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◆8月21日(月)
a〜ha 「テイク・オン・ミー」
メンバーは、ポール、マグス、モートンのノルウェー出身の3人組。
1982年に元々同じバンドにいたポールとマグスがモートンを誘って、a〜haを結成。イギリスに渡って、貧しい生活を強いられながらも、ワーナーとレコード契約を結び、1984年にこのバージョンと違うシングル「テイク・オン・ミー」で、デビューします。しかし、全く陽の目を浴びず、1985年にレコーディングし直したこのバージョンで、大ブレイクし、同年全米bPに輝きました。
ヒットの大きな要因として挙げられるのが、スティーブ・バロンが作った実写とアニメを融合させた画期的なビデオ・クリップで、MTVというヴィジュアル・メディアによるヒットの代表的な作品となったこと。 1986年のMTVアワォードでは、このビデオ・クリップは6部門を制覇、この曲が収められているアルバム『ハンティング・ハイ・アンド・ロウ』は全世界で1000万枚以上のセールスを記録しました。
◆8月22日(火)
ブギウギ・バンド 「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
宇崎竜童を中心に新井武士、相原誠、和田静男の4人でダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成し、 1973年12月にシングル「知らず知らずのうちに」でデビューします。しかし、最初は、鳴かず飛ばずで、ホテルやビアガーデンなどで営業を続けます。そして、この曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の「あんた、あの子の何なのさ。」というフレーズが流行語になり、オリコンでもbPヒットとなります。また、この曲を元に映画も作られ、「アンタ私のなんなのさ」というこの曲のアンサーソングも生まれました。
しかし、バンドのイメージが固定されてしまい、そんな現状を打破すべく、1980年に「ファイティング・ ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」と改名し、トレード・マークのツナギを止めてしまい、過去の楽曲も 演奏しなくなりました。結局、バンド内の音楽性の違いもあって、惜しまれつつも1981年に解散してしまいます。
解散後、ボーカルの宇崎竜童はソロ期間を経て、竜童組やR.U.コネクションで活動。山口百恵の「横須賀ストーリー」、内藤やす子の「想い出ボロボロ」など、作曲家として多くのヒット曲を出しています。
◆8月23日(水)
ドゥービー・ブラザーズ 「ロング・トレイン・ランニン」
アメリカン・ロックを代表するバンドの1つ “ドゥービー・ブラザーズ”。1970年にトム・ジョンストンを 中心にアメリカのカリフォルニアで結成され、アルバム「ドゥービー・ブラザーズ・ファースト」でデビュー。ドゥービーという言葉は、マリファナを意味するスラングで、本当の兄弟ではないが、兄弟のような結束を持ったグループであるというところから名づけられました。
2枚目のアルバムからテッド・テンプルマンをプロデューサーに迎え、「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」がヒット。そして、3枚目のアルバムも同じく、テッド・テンプルマンがプロデュースを担当し、このアルバムからこの曲が初めて、トップ10シングルとなりました。この後、トム・ジョンストンが脱退し、マイケル・マクドナルドが参加したことで、洗練されたウエスト・コースト・ロックを代表するバンドになります。 しかし、1982年に解散。そして、1989年にトム・ジョンストンを中心とした初期のメンバーを中心に 再結成されています。
◆8月24日(木)
レベッカ 「フレンズ」
バンド名のレベッカは、ケイト・ウィギンの小説「黒い瞳の少女レベッカ」から命名されました。1984年 4月にシングル「ウィラム・ボートクラブ」でデビュー。デビュー当時のメンバーは、ボーカルのノッコ、 ギターの小暮武彦、ベースの高橋教之、キーボードの土橋安騎夫、ドラムの小沼達也で、ロック色が強かったのですが、音楽性の違いからリーダーでギターの小暮と、ドラムの小沼が脱退してしまいます。その後、キーボードの土橋がリーダーになり、ドラムに小田原豊が加わって、この「フレンズ」がリリースされて大ヒットし、この曲が収められたアルバム『レベッカW〜メイビー・トゥモロウ』が130万枚を超すセールスを記録しました。
レベッカは、1991年に解散しましたが、この曲のリミックス・バージョンが、1999年にドラマ「リップスティック」の主題歌として起用され、リバイバル・ヒットしました。
◆8月25日(金)
ゾンビーズ 「ふたりのシーズン」
1962年にイギリスで結成され、1964年に「シーズ・ノット・ゼア」でデビューした5人組のゾンビーズ。中心メンバーは、ボーカルのコリン・ブランストーン、キーボードのロッド・アージェント、ベースのクリス・ホワイトです。その後、ザ・カーナビーツのカバー曲でお馴染みの「好きさ、好きさ、好きさ」といったヒット曲を生みだしました。そして、1969年にこの曲がヒットしますが、実は、ゾンビーズが解散した後に リリースされ、皮肉にもゾンビーズ最大のヒット曲になりました。この曲は、映画 『レナードの朝』 にも 使われ、再び注目されました。
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