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◆7月10日(月)
KC&ザ・サンシャイン・バンド 「ザッツ・ザ・ウェイ」
1970年代に全世界的なブームを呼んで、ディスコを大いに盛り上げたのが、マイアミ出身のKC&ザ・サンシャイン・バンド。その特徴は、歯切れのよいホーンの鳴りとラテン・タッチのパーカッションの 音色を中心にして展開されるファンク・チューンで、その魅力は、大ヒットした「ザッツ・ザ・ウェイ」に凝縮されているといえるでしょう。
ヨーロッパでは、人気のディスコ・バンドになっていたのですが、1975年の「ゲット・ダウン・トゥナイト」が、全米No.1に輝くと、この「ザッツ・ザ・ウェイ」と合わせて5曲の全米bPヒットを放つことになったのです。
マイアミの燦然と輝く太陽のような底抜けの明るさと、軽妙なグルーヴ感を擁する彼らのサウンドは、今もなおソウル、そしてポップス・ファンに強くアピールするものになっています。
◆7月11日(火)
早見優 「夏色のナンシー」
アイドル黄金期の1982年デビュー組のひとり。ビューした当初から、ハワイ育ちで英語が話せる バイリンガルで、健康的なイメージと、いわゆる帰国子女アイドルの先駆けとして注目を浴びました。
その早見優ですが、実際は静岡県熱海市出身で、小学校3年のときにハワイに移り住み、1980年にハワイ三越のエレベーターの中で、スカウトされたのがきっかけで芸能界デビューしました。82年、 「急いで!初恋」でデビューし、この年にシブがき隊、石川秀美、堀ちえみと共に日本レコード大賞・ 新人賞を受賞しました。
この曲は、5枚目のシングル曲で、作曲は筒美京平氏、この曲以降は、筒美氏の作品が歌われました。また、バイリン・アイドルらしく英語バージョンの「夏色のナンシー」もあります。
昨年は、テレビ番組の企画で、同期の松本伊代、堀ちえみとともに “キューティー★マミー” を結成しました。
◆7月12日(水)
デュラン・デュラン 「ザ・リフレックス」
1978年に結成され、ジェーン・フォンダ主演のSF映画「バーバレラ」に登場するキャラクターにちなんで名付けられた “デュラン・デュラン” のメンバーは、シンセサイザー担当のニック・ローズ、ギターのアンディ・タイラー、ベースのジョン・テイラー、ドラムのロジャー・テイラー、そして、ボーカルのサイモン・ル・ボンの5人組。お金のかかったプロモーションビデオと王子様のようなルックスが話題となって、若い女性を中心に人気のバンドとなります。
この曲は、サード・アルバム『セブン&ザ・ラグド・タイガー』に収録されていた曲でしたが、シングルカットするに当たり、ナイル・ロジャーズに依頼して、シングル曲として、改めてリミックスをしてもらい、 結果、全米で、初のbPを飾りました。
2004年には、15年振りにオリジナル・メンバーの5人が揃い、ニュー・アルバム『アストロノーツ』を リリース。相変わらずポップでキャッチーなデュラン・デュラン節が炸裂していて、往年のファンから 若者までを熱狂、そして感涙させました。
◆7月13日(木)
フィンガー5 「恋のダイヤル6700」
和製ジャクソン・ファイブとして、「個人授業」で1973年にデビューしたフィンガー・ファイブのメンバーは、沖縄県出身の玉兄弟で、一夫、光男、正男、晃、妙子の5人。もともとは67年に小学生だった 一夫、光男らが結成したオールブラザーズが母体になっています。TVの歌謡ショー出演を機に上京、米軍キャンプめぐりをしながら70年にデビューを果たすのですが、レコードはなかなか売れず、不遇の時を過ごします。
72年の沖縄本土返還直後に沖縄へ帰ろうとしていた矢先、当時のレコーディング・ディレクターと出会い、フィンガー5と改名、大きな転機が訪れます。73年にリリースした「個人授業」が大ヒットし、それをきっかけに「恋のダイヤル6700」「学園天国」など、次々とミリオンを連発。押しも押されぬトップ・アイドル・グループへと昇りつめることになるのです。
この曲は、デビュー曲である「個人授業」から4ヵ月後にリリースされたセカンドシングルで、フィンガー・ファイブの作品の中で、最高セールス作品になっています。ちなみにフィンガー・ファイブの作詞は、阿久悠が担当し、作曲は、都倉俊一と井上忠夫の2枚看板が交互に担当し、日本の音楽シーンに大きな足跡を残しました。
◆7月14日(金)
ファイン・ヤング・カニバルズ 「シー・ドライブス・ミー・クレイジー」
メンバーは、元イングリッシュビートのデイビッド・スティール、元ザ・ビートのアンディ・コックス、そして元アクリリクスのローランド・ギフトと、ソウル・ミュージックを下地に活動した3人で結成されました。
しかし、デビューしてから3年間は、泣かず飛ばずだったのですが、この曲を収めたセカンドアルバム『ザ・ロウ&ザ・クックト』を元プリンス&ザ・レボリューションのデイビッド・Dが共同プロデュースし、 転機が訪れます。
特にこの曲の制作には、6ヶ月という長い時間をかけて完成し、1989年に全米bPに輝きました。
日本では、自動車のテレビCMに使われて話題になりました。
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