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◆11月27日(月)
ザ・ナック 「マイ・シャローナ」
ザ・ナックは1979年、ロサンゼルス出身の4人組ということで、「第2のビートルズ」として、この「マイ・シャローナ」でデビューしました。このシンプルで、コンパクトで覚えやすいギター・ポップソングは、瞬く間にヒットし、全米で6週連続bPになるだけでなく、1979年度のbPソングにもなります。
この曲が収められているアルバム『ゲット・ザ・ナック』は、制作費わずか1万8千ドル、そして、たった11日間でレコーディングしたにもかかわらず、13日でゴールド・ディスクとなり、最終的には400万枚を超す大ヒットを記録しました。
この「マイ・シャローナ」のインパクトがあまりも強すぎて、その後、2枚のアルバムをリリースしますが、1982年に解散してしまいます。しかし、この曲は今なお、多くの人に親しまれるナンバーとして、映画の挿入歌に使用されたり、CMソングとしても使われています。なお、ザ・ナックは、1991年に再結成し、現在も全米をくまなく回るライブを行なっています。
◆11月28日(火)
桜田淳子 「わたしの青い鳥」
1972年、テレビ番組「スター誕生」で番組史上最高となる25社のプラカードが上がって優勝し、「天使も夢見る」で歌手としてデビューした桜田淳子。この曲は彼女の3枚目のシングルとしてリリースされますが、このヒットがきっかけで、その後はヒットチャートのベストテンの常連になります。この「わたしの青い鳥」は、その年の日本レコード大賞最優秀新人賞、日本歌謡大賞新人賞を獲得します。
桜田淳子は、山口百恵、森昌子とともに「花の中3トリオ」と呼ばれ、70年代を代表するアイドルでしたが、80年にミュージカル「アニーよ銃をとれ」で芸術祭優秀賞を受賞すると、女優として活躍します。1992年、結婚をきっかけに芸能界を引退、現在は、3人の子供の母親になっています。
◆11月29日(水)
ボストン 「宇宙の彼方へ」
名前のとおり、ボストン出身のバンド、ボストンは、マサチューセッツ工科大学を卒業し、ポラロイド社に勤めていたトム・ショルツが、1971年に大学時代の友人と結成します。トム・ショルツは、自宅の地下を多重録音が可能なレコーディング・スタジオにし、約4年間かけて、ほとんど一人で、1本のデモテープを作ります。このデモテープがエピックレコードの手に渡り、1976年にこのデモテープを忠実に再現する形で、アルバム『幻想飛行』が完成、デビューすることになります。
この「宇宙の彼方へ」は、『幻想飛行』からのデビューシングルで、本国アメリカをはじめ、日本でもヒットします。そしてアルバムは、デビュー作とは思えないほどの完成度の高さが話題になってたちまち人気を呼び、全世界で1700万枚という驚異的なセールスを記録します。これは、デビュー作の最高セールス記録として今なお、破られていません。
1978年に2枚目のアルバム『ドント・ルック・バック』をリリースしヒットしますが、トム・ショルツが完璧主義なために1枚のアルバムを作るのに時間を費やし、8年おきにアルバムがリリースされ、30年間にオリジナルアルバムは5枚しかリリースされていません。また、すべてのアルバムに「ノー・コンピューター」とクレジットされているほど生音にこだわり、シンセサイザーとコンピューターを一切使っていないことも有名な話となっています。
◆11月30日(木)
TRF 「寒い夜だから」
TRFは、1993年、小室哲哉プロデュースのダンスユニットとして、シングル「ゴーイング・トゥ・ダンス」でデビューしました。デビュー当時はメンバーが流動的で、複数のボーカリストとダンサーを合わせると10名ほどいましたが、その後、現在のボーカルのユーキ、DJコー、ダンサーのサム、エツ、チハルの5人になりました。TRFとは、テツヤ・コムロ・レイブ・ファクトリーの頭文字をとっており、その名の通り、小室哲哉が初期作品のプロデュースを手掛けました。
この「寒い夜だから」はTRFの5枚目のシングルでしたが、この曲をきっかけに次の「サバイバル・ダンス」から「オーバーナイト・センセーション」まで、5作連続ミリオンセールスという記録を作りました。なお「寒い夜だから」は、小室哲哉が実際に「寒い夜に思いついた曲」で、TRFとしては初めて日本語を主体に歌った曲になっています。
2000年に入ると、個人のソロ活動が中心だったTRFですが、今年の1月に6年ぶりのニューシングル、アルバムをリリースし、全国ツアーも行いました。また、11月29日には、久しぶりに小室哲哉がプロデュースしたニューシングル「ウィー・アー・オール・ブルーミング」をリリースしました。
◆12月1日(金)
ベルリン 「愛は吐息のように」
1979年、ベーシストのジョン・クロフォードを中心にロサンゼルスで結成されたベルリン。何度かメンバーチェンジが繰り返され、女性ボーカルのテリー・ナンが加入し、ポップなダンス系のバンドとして、知られるようになります。そして、3枚目のアルバム『ラブ・ライフ』で、ドナ・サマー、ブロンディといったディスコ・サウンドの大家として知られるプロデューサー、ジョルジオ・モロダーがアルバムの一部を手掛けたことが縁で、彼が担当した映画『トップ・ガン』のサントラに参加することになります。そこで、映画『トップ・ガン』の愛のテーマとして使用され、映画のヒットとともに大ヒットし、本国アメリカだけでなく、全世界でbP獲得し、世界的なスターになります。
翌年にテリーがソロアルバムをリリースするとバンドは解散、しかし、1999年に再結成され、2002年には15年ぶりのニューアルバムをリリース、話題になりました。
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