番組について
ONAIR REPORT
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◆今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆3月19日(月)
エクストリーム 「モア・ザン・ワーズ」

1985年にボストンで結成されたハードロック・バンド、エクストリーム。メンバーは、ボーカルのゲイリー・シェローン、ギターのヌーノ・ベッティンコート、ベースのパット・バッジャー、ドラムのパール・ギアリの4人。
1989年にアルバム『エクストリーム』でデビューしますが、ファンクやジャズを取り入れたハード・ロック・サウンドに加え、ヌーノの卓越したギター・プレイとゲイリーの叙情的な歌声、さらにステージ・パフォーマンスが話題となり、絶大な人気を誇ります。この曲「モア・ザン・ワーズ」は、1990年にリリースしたセカンド・アルバム『ポルノグラフィティ』からのシングル・カットで、「言葉より大切なもの」を美しいメロディとアコースティック・ギターでつづり、全米ナンバー1に輝くだけでなく、世界でも大ヒットし、エクストリームの世界的な人気を決定付けます。その後、2枚のアルバムをリリースしますが、ヌーノがバンドを脱退し、ゲイリーがバン・ヘイレンに加入するなどして、バンドは解散してしまいます。
しかし、2004年に再結成し、2005年には東京とボストンで再結成ライブを開催、現在はオリジナルメンバーが集まって、レコーディングをしており、近々ニューアルバムをリリースすると見られています。

◆3月20日(火)
矢野顕子  「春咲小紅」

東京出身ながら、父親の仕事の関係で3歳から青森で育った矢野顕子。
青森に移った時からピアノを始め、幼少の頃からピアノと歌の才能を開花させていました。そして、高校生の時に一人で上京し、軽音楽部に入部し、その卓越した実力が認められ、1年生で部長になってしまいます。高校生でありながら夜な夜な青山のジャズクラブで、弾き語りのアルバイトを始めたことがきっかけで、高校を中退し、そのままプロとして活動を開始します。1974年に「ザリバ」というバンドでデビューしますが、シングル1枚で解散、76年に『ジャパニーズ・ガール』でソロデビューします。このアルバムには、当時アメリカの人気バンド、リトル・フィート、細野晴臣、ムーンライダースの鈴木慶一らが参加し、大いに話題になります。さらに1979年、80年、2度のYMOのワールド・ツアーにサポート・メンバーとして同行し、世界中の注目を集めます。
そして、坂本龍一との共同作業が本格化し、リリースした曲がこの「春咲小紅」です。カネボウの春のCMソングとなったことで、一気にお茶の間の露出も増え、大ヒットします。この曲を収めたアルバム『ただいま』は、YMOのツアー・メンバーがバックを務め、作詞は糸井重里が担当するなど、時代の俊傑が結集し、矢野顕子の存在を世間に知らしめることになります。
その後は、ロック・ジャズ・ファンク・ソウル・童謡・クラシックといった音楽のカテゴリーにとらわれない音楽活動を続け、ピアノ1台あればどこへでも行くという「出前コンサート」をスタートさせます。さらに90年代に入ると、活動の拠点をニューヨークに移し、日本に戻って「さとがえるコンサート」を行うなど、ミュージシャンとして、常に話題になる独自の活動を続けています。

◆3月21日(水)
エクスポゼ 「シーズン・チェンジ」

1884年、マイアミ出身のプロデューサー、ルイス・A・マルチィネーが作った女性ボーカルトリオ、エクスポゼ。メンバーは、マイアミで活動していた女性セッション・シンガーである、ローリー・ミラー、サンデー・カサナス、エール・ロレンゾの3人。
1985年、「ポイント・オブ・ノー・リターン」でデビューし、ダンス・チャートでナンバー1に輝きます。続く2枚目のシングル「エクスポーズド・トゥ・ラヴ」もヒットを記録しますが、アリスタ・レコードは、「スターになるだけの力はない」という理由で、3人を解雇してしまいます。
新生エクスポゼのメンバーに選ばれたのは、ニュー・ブリーズというバンドでボーカルをしていたジーネット・ジュラドゥ、マイアミのナイトクラブで歌っていたジョイア・ブルーノ、音楽と音楽産業を学んだマイアミ大学の卒業生アン・カーレスの3人で、曲によって、メンバーが交互にリード・ボーカルがとれるユニークなグループでした。この曲は、1987年にリリースした1STアルバム『エクスポージャー』からのシングル・カットしたジーネットが歌うバラードで、初の全米シングルチャートでナンバー1を獲得し、アルバムはミリオン・セールスを記録しました。
この曲でエクスポゼは、4曲連続のトップ10入りを達成したのですが、デビュー・アルバムから4曲のトップ10シングルを出したグループは、エクスポゼが史上初となっています。その後、キャッチーなダンス・ポップでヒットを連発しますが、90年代に入ると、ジョイアが脱退しメンバーが変わってしまいます。
しかし、去年、15年ぶりにジーネット、ジョイア、アンの3人が揃って、活動を再開しています。

