ、元ブラック・シープのボーカル、ルー・グラム、元キング・クリムゾンのホーン奏者、イアン・マクドナルドといった蒼々たるバンドの6人によって、ニューヨークで結成されます。イギリス人3人とアメリカ人3人の混成バンドと、当時では珍しいメンバー構成ということで、「フォリナー(外国人)」と名付け、1977年、アルバム『栄光の旅立ち』でデビューします。
デビュー時からスーパーグループとして注目を集め、デビューアルバムが全世界で300万枚のセールスを記録し、一躍人気バンドの仲間入りを果たします。
次々とヒット曲を生み出すものの、メンバーチェンジも激しく、1981年にはミック・ジョーンズとルー・グラムを中心とした4人組になってしまいます。その時にリリースした4枚目のアルバム『4』がビルボードアルバムチャートで、10週連続1位となり、1500万枚以上のセールスを記録します。
そして、1984年に満を持して『プロボカトール』という5枚目のアルバムを発表し、
このアルバムからシングルカットしたこの曲「アイ・ウォナ・ノウ」が、
フォリナー初となる全米シングルチャート1位を獲得します。
この曲では、ニュージャージー・マス・クワイヤなどゴスペル聖歌隊を引き連れ、
壮大なバラードで大成功を収めるのですが、
商業的すぎるということで、メンバー間の音楽的な対立を生み、ルー・グラムは
ソロアルバムをリリースし、ミックはバン・ヘイレンのプロデュースを行う等、
メンバーが個々で活動するようになってしまいます。
その後、ルー・グラムが脳腫瘍で入院し、フォリナーを脱退。
2005年からはミック・ジョーンズが中心になって新メンバーで活動を再開します。
現在は6人編成で、今年デビュー30周年ツアーの一環として、日本にも3月に
来日し、往年のロックファンを喜ばせてくれました。
◆7月10日(火)
大滝詠一 「君は天然色」
1969年、細野晴臣、松本隆、鈴木茂とともに「はっぴーえんど」を結成し、日本語の歌詞によるロックの先駆者として道を切り開きますが、デビューから3年間で3枚のアルバムをリリースしただけで、1973年にあっさりと解散してしまいます。
大滝本人は、「はっぴーえんど」に在籍しながらアメリカン・ポップスの要素を散りばめたソロアルバム『大瀧詠一』を1972年に発表していました。(わざと漢字を違えて発表しています。)
はっぴーえんど解散後、CMソングを手掛ける一方で、1975年にナイアガラレーベルを設立し、シュガーベイブなどの良質なアルバムを発表しますが、商業的に成功しませんでした。そして、1981年に松本隆と再びコンビを組んで、アルバム『ロング・バケーション』をリリース、見事ミリオンセールスを記録します。
この曲「君は天然色」は、アルバム『ロング・バケーション』にも収録されていますが、70年代に試みた音楽的な実験の成果がすべて詰まっていて、日本音楽史上の最高傑作と評価され、日本で初めてCD化された栄誉あるアルバムにも選ばれています。その後、大滝詠一は松田聖子、森進一、ラッツ&スター、薬師丸ひろ子、小林旭などへヒット曲を提供するのですが、1985年歌手活動を休業してしまいます。
しかし、長い沈黙を破り、1997年にテレビドラマ「ラブ・ジェネレーション」の主題歌として、13年ぶりに発表した「幸せの結末」でミリオン・セールスを記録。2003年には「恋するふたり」もヒットさせ、今なお、日本のポピュラー界に大きな影響力を与えています。
◆7月11日(水)
デイブ・リー・ロス 「カリフォルニア・ガール」
デイブ・リー・ロスは、高校時代、同じ学校のエディとアレックスのバン・ヘイレン兄弟が在籍していた『マンモス』というバンドに引き抜かれて、『バン・ヘイレン』を結成し、1978年、キンクスのカバー「ユー・リアリー・ガット・ミー」で衝撃的なデビューを果たします。バン・ヘイレンではマーシャル・アーツで鍛えた体を如何なく発揮したステージが話題を呼び、究極のエンターテイナーとして人気を博します。そして、6枚めのアルバム『1984』からの「ジャンプ」が初の全米No.1に輝きますが、それと並行する形で、ソロ・アルバム『クレイジー・フロム・ザ・ヒート』を発表します。
