番組について
ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆11月13日(月)
シカゴ 「長い夜」

デビューした時は、「シカゴ・トランジット・オーソリティ」(シカゴ交通局(トランジットオーソリティ))というバンド名で政治色の強い曲を歌っていたために、当時のシカゴ市長から、シカゴ交通局というバンド名はやめてくれと訴えられて、シカゴに改名したという経緯があります。デビュー当時からハード・ロックなサウンドにホーン・セクションを取り入れ、さらに3人の個性的なボーカルがいたために「ブラス・ロック」という独自のジャンルを築き上げ、9作目のアルバムまで、すべて全米bPを記録します。
この「長い夜」には「25 or 6 to 4」というオリジナル・タイトルがありますが、キーボードのロバートが苦労してこの曲を書き上げた時に時計を見たら、時間が「4時25〜6分前」で、それをそのまま曲のタイトルにしてしまいました。しかし、「25 or 6 to 4」というタイトルでは日本人にうけないことから、「長い夜」という邦題が付けられたそうです。
シカゴは80年代に入ると、デビッド・フォスターをプロデューサーにたてて、AOR色が濃くなります。そして、今年の3月には30枚目のアルバム「シカゴ30」をリリースし、この夏、全米をヒューイ・ルイス&ザ・ニュースとジョイント・ツアーを行いました。

◆11月14日(火)
小泉今日子 「木枯らしに抱かれて」

テレビのオーディション番組「スター誕生」から、1982年に「私の16才」でアイドル歌手としてデビューした小泉今日子。自らをアイドルと称して話題になるだけでなく、「キョンキョン」というニックネーム以外にも、「コイズミ」という苗字で呼ばれるなど、新時代のアイドルの形を生み出した先駆者といえます。
この曲は、小泉今日子が主演した映画「ボクの女に手を出すな」のエンディング・テーマとしてリリースされ、作詞・作曲はアルフィーの高見沢俊彦が担当しました。小泉今日子にとって、初めてちゃんとした失恋の歌だったということもあり、テレビで歌う時も真面目にやらなきゃと思っていたそうです。
最近では、映画「空中庭園」でブルーリボン賞を獲得するなど、すっかり女優業が板についていますが、5月にリリースされた世界中の子供たちにサッカーボールを届けようというチャリティー・シングル「友情のエール」に参加して、話題になりました。

◆11月15日(水)
ティアーズ・フォー・フィアーズ 「ルール・ザ・ワールド」

アーサー・ジェノブの著書「プライマル・スクリーム」にある「恐怖の代わりに涙を」という一節をグループ名にしたティアーズ・フォー・フィアーズ。イギリスのバース出身の幼なじみ、ギター、ボーカルのローランド・オーザバルとベース、ボーカルのカート・スミスが結成し、1981年にデビュー。アーサー・ジェノバの心理療法の概念を下敷きにしたアルバム「ハ−ティング」でイギリスでの人気を決定づけます。
そして1985年、満を持してリリースしたアルバム「シャウト」から、この「ルール・ザ・ワールド」がイギリスだけでなく、アメリカでもbPに輝き、アルバム「シャウト」は、全世界で1000万枚を超す大ヒットになります。
90年代に入って、2人は決裂してしまい、ティアーズ・フォー・フィアーズは、オーザバル個人のプロジェクトになってしまいますが、2004年に2人は再結成してニューアルバムをリリースし、去年、14年ぶりにワールド・ツアーを行いました。

◆11月16日(木)
水谷豊 「カリフォルニア・コネクション」

13歳のときに演劇に興味を持ち、「劇団ひまわり」に入団し、16才のときにドラマ「バンパイア」の主役に抜擢され、芸能界デビューを果たした水谷豊。その後「傷だらけの天使」に出演し、24歳の時に映画「青春の殺人者」でキネマ旬報主演男優賞を最年少で受賞するなど、早くから演技力の高さが評価されていました。
そして、1977年に井上陽水が作曲した「はーばーらいと」で歌手デビューすると、1979年に「カリフォルニア・コネクション」が65万枚を超す大ヒットとなります。
水谷豊の代表作となるドラマに「熱中時代」がありますが、「刑事編」と「先生編」の二つあって、この「カリフォルニア・コネクション」は、本人が主演した新米刑事の奮闘を描いた刑事ドラマ「熱中時代・刑事編」の主題歌でした。詞を阿木耀子が担当し、「カナダからの手紙」の平尾昌晃が作曲したという事もあり、話題となりました。

◆11月17日(金)
レイ・チャールズ 「わが心のジョージア」

レイ・チャールズは、7歳のときに緑内障のために視力を失いながらも、母親の「視力を失っても、心はなくしてないでしょ」という励ましの言葉を胸に、フロリダの盲学校でいろいろな楽器を学び、最終的にピアノに集中しました。
1955年に「アイ・ガット・ア・ウーマン」がR&BチャートでbPに輝くと、一気に音楽の才能が開花し、「ア・フル・フォー・ユー」 「ホワッド・アイ・セイ」などが続けてヒット、エルビス・プレスリーやビートルズといった白人ミュージシャンにも大きな影響を与えます。そして、1960年にジョージア州出身だったこともあり、1930年の名曲「わが心のジョージア」をカバーし、全米bPに輝き、2つのグラミー賞も獲得します。この曲は、R&Bやカントリー以外にも、ライチャス・ブラザーズ、ウィリー・ネルソンなどが取り上げ、リバイバル・ヒットを記録しました。
レイ・チャールズは、「R&B/ソウルの神様」として、黒人音楽の偉大なエンターテイナーとしてカリスマ性を発揮しますが、2004年、肝臓病のために73歳でこの世を去りました。また、去年、テイラー・ハックフォード監督の手によって、その半生を描いた映画「レイ」が公開され、主演のジェイミー・フォックスがアカデミー賞を獲得しました。



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