番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
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◆7月2日(月)
アスワド  「ネクスト・トゥー・ユー」

アスワドは、ロンドンの西、ノッティング・ヒルに住んでいた在英ジャマイカ人であるブリンズレー・フォード、ドラミー・ゼブを中心に1975年に結成されます。アスワドというバンド名は、アラビア語で「黒」という意味で、メンバー全員がジャマイカ人の血を引いていることから、ジャマイカから発祥したレゲエをこよなく愛し、またアフリカ回帰主義を持っていました。そして、ボブ・マーリーを大々的に世界に送り出したアイランド・レーベルが1976年に初のブリティッシュ・レゲエ・グループとして、ハード・コアなデビューアルバム『アスワド』を世に送り出します。
2作目からは、トニー・ガッドがメンバーに加わり、80年代になるとトニー、ブリンズレー、ドラミーの3人組として活動が始まります。
そんなアスワドが大きく変化したのは、甘い声の持ち主であるドラムのドラミーがリード・ボーカルを取るようになってからで、1988年に「ドント・ターン・アラウンド」が全英チャートでナンバー1を獲得、ラバーズ・レゲエへとなっていきました。
この曲「ネクスト・トゥ・ユー」は、1990年にリリースした『トゥー・ウィキッド』からのヒット曲で、アルバムは全世界で好セールスを記録し、一躍世界のメジャーシーンに躍り出ます。
現在はドラミー・ゼブとトニー・ガッドの2人のオリジナル・メンバーでの活動が続けられています。

◆7月3日(火)
オリジナル・ラブ  「サンシャイン・ロマンス」

1985年に田島貴男を中心にオリジナル・ラブの前身となるレッドカーテンというバンドを結成しますが、より幅広いジャンルの音楽を吸収しようという姿勢からバンド名をアメリカのニュー・ウェーブ・バンド、フィーリーズのアルバムから「オリジナル・ラブ」に変更します。
バンド名を変えた頃は、田島貴男は、オリジナル・ラブの活動と同時に、ピチカート・ファイブに加入するのですが、オリジナル・ラブのライブが次第に話題になっていくと、ピチカート・ファイブを脱退し、オリジナル・ラブの活動に専念します。
1991年「ディープ・フレンチ・キス」でメジャー・デビューを果たし、その1カ月後に発売した2枚組の1STアルバム『ラブ・ラブ・アンド・ラブ』は、日本レコード大賞アルバム・ニュー・アーティスト賞を受賞します。その後、次々とヒット曲を放ち、おしゃれでかっこいいイメージが定着、「渋谷系のカリスマ」と呼ばれます。
この曲「サンシャイン・ロマンス」は、1993年に発売した4枚目のシングル曲で、カシオのCMソングにもなって、ヒットします。メジャーデビュー当時は5人組でしたが、その後、3人になって現在は、田島貴男ひとりで活動を続けています。

◆7月4日(水)
ドン・マクリーン 「アメリカン・パイ」

生まれつきひどい喘息持ちだったため、スポーツが出来ず、幼い頃から音楽が心のよりどころだったニューヨーク出身のドン・マクリーン。憧れのヒーローはバディ・ホリーというギター少年で、15歳の時に、プロのミュージシャンになる決心をします。
ギターとバンジョーを手に、ハドソン川の吟遊詩人として地道な活動を続けますが、34のレコードレーベルにリリースを拒否されるという苦労の時代が続きます。
そして、1970年、ようやくアルバム『タペストリー』でレコードデビューを果たしました。この曲は、セカンドアルバム『アメリカン・パイ』からのシングル曲で、飛行機事故で1959年に亡くなったバディ・ホリーを思い浮かべて歌った曲です。8分30秒という非常に長い曲にもかかわらず、ラジオで頻繁にオンエアされて、1972年、全米シングルチャートでナンバー1に輝きます。
ただ、8分以上と長かったために、当時のシングル盤に収録できずにA面とB面に分かれて収められていました。
その後、この曲は、多くのアーティストにカバーされ、2000年には、マドンナがカバーして、再び全米ナンバー1に輝いています。

◆7月5日(木)
五十嵐浩晃 「ペガサスの朝」

北海道出身の五十嵐浩晃は、大学在学中に友人と2人でブリージーというバンドを結成し、ライブハウスで活動を始め脚光を浴びます。そして、ソロアーティストとして、1979年第1回CBSソニー新人オーディションで合格、1980年「愛は風まかせ」でデビューします。
この曲「ペガサスの朝」は、3枚目のシングルとして発売され、明治チョコレートのCMソングとなったことで「ザ・ベストテン」の「今週のスポットライト」に取り上げられます。それがきっかけとなって、一気にブレイク、オリコンシングルチャートでも3位となり、40万枚を超すセールスを記録して、大ヒットします。
爽やかでのびのびとした歌声と明るいキャラクターが受けて、アイドル的な人気を博しますが、1985年に病気を患い、歌手活動を休止してしまいます。
退院後は、自分の活動をしながらも、様々な歌手に楽曲を提供しており、2000年には、楽曲提供がきっかけとなって声優の岩男潤子とデュオユニットを結成しています。現在は、札幌に拠点を置きながら音楽活動をしており、またテレビやラジオのパーソナリティとしても活躍しています。

◆7月6日(金)
バリー・マニロウ 「コパカバーナ」

ニューヨーク、ブルックリン生まれのバリー・マニロウは、父親の影響で、音楽的に恵まれた環境に育ち、高校時代に最優秀ミュージシャンに選ばれます。高校卒業後、ニューヨーク市立大学に入学しますが、音楽こそ自分の仕事であると感じ、ニューヨーク音楽大学を経て、ジュリアード音楽院で音楽を学びます。
はじめは、テレビ番組の音楽ディレクターとして活躍し、CM音楽の制作を手掛けるようになり、ベッド・ミドラーのプロデューサーとしてアルバムを手掛け、綿密なアレンジの才能が高く評価されます。
そして、1975年に「哀しみのマンデー」で歌手としてデビューし、全米シングルチャートでナンバー1に輝きます。さらに、「歌の贈りもの」「想い出の中に」もナンバー1に輝きます。
この曲「コパカバーナ」は1978年に発表したラテンナンバーで、世界的に大ヒットし、グラミー賞、アメリカン・ミュージック・アワードなど数多くの賞を受賞します。特に日本では、一番知名度が高いナンバーで、最近では、キャメロン・ディアスが出演しているソフトバンクCMソングにもなっています。
コンサートチケットの入手が困難なエンターテイナーとしても人気があったのですが、2004年に世界各国を回るコンサート・ツアーからは引退してしまいます。
現在は、ラスベガスのヒルトン・シアターで行われているステージ「ミュージック&パッション」でしか歌う姿が見られないのですが、高額にもかかわらず、すべての公演がソウルド・アウト。
その為に、公演の契約が2008年まで延長され話題になっています。

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