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◆6月4日(月)
トム・ジョーンズ 「よくあることさ」
今月67歳になるイギリスを代表する国民的な歌手であり、世界的にも絶大な人気を誇るエンターテイナー、トム・ジョーンズ。イギリス、サウス・ウェールズの小さな炭坑町で育ち、学校を卒業すると16才で結婚、妻子を養うために昼間は炭坑夫として働き、夜は地元のパブで歌うという苦労人でしたが、「すごいシンガーがいる」という噂がロンドンにまで伝わり、トミー・スコットの名前でザ・セネターズというバンドを従えてデビューします。
そして、1964年にトム・ジョーンズに改名し、1965年にセカンドシングルとしてリリースしたこの曲「よくあることがさ」がイギリスのヒットチャートでbPを獲得、アメリカでもトップ10を記録します。
この曲は、トム・ジョーンズの最初のヒットになっただけでなく、その後、マンダム、ホンダ、ルージュ・ディオールといったCMに使用され、本人もカメオ出演した映画『マーズ・アタック』でもラストシーンで使われるなど、時代を超えた名曲になっています。
肉体労働で鍛え上げられたマッチョな肉体、パワフルでソウルフルなダイナマイト・ボイスが人気になって、一躍スターダムを駆け上ったトム・ジョーンズは、テレビ番組『ディス・イズ・トム・ジョーンズ』のホスト役も務め、好評を博し、ファン層を拡大します。
その後も、「シーズ・ア・レイディー」「恋はメキメキ」などのヒット曲を飛ばし、音楽への貢献が認められ、昨年2006年、大英帝国騎士の称号を授与されます。
現在でも、はちきれそうな革のパンツをはいて、年間、約200本のステージをこなし、観客の女性がステージに投げ込む下着に顔から滴る汗を拭いて投げ返すパフォーマンスは、今なお世界中のファンを魅了しています。
◆6月5日(火)
ASKA 「はじまりはいつも雨」
大学のときに、ポプコンに出演するため、高校時代からの友人であるチャゲと共に、チャゲ&飛鳥を結成し、1979年シングル「ひとり咲き」でデビューを果たしたASKA 。
1980年にリリースしたシングル「万里の河」がロング・ヒットとなり、その後「SAY YES」「YAH YAH YAH」「」などのヒット曲を世に送り込みます。
そして、チャゲ&飛鳥の活動と並行して、ソロ活動を開始し、1987年、本人も伊藤博文役で出演したドラマ「新撰組」の主題歌になったシングル「マイ・ミスター・ロンリー・ハート」でソロ・アーティストとしてデビューします。
この曲「はじまりはいつも雨」は、1991年にリリースした3枚目のシングルで、パナソニックのコンポのCMソング、映画「おいしい結婚」の主題歌というタイアップも得て、初のミリオンヒットを記録するだけでなく、この曲を収めたアルバム『シーンU』もミリオンセールスを記録します。
ソロ・アーティストとしても比類なき才能を発揮しているアスカですが、グループの時よりも甘いメロディで、マイルドな歌声で歌っているそうです。
また、ソロで活動するようになってから、ソングライターとしての能力も開花し、光GENJIをはじめ、中山美穂、中森明菜、葛城ユキ、鈴木雅之、徳永英明など、アイドルから実力派シンガーまで、幅広いアーティストに楽曲を提供しています。
2005年には6年ぶりにソロ活動をスタートさせ、コンサートツアーを行いましたが、現在は、チャゲ&飛鳥として、3年ぶりの全国ツアーを行っています。
◆6月6日(水)
チャカ・カーン 「スルー・ザ・ファイヤー」
11歳からバンド活動を結成し、歌い始めたチャカ・カーンですが、厳格な家庭に育った反動で、10代から黒人運動グループ・ブラックパンサーに参加し、17歳で、アッサー・カーンという男性と結婚します。結婚そのものは短かったのですが、その時に「チャカ」がアフリカの言葉で「赤」「炎」という意味を知り、チャカ・カーンと名乗るようになります。