この曲「カリフォルニア・ガール」は、ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンも参加し、デイブ・リー・ロスのデビュー・ソロ・シングルとしてリリースされて、大ヒットします。このヒットがきっかけで、バン・ヘイレンを脱退し、1986年にスティーブ・バイ、ビリー・シーン、グレッグ・ビソネットとともにデイブ・リー・ロス・バンドを結成し、本格的にソロ・シンガーとして活動をスタートさせます。しかし、ビリー・シーンがミスター・ビッグを結成しバンドを去ると、メンバー探しに苦労し、停滞期を迎えます。
最近では、2002年に2代目のバン・ヘイレンのボーカル、サミー・ヘイガーと一緒に全米ツアーをしたり、救急医療士として活動したりと何かと話題を振りまき、今年2月に再びバン・ヘイレンのボーカルに復帰しています。
◆7月12日(木)
サーカス 「ミスター・サマータイム」
サーカスは、叶正子、叶高、叶央介の叶3姉弟と従姉の卯月節子という男女2人ずつのユニークなコーラス・グループとして結成され、1978年、この曲「ミスター・サマータイム」でデビューします。この曲は、フランスのシンガー・ソングライター、ミシェル・フュガンのカバー曲で、カネボウの夏のキャンペーンソングとなり、オリコンのシングルチャートで1位に輝き、60万枚以上のセールスを記録します。続く、「アメリカン・フィーリング」のヒットによって、実力派コーラスグループの地位を確立し、日本のマンハッタントランスファーと呼ばれます。
1984年、結婚を機に卯月節子が脱退し、原順子が加入し、その後、原順子が叶央介と結婚したことで、現在は、姉弟、夫婦というメンバー構成になっています。
これまでに30枚のシングルと27枚のアルバムをリリースし、オリジナル曲以外にも、ジャズ、クラシック、ビートルズ、そしてJ-POPまで、幅広いジャンルの音楽もカバーしています。
また、今なお1年間に80本近いコンサートを行っており、今年はデビュー30周年を迎え、4月にニューシングル「ペニー・レーンからもう一度」をリリースし、10月にはデビュー30周年記念アルバムもリリース。来年3月まで30周年記念コンサートも行われます。
◆7月13日(金)
セリーヌ・ディオン 「パワー・オブ・ラブ」
カナダ・ケベック州の小さな町で14人兄弟の末っ子として生まれたセリーヌ・ディオンは、両親ともミュージシャンで、家族全員が楽器をこなすという音楽一家だったこともあって、5歳から人前で歌い始めます。そして、娘の才能にいち早く気付いた母親が、12歳の時にデモテープを作り、そのデモテープを聞いたプロデューサー、レネ・アンジェリルがセリーヌの将来性を見抜き、自宅を抵当に入れてまで費用を捻出して、デビュー・アルバムを制作します。天才少女シンガーとして、デビューアルバムがフランス語圏で大ヒットし、10代でカナダのフランス語圏のスターになります。
セリーヌは、よりインターナショナルな成功を収めようと英語を猛勉強し、1990年、英語詞によるデビューアルバム『ユニゾン』を発表します。そして、本格的なブレイクを果たしたのは、ディズニー映画『美女と野獣』の主題歌となったピーボ・ブライソンとのデュエット曲「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」。そのヒットによって、グラミー賞、ゴールデングローブ賞、そしてアカデミー賞の3大タイトルを獲得し、世界的なビッグ・アーティストにまで成長しました。
この「パワー・オブ・ラブ」は、もともとジェニファー・ラッシュのカバー曲で3枚目のアルバム『カラー・オブ・マイ・ラブ』からのシングル曲で、セリーヌにとって初の全米No.1シングルとなります。その後も「ビコーズ・ユー・ラブド・ミー」「マイ・ハート・ウィル・オン」などが大ヒットし、全世界で1億7000万枚以上のCDセールスを記録し、ワールド・ミュージックアウォーズのダイアモンド賞も獲得します。
現在は、ラスベガスのシーザース・パレスで今年の12月まで「ア・ニュー・デイ」という
ミュージカル・ショーが行われています。
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