番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆5月28日(月)
テレンス・トレント・ダービー 「ウィッシング・ウェル」

ニューヨークで生まれのマイアミ育ちのテレンス・トレント・ダービー。18歳でアメリカ陸軍に入隊し、高校時代からボクシングのずば抜けたセンスを買われていたにも関わらず、すべてが嫌になったということでドイツに逃げ、そこで「ザ・タッチ」というバンドを結成するというユニークな経緯を持っています。
ソロ・アーティストとしての活動をするために、イギリスに渡り、1987年、25歳のときにアルバム『TTD』でデビューを果たします。このデビューアルバムは、新人とは思えないほど完成度が高く、また、ハスキーながら高音域の美しいボーカルが評判になって、イギリスのアルバムチャートで、1位を獲得します。
さらに、アルバムからのセカンドシングルとしてリリースしたこの曲、「ウィッシング・ウェル」が本国アメリカのシングルチャートでナンバー1に輝き、1988年のグラミー賞では、「最優秀男性R&Bボーカル賞」を獲得し、アルバムは全世界で、1200万枚の売上げを記録します。
一躍、スターダムを駆け上がったテレンス・トレント・ダービーは、「ポスト・プリンス」として期待されるのですが、その後の作品は大衆受けせず、商業的には不発に終わってしまいます。
1995年に4枚目のアルバムをリリースすると、何の音沙汰もなくなってしまいますが、シドニー・オリンピックで行われたマイケル・ハッチェンスの追悼コンサートで、インエクセスと共演し、話題を呼びます。
さらに、2001年には、名前をサナンダ・マイトルーヤに改めて、6年ぶりにニューアルバムをリリースし、現在は、活動の拠点をヨーロッパに移して、ライブ活動を行っています。

◆5月29日(火)
アイス  「スロー・ラブ」

コーザノストラやウルフルズなどにギタリストとして参加していた宮内和之が1989年に自分の活動の拠点とするべく「宮内和之セッション」を結成します。そこへ、1990年に国岡真由美がコーラスとして参加、その後幾度かのメンバーチェンジを経て、アイスが結成されます。
最終的に、ギターとすべてのサウンドプロデュースを手掛ける宮内とボーカルの国岡という2人組のユニットとして、1993年にアルバム『アイス』でデビューします。60年代から70年代のロック、モータウンからフィリーソウルといったエッセンスをうまく取り入れたダンサブルなナンバーが、話題を呼び、いわゆるおしゃれな渋谷系に位置づけられて、90年代の音楽シーンの中で、ひときわ注目を集めます。
この曲「スロー・ラブ」は、94年にリリースされた3枚目のシングルで、宮内の卓越したギター・プレイと、国岡のセクシーで、柔らかい歌い方がうまく融合し、大ヒット。
その後、「べイビー・メイビー」「ゲッダウン・ゲッダウン・ゲッダウン」などのヒットを放ちますが、現在は、自分たちの活動と平行して、ミヒマルGTなど、他のバンドのプロデュースやアレンジなど手掛けています。

◆5月30日(水)
シーナ・イーストン 「モダン・ガール」

スコットランド出身のシーナ・イーストンは、イギリスBBCが手掛けたドキュメンタリー番組「ザ・ビッグ・タイム」で、ポップスターを目指す女の子に選ばれたのがきっかけで歌手としてデビューすることになります。
この番組は、イギリス版の「スター誕生」で、シーナ・イーストンは、オーディションに落ちたら終わりだったのですが、EMIレコードが行ったオーディションで見事に合格し、1980年にこの曲「モダン・ガール」でデビューします。しかし、デビュー当時は全くヒットせず、次にリリースした「モーニング・トレイン」が全米で1位を獲得すると、デビュー曲だったこの曲も追いかけるようにヒットチャートを駆け上がり、イギリスとアメリカで2曲が同時にトップ10入りし、彼女のシンデレラ・ストーリーが始まります。
そして、映画『007/ユア・アイズ・オンリー』の主題歌を担当し、1981年にグラミー賞では最優秀新人賞を獲得します。
その後、彼女は活動の拠点をアメリカに移し、時代に合わせて音楽性を変化させ、プリンス、ナイル・ロジャース、ベイビーフェイス、ディビッド・フォスターといった一流アーティストやプロデューサーらと作品を作り上げていき、ポップス、AOR、カントリー、R&B、ダンスという5つのカテゴリーすべてで、トップ5にチャート・インという他の誰も成しえなかった偉業を達成させています。
90年代に入ると女優として「マイアミ・バイス」に出演し、また、ミュージカル女優として成功をおさめますが、最近は、70年代、80年代のディスコ・ヒットをカバーしたアルバムを発売しましたが、今年一月には来日を果たし、往年のファンを喜ばせてくれました。