その後、1973年、ルーファスというファンクバンドのボーカルとしてデビュー、スティービー・ワンダーが書いた「テル・ミー・サムシング・グッド」がヒットします。
そして、1978年にバンド活動と並行して、ホイットニー・ヒューストンがカバーしたことでも有名な「アイム・エブリ・ウーマン」で、ソロデビューも果たします。
ルーファスを1983年に脱退後、ソロ活動に専念、1984年にリリースしたプリンスのカバー曲で、5枚目のアルバム『フィール・フォー・ユー』からの同名シングル「フィール・フォー・ユー」が大ヒットを遂げ、名実共にソウル・クィーンとしての地位を確立します。
その翌年、このアルバムからデイビッド・フォスターが作ったこの「スルー・ザ・ファイヤー」をリリース、歴史に残るバラードと賞賛され、特にウェディング・ソングに使われるなどして大ヒットします。
90年代以降もヒップホップやR&Bアーティストたちから熱いリスペクトを受けますが、本人はR&Bの枠にとらわれず、ユーロビートからジャズまでこなすという音楽性の柔軟性があり、最近はジャズのスタンダードアルバムをリリースしています。
◆6月7日(木)
池田聡 「モノクローム・ビーナス」
お姉さんの影響で、小学生の頃からフォークソングやビートルズを聞き、音楽に目覚め、大学時代には、オルケスタ・デ・ラ・ルスのノラとバンドを結成するなど、数多くのバンドを経験します。
そんな大学時代に、バンドのデモテープを聞いたプロデューサーからソロでやらないかといわれ、スズキアルトのCMソングとして、この「モノクローム・ビーナス」でデビューした池田聡。
このCMには、小林麻美が出演したこともあって、話題になり大ヒット。
その後も、「思い出さない夜はないだろう」などのドラマ主題歌やCMソングを中心にヒットを生み出します。90年代に入るとソロ活動のほかに吉岡忍・伊秩弘将・中西圭三と共に
アイス・ボックスというユニットを結成し、話題になります。また、ドラマ「ポケベルが鳴らなくて」「そのうち結婚する君へ」では、俳優としてもデビューを果たします。
ブラジリアン柔術は自ら道場を持つことができるレベルの実力という、意外な一面も持っている池田聡ですが、デビュー20周年を迎えた去年は、中西圭三・赤崎郁洋とロータスを結成してアルバムをリリースしました。
そして現在は全国各地を勢力的にまわって、ライブツアーを行っています。
◆6月8日(金)
エバリー・ブラザーズ 「クライング・イン・ザ・レイン」
ビートルズやサイモン&ガーファンクルに非常に強い影響を与えたエバリー・ブラザーズ。ドンとフィルの兄弟デュオで、ミュージシャンの両親の影響で、幼い頃から音楽活動を開始し、1957年に「バイ・バイ・ラブ」でデビュー。アメリカのヒットチャートで2位を記録します。当時流行していたロックンロールのポップな要素に、2人の絶妙なハーモニーがうまく溶け込んで、幅広い年代の層のファンを取り込み、「起きろよスージー」「バードドッグ」「夢を見るだけ」が全米1に輝きます。
1960年になると、レコード会社をワーナーブラザーズに移籍しますが、ドン・エバリーが書いた「キャシーズ・クラウン」が4曲目の全米bPに輝き、全盛期を迎えます。
この「クライング・イン・ザ・レイン」は、キャロル・キングとハワード・グリーンフィールドという、異色のコンビが書いた1962年のヒット曲で、キャロル自身をはじめ、ノルウェー出身のア〜ハなど数多くのアーティストがカバーしています。
その後、映画俳優への転向を迫られ、俳優養成学校に通うことになり、さらに、1963年、海兵隊に徴兵されるなどして、音楽活動ができなくなってしまいます。
除隊後は、ほとんど作品が売れず、兄弟の不和も目立つようになり、1973年に解散してしまいます。
1984年に再結成し話題になりますが、1988年に引退宣言を発表します。
しかし、2003年にサイモン&ガーファンクルのツアーに参加し、美しいコーラスを聞かせてくれて往年のファンを喜ばせてくれました。
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