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◆7月3日(月)
ブルース・スプリングスティーン 「BORN IN THE U.S.A.」
デビューからボブ・ディランの再来と騒がれ、1年間に100回以上のライブを行い、毎年100万人以上の観客を集めるブルース・スプリングスティーン。80年代だけでなく、ロック史上に燦然と輝くモンスター・アルバムが7枚目のアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』は、全米で1200万枚、全世界でも2000万枚以上の売上を記録し、発表と同時に行われたワールド・ツアーも大成功を収めました。
この曲は、アルバムと同じタイトルのシングル曲で、映画監督のポール・シュレイダー監督から『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』という脚本が届き、ベトナムからの帰還兵が多かったこともあって、そのことを題材にこの曲を書き上げました。映画の主題歌として使われることはなかったものの、ブルース・スプリングスティーンを一躍世界的スターダムに押し上げる一曲になりました。
一方、脚本を送ってきたポール・シュレイダー監督の映画は、『ライト・オブ・デイ/愛と栄光への日々』というタイトルに変わっていましたが、今でもブルース・スプリングスティーンはポール・シュレイダー監督に深く感謝しているそうです。
◆7月4日(火)
榊原郁恵 「夏のお嬢さん」
1976年、記念すべき第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリを受賞し、1977年にデビューした榊原郁恵。比較的華奢なアイドルがもてはやされた時代に「巨乳アイドル」のはしりとして、 脚光を浴びます。
デビュー曲「私の先生」「いとしのロビン・フッドさま」などヒット曲はありましたが、7枚目のシングルとなるこの曲は、彼女の代表曲となりました。この曲を作曲したのは「3年目の浮気」や「別れても好きな人」など、デュエットのヒットソングに定評のあった佐々木勉(べん)さん。その後も榊原郁恵に曲を提供し続けましたが、健康を害し、病気のために46歳という若さで亡くなっています。
◆7月5日(水)
ジャーニー 「オープン・アームズ」
ジャーニーは1973年、元サンタナ・バンドのニール・ショーンが中心になり、サンフランシスコで結成し、数々のプラチナ・ディスクや、ゴールド・ディスクを獲得し、日本でも人気が高いバンドです。何度かメンバー交代がありましたが、ニール・ショーン、スティーヴ・ペリー、ロス・ヴァロリー、スティーヴ・スミス、ジョナサン・ケインの5人体制となったジャーニー時代の曲は完成度、人気ともに群を抜いていました。
特にスティーブ・ペリーがボーカルとして参加すると、ジャーニーは、ヒット曲を連発し、日本を始め世界中のコンサート会場はどこも満杯になりました。この曲が収められている、1981年にリリースされた『エスケイプ』は、全世界で900万枚ものセールスを記録したモンスター・アルバムで、全米1位を獲得して、ロック・バンドの頂点に到達した記念すべきアルバムとなりました。
日本では映画「海猿」の主題歌にもなったこの曲は、キーボードのジョナサン・ケインが元所属していたバンド「ベイビーズ」時代に書き起こした曲で、当時のヴォーカリストの反対にあい、陽の目をあびませんでしたが、この曲をジャーニーで発表し、ヒットしたことで、ジャーニーを代表する1曲となりました。最近では、マライア・キャリーがカバーしてリバイバル・ヒットしています。
◆7月6日(木)
氷室京介 「SUMMER GAME」
日本のミュージックシーンに大きな足跡を残した元ボウイのボーカリストで、1988年に「エンジェル」でソロデビューした氷室京介。この曲は、セカンドアルバム『ネオ・ファッシオ』に収録されていた3枚目のシングル曲で、本人が作詞・作曲をしています。
氷室京介は、2004年に、東京ドームでボウイ時代の曲をソロの曲と共に歌う「トゥエンティ・ファースト・センチュリー・ボウイズVSヒムロ」を行い、5万5千人のファンを集めたのが、記憶に新しいところですが、今年8月には、味の素スタジアムで、ボウイのフォロワーとして活躍しているグレイとのコラボレーション・ライブを行ないます。
◆7月7日(金)
B.J.トーマス 「雨にぬれても」
1969年、ポール・ニューマン演じるブッチ・キャシディと、ロバート・レッドフォード演じるサンダンス・キッドの2人が活躍する映画「明日に向かって撃て」の主題歌として全米bPに輝いた名曲で、バート・バカラックとハル・ディビッドの2人が作った、2曲目となる全米bPソングです。
当初、この曲は、カントリーシンガーのレイ・スティーブンスが歌う予定で、作業が進められていましたが、レイ・スティーブンスに断られ、B.J.トーマスが急きょ歌うことになります。急に歌うことになったB.J.ですが、レコーディング直前にノドの病気を患い、医者から歌うことを禁止されてしました。せっかくもらったチャンスを逃したくなったB.J.は、無理を承知で応急処置を受け、どうにか間に合わせ、見事全米bPに輝きました。
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