|
|
|
◆4月10日(月)
キャロル・キング 「IT'S TOO LATE」
全米で最も成功した女性シンガー・ソングライターのひとりであるキャロル・キングは、もともと作曲家としてデビューしていました。当時の夫ゲリー・ゴーフィンとのコンビで、全米No.1に輝いたヒット曲は、「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロウ」 「ロコモーション」などです。
そんな彼女が、ボーカリストとして出したアルバムが「つづれおり」。グラミー賞4部門制覇、全米アルバムチャートで15週連続1位、その後も302週連続(約6年間)でトップ100にとどまるロングセラーとなりました。このアルバムは、世界中で2000万枚を超える驚異的なヒットを記録し、今でも売れ続けているという歴史的名盤になっています。
「IT'S TOO LATE」は、このアルバムからの初の全米No.1ソングで、5週連続全米No.1を獲得しました。
◆4月11日(火)
寺尾聰 「ルビーの指環」
学生時代、サベージというバンドで活躍した寺尾聰。
「いつまでもいつまでも」というヒット曲を飛ばすものの、卒業とともに即脱退。その後、父・宇野重吉と同じ俳優の道に進み、「太陽にほえろ」で一世風靡しますが、身体を壊したこともあって、再び歌手として活動し、リリースした曲が、この「ルビーの指環」でした。この曲は、1981年に134万枚を越すヒットを飛ばし、日本レコード大賞を受賞しました。
寺尾聰は、2001年に「雨上がる」、2005年に「半落ち」で日本アカデミー賞にも輝き、日本で唯一、レコード大賞とアカデミー賞の双方を受賞した俳優、且つ、歌手となりました。
◆4月12日(水)
U2 「ウィズ オア ウィザウト ユー」
メッセージ性の強い歌詞で、ノーベル平和賞にも名前が挙がっているU2ですが、そもそもはビール会社主催のタレント・コンテストに出場するために1978年、アイルランド・ダブリンで結成され、1980年にデビューしました。北アイルランド紛争の悲劇を歌い、IRAのテロの標的にさらされたこともあります。
この「ウィズ オア ウィズアウト ユー」は、ボーカルのボノがエルサルバドルを訪問した時に生まれた曲で、1987年に発売されたU2史上最大の売り上げを記録したアルバム「ヨシュア・ツリー」に収録されている彼らの代表曲です。全米・全英でNo.1を記録し、全世界で2000万枚を売り上げて第30回グラミー賞で最優秀アルバムにも輝きました。また、ビルボードHOT100で3週連続トップの座を維持し、これによって、U2のアメリカでの人気は不動のものとなりました。
◆4月13日(木)
米米クラブ 「浪漫飛行」
1985年、「シャリシャリズム」でデビューした米米クラブのオリジナルメンバーは、 カールスモーキー石井、ジェームス小野田、ボン、ジョプリン得能、リョウJ、フラッシュ金子、 シュークリームシュミナコ&マリの8人です。
この曲は、1987年の「コメグニー」に収録されていた曲でしたが、1990年にCMソングになったことでシングルカットされ、米米クラブにとって、初のオリコンNo.1ソングとなるとともに、1990年最大のヒット曲になりました。
米米クラブは、1997年に解散しましたが、今年9年ぶりに再結成します。7ヶ月間限定の活動ですが、7月にシングル、9月にアルバム、さらにはDVD化されてない映像などもリリースする予定です。 再結成とともにオフィシャルサイトもオープン!
9〜10月には全国アリーナツアーも予定するなど、7ヶ月間を一気に駆け抜ける “米米クラブ” から目が離せません。
◆4月14日(金)
アース・ウィンド&ファイヤー 「宇宙のファンタジー」
モーリス・ホワイトを中心に結成されたアース・ウィンド&ファイヤーですが、1977年にリリースした 7枚目のアルバム『太陽神』から大ヒットした曲が、この「宇宙のファンタジー」です。
1970年代後半のディスコ・ミュージックの流行が、アース・ウィンド&ファイヤーのハイエナジー・ポップスと結びついて、彼らを単なるソウル・バンドではなく、世代を越えた超人気グループへと飛躍させる一曲となりました。
|
|
|
|
|