番組について
ONAIR REPORT
BACK NUMBER
今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆12月18日(月)
ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 「ハッピー・クリスマス」

ビートルズの中心メンバーであったジョン・レノンのソロキャリアの代表曲であり、今なお人気の高いクリスマス・ソングです。「争いはやめよう」、「戦争は終わる」という平和に対するポジティブなメッセージを込め、ただのクリスマス・ソングにしないあたりはジョン・レノンの才能が垣間みれる一曲。この曲は、ビートルズが解散し、ジョン・レノンがアメリカを拠点に活動し始めた1971年にリリースされ、ジョンの並々ならない意欲がこもった1曲ですが、当時、アメリカでは、クリスマス・ソングはチャートにランクインさせないという規定があったためにヒット・チャート的な記録は残っていません。
ビートルズ時代から「僕らの歌はすべて反戦歌だ」と語っていたジョンは、アメリカで本格的に平和活動を始めますが、過激的な活動家と平和活動を行ったために、要注意人物として、FBIから目をつけられてしまいます。その後、ヨーコとの間に息子ショーンが生まれると、子育てに専念し、一切の音楽活動を止めてしまいます。しかし、ショーンの「パパはビートルズだったの?」という言葉で、1980年にアルバム『ダブル・ファンタジー』で音楽シーンに復帰し、プロモーション活動を始めた直後、12月8日に自宅の前で、狂信的なファンに銃で撃たれ、40歳という若さでこの世を去りました。

◆12月19日(火)
ジュン・スカイ・ウォーカーズ 「白いクリスマス」

ボーカルの宮田和弥、ギターの森 純太、ベースの寺岡呼人、ドラムの小林雅之の4人が、1988年にミニアルバム『全部このままで』でメジャーデビューしたジュン・スカイ・ウォーカーズ。バンド名のジュン・スカイ・ウォーカーズは、ギターの森 純太の持っていたTシャツに書かれていた「ジュン・スカイ・ウォーカー」というロゴが気に入って、そのまま採用したのですが、高校時代の英語の先生に「『ローリング・ストーンズ』 も 『ビートルズ』 も有名なグループは複数形の “s” が付いているから、名前を変えてみてはどうか」と言われて、 “s” を付け、ジュン・スカイ・ウォーカーズになりました。
この曲は、1989年にリリースされたクリスマス・ソングで、彼らにとって、初のオリコン1位を記録し、デビュー1年目にして武道館ライブも行います。その後、「スタート」などのヒット曲を放ち、ビート・パンク・バンドを代表する存在になりますが、1993年にベースの寺岡呼人が脱退、メジャーデビュー前に在籍した結成当時のメンバー、伊藤 毅が再加入します。しかし、1997年に解散を発表、6月に日比谷野外音楽堂のライブで解散しました。

◆12月20日(水)
クリス・レア 「ドライビング・ホーム・フォー・クリスマス」

イギリス出身のクリス・レアは、19歳でギターをはじめ、後にホワイトスネイクでブレイクするディビッド・カバーデイルが在籍した地元のバンドに加入します。雑誌「メロディ・メーカー」の新人賞を受賞するなど、着々とギタリストとしてのキャリアを伸ばしていきます。そして、1978年27歳の時に、ソロデビューを果たしますが、商業的には大きな成功を収めることができず、道路工事やセールスマンといった下積み生活を経験します。そんなクリス・レアが世界的な評価を得た曲が1986年にリリースした「オン・ザ・ビーチ」で、日本でもマツダ・エチュードのCMソングに使われ、不動の人気を得ます。そして、1987年に日本でのみリリースされたアルバム『スノウ』の中のヒット曲が「ドライビング・ホーム・フォー・クリスマス」。クリスマスで家路に向かって、車を走らせている楽しい気分が伝わってくる曲になっています。
90年代に入ると、糖尿病にかかり、長期療養を強いられ、生命の危機に見舞われますが、見事に復活、現在は自分の原点であるブルースのレーベルを立ち上げ、ブルース色の強いアルバムをリリースしています。2004年のインドネシア・スマトラ島沖地震の際には、被害者を支援するチャリティ・シングルにも参加していました。

◆12月21日(木)
少年隊 「仮面舞踏会」

少年隊は、錦織一清、東山紀之、植草克秀の3人組ですが、もともとは、トシちゃんやマッチなどのバックダンサーをしていた20〜30人のジャニーズ・ジュニアが「少年隊」と呼ばれていました。1982年に現在の3人のメンバーになって、ジャニーズの先輩バックダンサーとしてテレビの歌番組やコンサートに出演する傍ら、デビュー前から歌番組に出演するなどして、早くから視聴者の注目を集めていました。
そして、デビュー前の1984年にファースト・コンサートを行うなど話題を作り、少年隊を結成して5年目の1985年の12月に満を持して、この「仮面舞踏会」でデビューしました。この曲は、レコード大賞、FNS歌謡祭の最優秀新人賞、日本歌謡大賞の優秀放送音楽賞を受賞し、翌年、この曲で紅白歌合戦に出場しました。(ただ、司会の加山雄三さんが「仮面ライダー」と紹介してしまった話は有名です。)
今年、デビュー21周年目の少年隊は、1986年の夏から毎年「プレイゾーン」と呼ばれているオリジナルミュージカルを行っており、通算上演回数は800回を超えています。

◆12月22日(金)
ビング・クロスビー 「ホワイト・クリスマス」

アメリカが世界に誇る20世紀最大のポピュラー・シンガー、ビング・クロスビー。アメリカ、ワシントン州出身のビング・クロスビーは、大学在学中から、ドラムと歌をやっており、その経験からポール・ホワイトマン楽団に入って、ザ・リズム・ボーイズというボーカルトリオで一躍有名になります。1930年にポール・ホワイトマン楽団を退団すると、ソロ・シンガーとしてラジオや映画に出演し、アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、大成功を収めます。
この「ホワイト・クリスマス」は、ビング・クロスビーが1942年にフレッド・アステアと共演したミュージカル映画『スイング・ホテル』の主題歌で、アカデミー主題歌賞を受賞しました。そして、1954年にこの曲をテーマに、ビング・クロスビーとダニー・ケイが主演の「ホワイト・クリスマス」という映画が作られて、大ヒットを記録します。この2度の映画のヒットによって、この曲は、全米だけでも1億7000万枚以上の売り上げを記録するクリスマス・ソングの定番となっています。



PAGE TOP

サウンド オブ マイスター トップページ 玉川美沙たまなび INAX JOQR 文化放送 1134kHz 音とイメージの世界 SOUND OF MASTER サウンド オブ マイスター