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◆3月5日(月)
ピーター・ガブリエル 「スレッジ・ハンマー」
イギリス・サリー州出身のピーター・ガブリエルは、1967年、中高一貫のパブリック・スクール時代の仲間であるマイク・ラザフォード、トニー・バンクスらとともにジェネシスを結成します。ピーターがジェネシスのリード・ボーカルを務めている時は、プログレッシブな要素が強く、演劇的なライブ・パフォーマンスが注目されました。
しかし、人気と共にスケジュールが過密になり、ピーターの子供が感染症にかかったことが重なり、1975年、突然ジェネシスを脱退してしまいます。が、1977年にソロ・アーティストとしてデビュー、特にします。
ソロになってからは、第3世界の音楽へ目を向けるようになって、ワールド・ミュージックの祭典「WOMADワールド・オブ・ミュージック,アート&ダンス」を開催します。
そんなピーターは、ソロになってヒットに恵まれなかったものの、1986年、R&Bとアフリカのリズム、そしてロックとラテン・フレーバーをちりばめた5枚目のアルバム『ソウ』を発表し、このアルバムに収められていたこの曲「スレッジ・ハンマー」が本国イギリスだけでなく、アメリカでもナンバー1に輝きます。
また、最新の技術を取り入れた粘土細工や切り貼りした写真をめまぐるしく動かすというビデオクリップも大いに話題になって、MTVミュージック・ビデオ・アワォーズのベスト・ビデオに選ばれ、アルバム『ソウ』は500万枚を超すセールスを記録します。
人権活動にも積極的に携わっており、アムネスティ・インターナショナル支援のコンサートを行ったり、去年のトリノオリンピック開幕式では、オノ・ヨーコのスピーチに続いて、「イマジン」を披露しています。
◆3月6日(火)
沢田聖子 「卒業」
「名残り雪」のヒットで知られるイルカのオーディションで合格したことから、1979年にイルカの妹分として「キャンパス・スケッチ」でデビューした沢田聖子。
子供の頃は売れっ子モデルとして数多くのコマーシャルに出演しており、パンシロンのCMでは、寅さんこと渥美清に肩車されて「パンシロンでパンパンパン・・・この歌いつまで続くのぉ?」という名セリフを残しています。
この曲「卒業」は、大学在学中の1982年に7枚目のシングルとして発表して、大ヒットとなり、彼女の代表曲となります。彼女はピアノの弾き語りを中心としたライブに定評があり、ルックスも相まって80年代前半は『学園祭のアイドル』として学生を中心に根強い人気を獲得します。
一方では音楽の方向性に悩み、一時期音楽活動を休止してしまいますが、90年代に入ると本人プロデュースによるアコースティック・ライブを展開します。
最近では、佐田玲子と「THE4/9(ザ・フォーク)」というユニットを結成し、活動しています。
◆3月7日(水)
アルバート・ハモンズ 「カリフォルニアの青い空」
アルバート・ハモンズは、ロンドン生まれながら、第2次世界大戦中ということもあり、イベリア半島南端のイギリス領ジブラルタルで幼少期を過ごし、14歳から音楽家としてのキャリアをスタートさせます。
その後、活動拠点をロンドンへ移し、マイク・ヘイゼルウッドと知り合い、デュエット・ユニットを結成する傍ら、作曲活動を始めます。
そして、1968年にピプキンズの「ギミ・ダッ・ディン」を作曲、大ヒットし、イギリスの作曲家にとってはオスカーにあたる「アイボー・ノベロー賞」を獲得します。また、ヘイゼルウッドとの共作、リービー・リーの「リトル・アロー」が全世界で400万枚を超す大ヒットを記録します。
作曲家として成功を収めたアルバート・ハモンズでしたが、ソロのアーティストとしてデビューを果たし、1972年この曲が全米で大ヒットします。日本でも当時20万枚以上のセールスを記録し、洋楽ポップスのスタンダードになりました。
その後は、ホリーズの「安らぎの世界へ」、レオ・セイヤーの「はるかなる想い」、スターシップの「愛が止まらない」が全米ナンバー1に輝くなど、どちらかというとソングライターとして知られています。特に、スペイン文化の影響を受けたジブラルタルで育っていることもあって、ラテン界のスーパースター、フリオ・イグレシアスのアメリカ進出には協力を惜しまず、アルバートが書いた「かつて愛した人へ」で人気を獲得します。美しいメロディが特徴のアルバート・ハモンズが作り出す曲は、今なお、ティナ・ターナー、アレサ・フランクリン、ホイットニー・ヒューストン、セリーヌ・ディオンといったトップシンガーに取り上げられて、大ヒットを記録しています。
◆3月8日(木)
風 「22才の別れ」
かぐや姫の伊勢正三と、猫の大久保一久が1975年に結成したフォークデュオ、風のデビュー曲が、この「22才の別れ」。
この曲は、元々かぐや姫に在籍していた時、伊勢正三がアルバム『三階建ての詩(うた)』の為に書いているので、かぐや姫の曲ともいえる曲です。
ただ、伊勢正三が作詞作曲をしており、かぐや姫解散後、風のデビュー曲として発表し、70万枚を超すセールスを記録。「風」最大のヒット曲となりました。
その後「あの唄はもう唄わないのですか」「ささやかなこの人生」等を発表しますが、1979年に解散し、それぞれソロ活動を開始します。
この曲は、1984年、倉本聰脚本のドラマ『昨日、悲別で』のエンディングテーマになり、また、今年夏に公開される大林宣彦監督の純愛映画『22才の別れ〜リコリス葉見ず花見ず物語』のモチーフになるなど、今なお、歌い継がれている名曲となっています。
◆3月9日(金)
ピーター、ポール&マリー 「ネバー・エンディング・ストーリー」
リマールは、1980年にイギリスで結成された5人組バンド、カジャグーグーのリード・ボーカルとして、1983年に「君はトゥー・シャイ」をヒットさせます。
しかし、ギャラの問題でバンドを解雇という形で脱退し、1983年12月にソロアーティストとして、シングル曲「オンリー・フォー・ラブ」でデビューします。
そして、翌年1月に「東京音楽祭」に参加し、銀賞を受賞します。この時にゲスト審査員で来ていた音楽プロデューサー、ジョルジオ・モロダーに出会います。
そのジョルジオ・モロダーが、ドイツ映画『ネバー・エンディング・ストーリー』の主題歌を手掛けることになり、リマールに主題歌を歌って欲しいと依頼します。
その申し入れを受ける形で、この曲「ネバー・エンディング・ストーリー」を3枚目のシングルとしてリリース。
この曲は、世界18カ国でナンバー1に輝き、リマール最大のヒット曲となります。
その後、ジョルジオ・モロダー・プロデュースのもと、セカンド・アルバムをリリースしますが、90年代に入ると音楽活動を停止してしまいます。
2001年になり、80年代の映画の主題歌を歌うミュージカルに参加したり、去年はニューシングルをリリースして、ヨーロッパを中心にライブ活動をしています。
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