番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月18日(月)
ニルバーナ  「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」

1987年にアメリカ、シアトルで、ボーカル・ギターのカート・コベインと、ベースのクリス・ノボセリックを中心に、ニルバーナが結成され、1989年にインディーズ・レーベルからアルバム『ブリーチ』でデビューします。
そして、1991年にドラムのデイブ・グロールを加えた3人組になって、アルバム『ネバーマインド』でメジャーデビューを果たします。
この曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリッツ」は、『ネバーマインド』からのファーストシングルで、レコード会社は全く売れると期待していなかったものの、一度聞いたら忘れられないメロディと当時の社会問題を憂いている若者の心情を表現した歌詞が支持されて、ラジオとMTVで繰り返しオンエアされ、大ヒットします。水中を裸で泳いでいる赤ん坊が、アメリカ紙幣に釣られるという印象的なジャケットも話題になって、アルバム『ネバーマインド』は、アルバムチャートで1位を獲得し、全世界で2000万枚近いセールスを記録し、一躍時代の寵児になります。
しかし、カート・コベインは自分自身の本来の姿とマスコミが作り出したロック・スターのイメージとのギャップに悩み、また、成功からくる重圧で、ドラッグにおぼれ、奇行が目立つようになって、バンド活動は一時期麻痺してしまいます。
1993年にニューアルバム『イン・ユーテロ』をリリースし、アメリカとイギリスで1を獲得。全米ツアーとヨーロッパツアーを行いますが、1994年、カートは、自宅でショット・ガンで27歳という若さで自殺し、バンドは解散を余儀なくされてしまいます。
その後、クリスは、いくつかのバンドを結成しますが、音楽ビジネスから引退し執筆活動。一方、デイブ・グロールはフー・ファイターズを結成し、成功を収めています。

◆6月19日(火)
原由子  「あじさいのうた」

幼い頃からピアノを習い、お兄さんの影響で、エルトン・ジョンやビリー・ジョエルをよく聴いていたという原由子。青山学院大学在学中にサザンオールスターズのキーボードとして「勝手にシンドバッド」でデビュー。メンバー6人中、紅一点の存在が注目され、「ハラボー」の愛称で親しまれます。サザンでも、キーボード以外に「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」等でリードボーカルを務めるなど、歌唱力に定評もあり、1981年「アイ・ラブ・ユーはひとりごと」でソロ・デビューを果たします。
この曲「あじさいのうた」は、1987年にリリースした6枚目のシングルで、富田靖子主演の映画「ブス」の主題歌になります。ちょうどおなかの中には次男を妊娠中で、音楽を続けようかどうか悩んでいる時にこの曲を書き上げ、音楽を続ける自信が付いたというミュージシャン・原由子復活の1曲にもなったそうです。この曲は、母親となった原由子がソロを再開した時期からの楽曲がまとめられた2枚組アルバム『マザー』にも収められており、原由子が唯一キーボードを弾いているという思い入れのある1曲にもなっています。(他の曲は小林武史等が担当)
また、ソングライターとしても定評があり、伊藤つかさ、小泉今日子、斉藤由貴、酒井法子、広末涼子などに楽曲を提供しています。
そんな原由子ですが、ラジオでオリジナル曲をリリースしようかと話していたこともあり、11年ぶりにオリジナル曲がリリースされるか注目されています。

◆6月20日(水)
カスケーズ 「悲しき雨音」

カリフォルニア州出身のジョン・ガモーを中心にアメリカ海軍で知り合ったデイブ・ザボ、デイブ・ウィルソン、デイブ・スティーブンス、エディ・スナイダーの5人で結成されたカスケーズ。サンディエゴ基地周辺のクラブで歌っているところをワーナー・レコードのディレクターに見い出されて、オーディションを受けて合格、1962年「悲しいわけは」でデビューします。
この曲は、1963年にリリースされた2枚目のシングルで、雷と雨の音から始まり、甘いビブラフォーンの響きとジョン・ガモーの柔らかな歌声が人気となって、世界80カ国で大ヒットし、ミリオンセールスを記録します。
その後も、「悲しき北風」「恋の雨音」などがヒットしますが、ジョン・ガモーがバンドを離れると、1970年代初頭に解散してしまいます。
しかし、この曲は、ゲイリー・ルイスやジョニー・リバーズ、ダン・フォーゲルバーグなどにカバーされ、日本でも神奈川美容外科のCMソングに使われました。そして、今なお、雨の季節になると、耳にする雨の定番ソングになっています。

◆6月21日(木)
モップス 「たどりついたらいつも雨ふり」

グループサウンズが全盛の1966年、ギターの星勝、ドラムのスズキ幹治、ベースの村上薫の3人が、ベンチャーズのカバーバンドとしてチェックメイツを結成します。そこへボーカルの鈴木ヒロミツとギターの三幸太郎が加わり、1967年「朝まで待てない」でデビューしたモップス。他のグループサウンズと一線を画すために、サンフランシスコで始まったサイケデリック・ムーブメントを取り入れて、日本で初のサイケデリック・バンドとしてアルバム『サイケデリック・イン・ジャパン』をリリースし、注目を集めます。
その後、ベースの村上が脱退、三幸がベースを担当し4人組になり、ロック志向を打ち出し、『ロックンロール'70』をリリースし、本格的なロックバンドとして成長を遂げます。
そして、1972年にこの曲「たどりついたらいつも雨ふり」をリリースし、ヒットします。この曲は、『モップスと16人の仲間』というアルバムにも収められていますが、ちょうど時代を席巻しつつあったフォーク系の吉田拓郎をはじめ、井上陽水、泉谷しげる、小室等、加藤和彦、忌野清志郎、かまやつひろしといった、16人の作家陣を迎え、話題のアルバムになります。
モップスは、1974年に解散しますが、星勝とスズキ幹治は浜田省吾や井上陽水のプロデューサーとして活躍しています。
また、鈴木ヒロミツは個性的な髪型と丸いメガネでおなじみの3枚目のタレントとして親しまれましたが、今年の3月にガンのために亡くなっています。
この曲は、吉田拓郎をはじめ、氷室京介、子供バンドのうじきつよしなどにもカバーされています。

◆6月22日(金)
アトランティック・スター 「オールウェイズ」

1976年、ニューヨーク出身のディビッド、ジョナサン、ウェインのルイス3兄弟を中心に女性シンガー、シャロン・ブライアントを擁する9人組のファンクバンドとして結成され、1978年アルバム『アトランティック・スター』でデビューします。
このアルバムから「スタンド・アップ」がヒットし、その後も高度な演奏力と兄弟ならではコーラス・ワークで、メキメキと頭角を現していきます。ただ、メンバー・チェンジが激しく、1985年にメイン・ボーカルだったシャロンも脱退してしまいます。
そして、1987年にバーバラ・ウェザーズを新しいボーカルに迎え、またレコード会社も変わったことで心気一転、これまでのファンク路線からアダルト・コンテンポラリーのバラード・スタイルへと方向転換し、この「オールウェイズ」をリリースします。
この曲により、アトランティック・スターは初の全米シングルチャートbPを獲得、また、一生を共にしようというプロポーズ的な歌詞の内容から、ウェデング・ソングとしても人気を博します。
もともとは、1982年にルイス兄弟によって書かれていたのですが、当時はファンク・バンドだったということもあり、その時はプロデューサーがゴー・サインを出さなかったそうです。
自分たちもリリースする時に、今までのイメージからかけ離れていたために非常に迷ったそうですが、現在も定番のラブソングとして絶大な支持を受けている名曲となっています。

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