◆3月22日(木)
海援隊 「贈る言葉」

海援隊は福岡県出身の武田鉄矢、中牟田俊男、千葉和臣の3人から成るフォークグループ。坂本竜馬が日本で最初に作った株式会社にちなんで「海援隊」というバンド名にしたのは、有名な話です。
1972年にリリースしたデビューアルバム『海援隊がゆく』には泉谷しげるが参加し、井上陽水が楽曲を提供するなど話題になります。翌年にリリースしたセカンドアルバム『望郷篇』 からのシングル「母に捧げるバラード」がヒットし紅白歌合戦にも出場を果たしましたが、その後は低迷が続き、武田鉄矢はアルバイトをして収入を得るような状況に陥ってしまいました。
しかしその後、武田鉄矢は映画「幸せの黄色いハンカチ」への出演をきっかけに俳優としての活躍の場が広がり、1979年に「3年B組金八先生」に出演、このドラマのヒットと共に主題歌となったこの曲「贈る言葉」がオリコンで初の1位となり、またミリオンセールスを記録するという快挙を成し遂げました。別に卒業式とは関係のない内容の曲でしたが、番組の影響で、1980年以降は卒業ソングの定番として欠かせない1曲となります。
海援隊は、1982年12月の武道館ライブで解散しますが、1993年の福岡ドームでの1日だけの再結成を経て、1994年バンド活動を再開し、アルバムをリリース。
現在もライブ活動を行っています。
この「贈る言葉」は武田鉄矢名義でセルフカバーしたり、FLOWや上戸彩にカバーされるなど、今なお歌い継がれる名曲の一つになっています。

◆3月23日(金)
アバ  「ダンシング・クィーン」

ビヨルンとアグネタ、ベニ−とアンニ・フリードという2組の夫婦で結成されたスウエーデンの男女4人組、アバ。
1974年から82年のわずか8年間しか活動していなかったのですが、シングルとアルバムの世界的なセールスは2億5千万枚を超え、当時スウエーデンではボルボに次ぐ「輸出産業」といわれるほど外貨を獲得しました。それぞれプロの歌手として活動していましたが、ビヨルンとベニーが曲を作り、アグネタとアンニ・フリードが歌うというスタイルで、4人で活動することになります。最初は、「ビヨルン・アンド・アグネタ・アンニ・フリード」というグループ名でしたが、あまりにも長すぎたためにマネージャーが適当にイニシャルを「A・B・B・A」と並べて書いたことがきっかけで「アバ」という名前になります。
そして、1974年、ユーロビジョン・ソング・コンテストで「恋のウォータールー」を歌って、優勝し、ヨーロッパ各国でナンバー1を記録します。その後、「SOS」「マンマ・ミア」といったヒット曲を生み出し、1976年にこの曲「ダンシング・クィーン」が初の全米ナンバー1になり、世界的なスーパースターになります。
しかし、ビヨルンとアグネタの離婚をきっかけにバンド内に不協和音が目立ち始め、ついにはベニーとアンニ・フリードも離婚。1982年に活動を停止してしまいます。2003年以降、アバの全盛期のコンサートを再現した「アバ・マニア」が話題になり、ヨーロッパ各国で100万人の観客を動員します。
今年、日本でも「アバ・ゴールド」というタイトルになって見れるなど、解散して25年経ちますが、今なおアバ人気は衰えていません。



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