番組について
ONAIR REPORT
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今までの永遠のメロディ
   
PART2 永遠のメロディー
ONAIR REPORT
◆6月12日(月)
クリストファー・クロス 「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」

1979年、アルバム『Christopher Cross』で彗星のごとくデビューし、アルバムに顔写真などを掲載せず、天使のようなハイトーンボイスで、ベールに包まれたまま一躍AORを代表する歌手になったクリストファー・クロス。
このアルバムとシングル『セイリング』は1980年のグラミー賞の5部門を独占し、一躍時の人となったクリストファー・クロスが、1981年の夏にリリースした曲がこの「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」でした。ライザ・ミネリとダドリー・ムーア主演の映画「ミスター・アーサー」の主題歌で、ビルボードシングルチャートでは全米bPに輝き、アカデミー賞の最優秀主題歌賞を受賞しました。

◆6月13日(火)
ピンク・レディー 「ペッパー警部」

静岡県出身で、中学、高校の同級生だったミーとケイが結成したアイドルユニットのピンク・レディーは、70年代後半から80年代初めにかけ、お茶の間を席巻し、日本歌謡界に燦然たる名を残す伝説のアイドルになりました。
1973年、2人は、ヤマハ主催の「チャレンジ・オン・ステージ」というオーディションで合格し、ピンク・レディーの全身となる「クッキー」を結成。そして、1976年の日本テレビ「スター誕生」の決勝大会に出場し、この「ペッパー警部」で、見事デビューを果たすことになりました。
多くの楽曲を作詞家の阿久悠、作曲家の都倉俊一という黄金コンビが手がけ、オリコンで、セカンドシングル「SOS」から「カメレオン・アーミー」まで9曲連続1位、10曲連続ミリオンセラー、シングル首位獲得63週など、数多くの記録を打ち立てていますが、その輝かしい記録もこの曲からスタートしています。

◆6月14日(水)
マドンナ 「ライク・ア・ヴァージン」

58年アメリカ・ミシガン州で生まれ、19歳の時ミシガン大学をドロップ・アウトし、わずか35ドルしか
持たずに単身ニューヨークに来たマドンナ。そして6年間の厳しい下積み期間を経て、83年、アルバム『バーニング・アップ』でデビュー。
「ホリデー」「ボーダー・ライン」「ラッキー・スター」といったシングル・カット曲を立て続けにヒットさせ、
まだその余韻がのこる翌84年「ライク・ア・ヴァージン」で全米bPを記録し、世界的な成功を手中に
収め、マドンナがミュージック・シーンの頂点へ駆け上がる代表作となりました。

◆6月15日(木)
ZARD 「負けないで」

ボーカル坂井泉水を中心とするバンド、ZARDのデビューは1991年の「グッバイ・マイ・ロンリネス」で、この「負けないで」は1993年にリリースした6枚目のシングルです。当時、同じ事務所に所属していた松雪泰子主演のドラマ「白鳥麗子でございます!」の主題歌に起用され、オリコン初登場2位という、当時ZARDにとって最高の初動を記録し、そしてその後、初めてbPに輝きました。
1993年のオリコン年間シングルチャートで6位を獲得し、翌1994年の選抜高等学校野球大会入場行進曲にもなりました。また高校の音楽の教科書に掲載されるなど、前向きな歌詞から教育関係の支持もありました。

◆6月16日(金)
スリー・ドッグ・ナイト 「JOY TO THE WORLD(喜びの世界)」

「スリー・ドッグ・ナイト」というグループ名は、「未開の奥地で寒い夜は、犬と一緒に寝て暖まり、もっと寒い夜は、2匹の犬と寝て暖まり、さらに冷えて身も凍る夜は、3匹の犬が必要である」というオーストラリアの古い言い伝えに由来しています。そんなスリー・ドッグ・ナイトは、メンバー7人からなるグループで、7人全員が結成前からプロのミュージシャンとして活動していました。
この「喜びの世界」は、元々、子供向けのアニメソングとして書かれたのですが、その番組がなくなる
という憂き目にあい、当時、宙に浮いた形になっていました。この曲の作者でカントリーシンガーであるホイト・アクストンは、スリー・ドッグ・ナイトと一緒にツアーに出た時に、この曲を初めて聞かせました。すると、メンバーは大変気に入り、レコード化が実現しました。



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