◆5月31日(木)
ジュディ・オング 「魅せられて」

台湾で生まれ、2歳の時に父親の仕事の都合で来日し、1961年に、13歳で日本とアメリカの合作映画「ビッグ・ウエーブ〜大津波」で、女優としてデビューを果たしたジュディ・オング。
1966年には「星に恋したい/恋ってどんなもの」で歌手としてデビューします。翌67年に「たそがれの赤い月」が50万枚を超す大ヒットとなり、アイドル歌手としても成功を収めます。
そして、彼女の名前を国民的レベルにまで広めたのが、この「魅せられて」の爆発的なヒットで、200万枚を超すセールスを記録するだけでなく、1979年、日本レコード大賞を受賞。紅白歌合戦にも初出場を果たします。
この曲は、元々ワコールのフロントホックブラCMソングだったのですが、池田満寿夫監督の映画「エーゲ海に捧ぐ」のイメージとも合致して、主題歌にもなります。この曲では、扇状に広がる袖がついた優雅でお色気たっぷりの衣装も話題になりましたが、これは彼女のアイディアで、「スクリーン・ドレス」として扇状に広がった袖と胴全体に「エーゲ海の風景」を映す目的でこのデザインになったそうです。
ところが、初めて披露する時には、映像が間に合わず、袖のところに棒を入れて、さらに扇の面積を広くして、ゴージャスに見せ、それが今も脈々と引き継がれているそうです。
その後は、大物歌手としてキャリアを重ねる一方で、木版画家としても成功を収め、数多くの賞を受賞し、世界各国で個展を開催しています。
また、端正なルックスと聡明なキャラクターで、テレビや映画でも活躍していますが、今年、「アメリカンパスタイム〜俺たちの星条旗」というハリウッド映画に初出演し、ますます活動の幅を広げています。

◆6月1日(金)
ヒューマン・リーグ 「愛の残り火」

イギリスのシェフィールドで、全く楽器を扱ったことのない2人のコンピューター技師が結成したザ・フューチャーというグループに、やはり楽器が弾けないボーカル、フィル・オーキーが参加し、1977年に、ヒューマン・リーグが結成されます。
シンセサイザーとシーケンサーによるテクノポップミュージックを創り上げるため、エイドリアン・ライトをメンバーに加え、ステージ上の視覚効果も大切なファクターと考え、スライドを映すというユニークなライブが評判となりました。
そして、1979年に『人類零年』というアルバムでデビューするのですが、翌年にザ・フューチャーを作った2人がバンドを脱退、ヘブン17というグループを作ってしまい、バンドが分裂してしまいます。残されたフィル・オーキーとエイドリアン・ライトは、ヒューマン・リーグの名前を受け継ぎ、ディスコで出会ったスザンヌ・サリーとジョアンヌ・キャサロールという2人の女子高生をステージ映えするという理由でメンバーにし、さらにシンセサイザーとベースの2人を加え、6人組で再スタートします。
その後、リリースしたセカンドアルバム『ラブ・アクション』がイギリスで3位になり、3枚目のアルバム『ディアー』でついに頂点を極めます。
この曲「愛の残り火」は、その『ディアー』からのシングルカットで、イギリス・シングルチャートで1位に輝くと、アメリカでも1位に輝きました。
ニューロマンティックの旗手として80年代に一世風靡しますが、1989年に一旦グループ活動を休止します。1995年にフィル・オーキーとスーザン、ジョアンヌの3人で復活、現在はヨーロッパでのロックフェスティバルを中心にコンサートを行っています。

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